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「色々な地獄があるけれど、陽が射す瞬間がある」芥川賞作家・川上未映子×映画『イノセント15』甲斐博和監督対談【後編】

 著書『ヘヴン』で、ひどいいじめを受ける“僕”とコジマが、少しずつ心を通わせながらも、辛い現実にさらされる様子を描いた川上未映子さん。映画『イノセント15』で、虐待を受ける少女・成美と、父親がゲイだと知り混乱する少年・銀の恋を描いた新進気鋭の映画監督、甲斐博和さん。前編に続き、社会問題にもなっている「虐待」や、人に拒絶された時の気持ち、作品の演出、『イノセント15』を見た上で『ヘヴン』について思うことについて、思春期の闇と光を描いたお二人だからこその視点で語っていただいた。

虐待による力の連鎖

川上未映子さん(以下、川上):成美が父親の家に行くところで、銀も一緒に行きますよね。電車の中では妙な開放感もあって。でも、家に着いてからは、銀がずっと外で待っていますけど、成美はそれをわりと気にしないんですね。

甲斐博和監督(以下、甲斐):多少は気にしていますけどね。

川上:でも、「待ってるな」くらいですよね。虐待を受けて、内面や自尊心に負荷がかかった時に、そのひずみが、いつ、どんな形で現れるかは、分からない。成美において、与えられた悪い力による危うさが、よく表現されていました。銀を好きだけれど、嗜虐性も感じられて、虐待の連鎖のようなものが示されていて、大人が子どもにしていることよりも、この2人が、その力を受けてどうなっていくのかというリアリティが圧倒的に強い。そう思わせてくれるような映画でしたね。強者から弱者へいう一方的な力の流れだけでなく、弱者間での移動や連鎖も感じました。

甲斐:川上さんと僕の決定的な違いは、親であるかどうか、だと思います。まだお子さんが小さいとはいえ、「親として」という視点がありますよね。

川上:そうですね。今はまだ、子どもの存在というのは自分の身体の一部で、それが外部にあるようなものなので、フィクションとはいえ、そのあたりの描写がちょっと見られないな、という時期ではありますね。たとえばそれが嘘でも、殴られているのを見ると、わりと辛くなるんですよ。恥ずかしい話ですけれど。現実の事件などになると、これはちょっと、どうにもならない。子どもの痛みを感じなくなった時が、子離れだと思います。

『ヘヴン』の拒絶のシーンから考えること

 斜視であることを理由に「ロンパリ」と呼ばれていじめられる“僕”と、家が貧乏で不潔だということでいじめられるコジマ。コジマからの手紙をきっかけに、心を通わせる2人だったが、コジマが好きだと言ってくれた斜視の治療を検討していることを“僕”が伝えると、傷ついたコジマに拒絶されてしまう。

甲斐:『ヘヴン』で、主人公がコジマに拒絶されるシーンですが、あの瞬間は、僕にも経験があります。

川上:どちら側の立場で?

甲斐:拒絶される側です。でも、その時、拒絶されたことを喜ぶ自分もいます。相手に嫌がられた瞬間を喜んでいるんです。

川上:快感があるということですか?

甲斐:相手が苦しんでいることを映画のように客観的に外から、ああいいな、と思っている自分がいます。それと同時に、切なくなる自分も。大切なものが失われて、二度と戻らないという気持ち。なぜそんな相反する気持ちが一緒にやってくるのか、自分でもよく分からないのですが。

川上:拒絶した側も、エネルギーを使うし、代償を払いますよね。そうやって相手が苦しんでいるのが気持ちいいということでしょうか?

甲斐:その瞬間にゾクッとしますね。

川上:喧嘩している時はどうですか?

甲斐:僕がひどいことを言って、相手が何も言えなくなった時もそうですね。

川上:それはありますよね。相手がうなだれるのを見て快感なのは。でも、自分が拒絶された時に、拒絶した相手の辛さを思って快感というのは、ねじれてますね(笑)。

甲斐:不思議な感覚ですよね。

川上:受け容れて、拒絶して、というスパイラル。

甲斐:『イノセント15』を作る時も、そのスパイラルを、回り続けるようなストーリーや、立ち去った成美が戻ってくるところ、どこにも行けない感じで表現しようと思っていました。

シーンの強度を上げるために、どんどん過激になってしまう演出

川上:作品を作っていると、主人公をどんどん追い込んでいきませんか? 私は『ヘヴン』を書いている時に、主人公の2人をどんどん追い込んでしまって、編集者に「もういじめないでください」と言われました。「もっと、もっと」となってしまうんですよね。

甲斐:そういう時は、「絶対にこの子たちを救う!」と思っているんですか?

川上:全体よりも、単純にそのシーンの強度を上げようとしてしまうんですよね。

甲斐:分かります。

川上:でも、一歩引いて見ると冷静にもなります。そのさじ加減も難しいなと思いました。体が痛めつけられるシーンは訴求力があるので、作り手も見る側も振り回されるというか。でも、映画の場合は、役者がいて、別の体があるから、文字とは違うかもしれないですね。

甲斐:文字の方が強いと思います。

川上:技術があればの話ですけど、何でもできますからね。撮影を始める時は、最終的なイメージはどんな風に考えているんですか?

甲斐:最初は全体像から考えるので、クールな気持ちでいるんですけど、今回は順撮り(シーンの順番どおりに撮影すること)ということもあり、物語が進むに連れて、僕自身も成美と銀に寄り添うようになりました。その中で、「この2人のためだけの映画でいいんだ」と思うタイミングがありましたね。2人に引き込まれながら、最後まで行ったという感じでした。

『イノセント15』を見たうえで改めて『ヘヴン』について思うこと

川上:色々な地獄があるけれど、陽が射す瞬間があるということ。『ヘヴン』は映像ではなく言葉ですが、主人公の歳も近いし、電車に乗って行くシーンは『イノセント15』と響きあっているなと感じました。地獄を書いていても、光がきらめく瞬間を書いてしまうのは、おそらくこのふたつは同根だからなんですね。

甲斐:僕は、登場人物の笑顔で終わるようなハッピーエンドよりも、言葉がなにもなくても、「日常に差し込む美しい光」の方が雄弁に語ることができるんじゃないかと思っています。『ヘヴン』の終わり方は、まさにそうですし、大好きな終わらせ方です。

前編はこちら】いじめ、母親からの虐待…思春期の闇と光、大人と子どもの間で揺れ動く15歳を描く意味とは? 芥川賞作家・川上未映子×映画『イノセント15』甲斐博和監督対談

■映画『イノセント15』

2016年12月17日(土)よりテアトル新宿にてレイトロードショー
2016年12月24日(土)より名古屋シネマスコーレにてロードショー
監督・脚本・編集:甲斐博和
出演:萩原利久、小川紗良
⇒公式サイト

■『ヘヴン』(川上未映子/講談社)

 斜視を理由にひどいいじめを受ける“僕”。ある日、家が貧乏で不潔だという理由でいじめられるコジマから手紙を受け取り、次第に心を通わせていく。苛めから解放される夏休みの初日に、コジマの提案で「ヘヴン」を見に行くことにした二人。コジマの新たな一面を知り、“僕”のコジマへの思いは強くなる。しかし、ふとした発言で“僕”はコジマを傷つけ、拒絶されてしまう。その後、久しぶりにコジマに会うことになったのだが…そこで思いもよらない事件が起きる。深く傷つき悩んだ末に“僕”が見たのは、想像したこともない光景だった。

取材・文=松澤友子 写真=山本哲也



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