夫に内緒の買い物。届いた荷物を受け取ったけど、あれ…? すべては些細な違和感から始まった/気がつけば地獄①

文芸・カルチャー

公開日:2021/5/1

気がつけば地獄

著:
出版社:
KADOKAWA
発売日:

気がつけば地獄』から厳選して全6回連載でお届けします。今回は第1回です。『レタスクラブ』での大人気連載がついに書籍化! 薄氷の夫婦関係、許されぬ恋、ありえない友情――その友情もその愛も、決して芽生えてはいけなかった。冷え切った関係の夫婦の前に現れたひとりの女。一体彼女は何者…? 予測不可能、衝撃展開のサスペンス!

気がつけば地獄
『気がつけば地獄』(岡部えつ/KADOKAWA)

 インターホンが鳴ったのと、ミニカーで遊んでいた晴哉がダイニングテーブルの角に頭をぶつけたのが同時だった。わーっと泣いて腰にしがみついてくるのを引きずるようにして、モニター画面を見る。映っていたのは、マンションのエントランスに立つ宅配業者の制服だ。

「コウノトリ便です」

 最後の「です」にかぶせるように「どうぞ」と言って解錠ボタンを押したあと、晴哉に洟をかませ、りんごジュースを与えて、テレビのリモコンを渡してやってから、玄関に向かう。サンダルをつっかけてドアノブを睨みつけていると、ピンポン、とチャイムが鳴った。

「はあい!」

 勢いよくドアを開けると、さっきの女性配達員が立っている。最近このエリアの担当になった人で、先週夫の実家からの荷物を配達してくれたのも彼女だった。いつもユニフォームの帽子を目深にかぶっているのは、日焼けを気にしてのことだろう。いい心がけだ。まだだいぶ若そうだが、紫外線対策は二十代からやっておくに越したことはない。

「どうも。こちらお荷物です」

「ありがとう」

 段ボール箱を受け取ってシューズボックスの上に載せながら、こんなに大きかったかしら、と思う。

「こちらにサインお願いします」

 受領書を差し出してきた配達員の手指を、つい見つめてしまう。そこもしっかり日焼け対策をしてるのか、皮膚は眩しいほど白くてきめ細かい。一日中外にいるような仕事をしていても、ターンオーバーですぐに修復されるのだ。わたしも昔はそうだった。

「いつもご苦労さま」

 渡されたボールペンでサインをし、受領書と一緒に返す。帽子のつばに隠れている彼女の視線が、自分の手に注がれている気がして、すぐに引っ込める。

「ありがとうございました」

 ぶっきら棒に言って背を向けるとき、そのつばが一瞬だけ上を向き、わたしを見て嘲笑ったような気がした。

 ドアが閉まった瞬間、頭を振る。こんなふうに僻むのは、今日限りだ。そのために、これを買ったのだから。

 玄関ドアの鍵を閉め、急いで段ボール箱から送り状を剥がし取って片手で丸める。誰にも見られないうちに、捨ててしまわなければならない。

 耳を澄まし、晴哉がリビングでおとなしくアニメ番組を観ている様子なのを確かめてから、荷物を抱えて手前の寝室へ入る。すぐに先ほど丸めた送り状をゴミ箱に捨て、段ボール箱をベッドに載せる。クローゼットの道具箱からカッターナイフを取り出し、がっちり貼られたガムテープにその刃先を入れる。中の商品パッケージを傷つけてしまったら返品できなくなるから慎重に、と考えている自分に、いいや返品などするものか、と言い聞かす。口コミサイトを徹底的にチェックし、効果を証明している購入者のブログや動画を漁り、大型家電ショップで実物も見て、考えに考え抜いて買ったのだ。返してしまったら、また思い悩む日々の繰り返しになってしまう。

 段ボール箱の蓋が開くと、マシュマロのような緩衝材がいくつも飛び出てきた。それを掻き分けて中の箱が顔を出したところで、おや? と思った。家電ショップで見た商品パッケージと、どこか様子が違う。取り出してみて、さらに妙だと思う。地味な水玉模様の包装紙で包まれているのも、形が立方体に近いのもおかしい。感触も、化粧箱というより木のように固い。包装紙を破りかけていた指を離し、一呼吸してからベッドに置いた。間違えて、何か別のものを注文してしまったのかもしれない。

 リビングに走って行き、キッチンカウンターに置いてあったスマートフォンを取って開く。販売店から一昨日届いた商品発送完了メールを確認すると、商品名、メーカー名、配達日時、宅配業者、どれも間違っていなかった。そこにあるリンクをタップし、商品ページに飛ぶ。すぐに、五万二千円の美顔器の画像が目に飛び込んでくる。スクロールすると、パッケージの画像が現れる。ブルーの紙製化粧箱で、覚えていたとおりもっと細長い直方体だった。

 ということは、販売店が送る商品を間違えたのだ。

「んもう!」

 苛つきながら販売店の電話番号をタップし、スマートフォンを耳に当てて寝室に戻る。二回目の呼び出し音が鳴っているとき、ふと、送り状には荷物の内容を何と書いてあったかと気になり、ゴミ箱から先ほど捨てた送り状を拾い上げた。三回目の呼び出し音を聞く間に皺を伸ばし、書かれた文字を追い始めてすぐに電話を切った。

 宛先が、うちではなかったのだ。住所は合っているが、同じマンションの部屋番号違いだった。うちは301号室なのに、届け先は603号室の(株)ロクマルサンとなっている。

 配達員の白く滑らかな手と、帽子の下から覗いていたピンクの唇を思い出す。あんな帽子のかぶり方をして、仕事に身が入っていないのだ。きっと今頃、自分の失敗に気がついて、引き返しているところだろう。包装紙を破ってしまわなくてよかった。

 品物を段ボール箱の中に戻し、散らばった緩衝材も詰め直して、ベッドに突っ伏す。これはあの配達員に返せばいいとしても、段ボール箱を開けてしまったことは問題ないだろうか。弁償しろとか、何か請求されたりしないだろうか。秘密の散財をしたところなのに、その上余計なお金がかかるのは困る。いやそれ以上に、ややこしいことになって夫に知られたら困る。

 不安とともに、気持ちが萎えてくる。やはり、してはいけない買い物だったのかもしれない。消し去ったはずの迷いが、どこに隠れていたのか胸の内にみるみる溢れ出す。なぜこうなってしまうのだろう。ただ、きれいになりたいだけなのに。

 寝返りを打ち、天井を見つめる。鼻の奥が、つーんと痛くなる。

 

 鏡を見て、思わず「汚いなあ」と口をついたのは、いつのことだったか。

 晴哉が歩くようになってから、追いかけ回すのに日傘など差していられなくなり、日焼け止めクリームも朝塗ったきり、汗をかいても塗り直す余裕はなくなった。家に帰れば家事と育児に追われ、スキンケアに時間など割いていられない。

「見て。お肌ぼろぼろ」

 同じ状況にあるママ友たちは、顔を合わせればそう嘆き合う。しかしその〝ぼろぼろ〟は、皆が同じようでそうではない。年齢と経済力の格差があるのだ。それがまた、わたしを悩ませる。

 年齢の格差は、もちろん若いほど有利、歳を重ねるほど不利ということだ。まだ二十代の人たちは、ぼろぼろと言ってもたかが知れている。無理が続いてそうなったとしても、一晩寝れば回復する。しかし、わたしのように三十代も後半になると、そうはいかない。夏の日焼けは秋になっても消えず、冬も春も残り続けて次の夏を迎え、やがてしみを作る。ターンオーバー、つまり新陳代謝が、年々遅くなってくるからだ。

 それを補うのが美容ケアだが、ここで経済力の格差が生まれる。美容はピンからキリなのだ。お金をふんだんにつぎ込める人は、美容皮膚科やエステサロンでリカバリー。そこそこつぎ込める人は、高価な美容家電や高級化粧品を頼る。それもできない人は、ネットや雑誌で仕入れた安上がりの美容法を片っ端から試すくらいしかない。わたしは、この最後のグループの一人だ。晴哉が生まれたとき、家計の優先順位を一に晴哉の教育資金、二に家の購入資金、三に家族旅行の資金、と決めてから、化粧品はデパコスからプチプラに格下げしている。

 放っておいても内側から輝いていた若い頃には気兼ねなく化粧品代をかけ、高い美容成分が必要になったときにそれをケチらなければならないとは、人生うまくいかない。雑誌の美容特集やYouTubeの美容チャンネルを眺めては溜息をつきつつ、晴哉が小学生になったらパートの日数を増やして美容費をかけよう、今は我慢だと、鏡から目を逸していたが、本当は、左の頬に小さなしみができていることに気づいていた。

「こんなのしみのうちに入らない、そのうち消える」

 そう心で唱えながらも、同世代のママ友から聞いた美容法をこっそり試した。熱い湯と氷水がそれぞれに入った二つのカップにスプーンを入れ、熱いスプーンと冷たいスプーンを交互にしみの部分に当てて、温冷の刺激を与えるというものだった。その日も、祐一はまだ帰っていなかった。ほとんど毎日残業で、つき合いだと言って酒臭い息で帰ってくることも多かった。小言を言えば「これも仕事だ」の一言で黙らされてしまう。スプーンを当てながらそれを思い出していると、彼が外で楽しんだ何杯かの酒や食事が、そして何より膨大な時間が、このしみを、じわじわと濃く広げていくような気がしてきた。

 そのときだ。

「汚いなあ」

 思わず口をついて出たのだ。

 次の瞬間、胸の奥から、このままではだめだという思いがどくどくと湧いてきて、いてもたってもいられなくなった。

 その日から、時間があればネットでしみに効くものを探した。美容皮膚科、エステサロン、化粧品メーカーなどのサイト、皮膚科医、エステティシャン、美容ライターたちのYouTube動画、コスメの口コミサイトや女性誌の特集記事など、読めるものは片っ端から目を通した。毎月の小遣いからいくらずつ貯めたら、何を手に入れられるのか計算した。そうして、美顔器を買おうと決めたのだ。

 ずいぶん時間が経ったのに、宅配屋はまだ来ない。いったい、何をしているのだろう。

 ベッドに寝そべったまま、ツイッターのアプリを開く。いらいらしたときは、溜め込まずに吐き出すに限る。わたしのストレス解消法は、ここで時々鬱憤を晴らすことだった。

『最悪。宅配業者が部屋番号を間違えて、他人の荷物を置いていった。そして、夫に内緒で買ったわたしの美顔器は、まだ届かない……(泣)』

 打ち込んだ文章を一度読み返してから、送信ボタンを押す。見慣れた向日葵のアイコン、『サニー』のツイートがタイムラインに上がった。

『サニー』の名は、息子の名前の「晴」の字にちなんでつけた。アイコンの向日葵画像は、近所の公園で撮ったものだ。一応二十三人のフォロワーがいるが、そのうち何人がわたしのツイートを読んでいるかはわからない。「リツイート」も「いいね」も滅多につかないし、リプライが来るのも稀だ。それでもこうして胸の内を書くと、すっきりする。

 わたしがツイッターをしていることを、誰も知らない。祐一はSNSが嫌いで、こういうものをやっているのは承認欲求に飢えたかわいそうな人間だと軽蔑しているから、絶対に言えない。

 そういえば、美顔器を買ったことで、祐一への秘密が二つに増えた。

<第2回に続く>

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ISBN:
9784048969406