七月隆文『100万回生きたきみ』/特別試し読み #4
公開日:2021/10/16
人気作家・七月隆文の文庫書き下ろし『100万回生きたきみ』から厳選して全4回連載でお届けします。今回は第4回です。美桜は100万回生きている。さまざまな人生を繰り返し、今は日本の女子高生。終わらぬ命に心が枯れ、何もかもがどうでもよくなっていた。あの日、学校の屋上から身を投げ、同級生の光太に救われた瞬間までは。100万の命で貫いた一途な恋の物語。『100万回生きたきみ』発売を記念して作品の一部を特別に公開!
市役所の前に渡る並木道の終わりに、三善くんがいた。
美桜は力を振り絞って、駆け寄る。
三善くんが心配そうに向かってきた。
距離がなくなったとき、美桜は倒れ込むように抱きつく。彼の見た目よりも筋肉の張った胸板に額をあてながら、ふぅふぅと息をした。
「ほんとになんもなかった?」
彼の声が後頭部にふれると、そこが甘くしびれる。
そのまま動かずにいると、彼の手が丁寧に背中に置かれた。甘いしびれがじんじん染みこんできて、安心感が満ちていく。
あの手と、どうしてこんなに違うんだろう。
そう思ったとき、さっきのことが、唇の感触とともによみがえってきた。
――――。
彼から離れる。
「安土さん……?」
汚れてしまっている。
美桜は感じた。
自分はもう、すっかり汚れてしまっている。
けっしてあるはずのなかった後悔が、黒い沼のごとくこみ上げてきた。
この1000001回目の人生を、どうでもいいと投げやりに生きてしまったこと。
美桜の目から、涙が落ちた。
それがまた感情を汲み上げ、激しく、とめどなくなって、土砂降りになった。
突然そうなった美桜に、三善くんはあわてず、むしろ穏やかになって。
「なんで泣いてるの」
やさしく訊ねてくる。
「………なんでだろうってっ」
ぼろぼろと溢れてくる。
「なんで今日までてきとうに生きちゃったんだろうって、私……ないはずだったのに………けど三善くんがっ」
目の奥がひりひりして、まともに前がみえなくなって、手首でまぶたをぬぐう。鼻が痛い。胸の奥が熱さと寒さの坩堝になっている。
「三善くんがいるから、すごく今、うわああって後悔が、出てきて、それで、それがね……」
美桜は濡れたまなざしで彼をみつめた。そこに光が揺れている。涙の反射ではない。心を映す瞳そのものがきらきらと、生きていると、輝いていた。
「………うれしいの………」
美桜は喜んでいた。
「私、まだこんなふうになれたんだなって……何かがいやで、誰かが好きで、苦しくて悲しくて、ほっとなったりやり直したいってぐちゃぐちゃになって……私は、私の心はまだ………あったんだって……」
笑む。雨上がりに咲く花のように可憐で晴れ晴れとしたものを、彼に向けて。
「私、三善くんのことが好きだよ」
自分でも驚くほど自然に、告った。
すると、どうしてだろう。
真摯に聞いていた三善くんのふたつの瞳から、はたた、と透明な雫が一瞬で何滴も落ちた。
遅れてちょっとせつない顔になり、それからなんだか神々しいものに出会ったふうに、息が苦しそうなほど涙をこぼし続ける。
それは告白されてどうというものを超えていたから、美桜は戸惑ってしまう。
「どうして泣いてるの?」
抱きしめられた。
驚きとときめきが同時に押し寄せ、思考が止まる。
「俺も、好きだ」
熱を凝縮させた小さな星のような囁きが、世界の何よりも鮮やかに響いた。
彼の体がちょっと離れ、温度が揺らめく。
濡れた瞳が交わる。
キスされた。
彼の口づけは、今までされたものとぜんぜん違う。
すべてが綺麗でやわらかな白い光に包まれ、自分がその一部になっていく――そんな心地がした。