博士なくして謎は解けない。英国で18.6万部!先の見えない超絶ミステリ――『カラス殺人事件』サラ・ヤーウッド・ラヴェット 文庫巻末解説【解説:大矢博子】

更新日:2023/11/30

田舎町の奇怪な殺人事件に美人学者が挑む。生き物トリビア満載の超絶ミステリ!
『カラス殺人事件』サラ・ヤーウッド・ラヴェット

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

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カラス殺人事件』著:サラ・ヤーウッド・ラヴェット 訳:法村里絵

『カラス殺人事件』文庫巻末解説

解説
おお ひろ(書評家)

 なんとサスペンスフルで、げき的で、そしてキュートな物語だろう。
 本書『カラス殺人事件』はサラ・ヤーウッド・ラヴェットのデビュー作で、二〇二二年にイギリスで刊行されるやいなやベストセラーとなった。すでに「ネル・ワード」シリーズは四作が刊行、六作目まで刊行予定が発表されている。
 それほどまでの人気を獲得した理由はお読みいただければわかる。海外のサイトでは本書をコージーミステリと表現しているところが多く、それはもちろん間違いではないのだけれど、決してそれだけではない多様な面白さが本書には詰まっているのだ。
 まずはあらすじから紹介しよう。
 イギリスの片田舎、クッキングディーンにある古いマナー・ハウス(中世ヨーロッパで荘園領主が建てた屋敷)の地下トンネルで、やかたの持ち主であるソフィ・クロウズの撲殺死体が発見された。警察がまず聞き込みに向かったのは、ちょうど彼女が殺されたとおぼしき時間帯に、同じ地下トンネルにいた生態学者のネル・ワード博士だった。ネルは付近の開発計画に伴い、ソフィから依頼を受けて周辺の動植物の生態を調査していたのだ。
 言われてみれば確かにネルがトンネル内にいるとき、レンガが落ちるような音を聞いた気がする。あれがそうだったのか? ネルは自分の調査記録を提出することでアリバイを証明しようとするが、警察は容疑者扱いをやめない。果たしてネルは自らの潔白を証明することができるのか。そしてソフィを殺した真犯人は誰なのか。ネルは同僚のアダムとともに真実を追う──。
 容疑をかけられたヒロインがそのスペシャリティを駆使して真相に迫る、と言ってしまえばよくある設定なのだが、本書にはさまざまな工夫が見られる。まずは職業小説としての面白さだ。ネル・ワードはコウモリを専門とする生態学者で、その知識や情報が実に興味深いのである。生態学者がどのように調査を進めるのかというベーシックな情報から、たまたま保護したコウモリを治療して野生に帰すまでの世話の様子、開発という生態系保持とは逆のプロジェクトにかかわる際の考え方、若い女性がふんについて熱く語るというマニアならではの場面に至るまで、生態学者としての描写が実に細やかでリアリティがある。美人だと好意を持った重要参考人が、のたくるミールワームの頭を爪切りばさみで切り落とし、ドロッとした内臓をまみれのコウモリに与えるのを目の当たりにした刑事の心情たるや、思わず笑ってしまった。本書を読めば読者もコウモリについて「へえ」と思うような多くの知識を得ることになるだろう。
 それもそのはず、著者のサラ・ヤーウッド・ラヴェット自身が生態学者として十六年のキャリアを持つ専門家なのだ。本書の終盤には生態学者が法廷に立つ場面があるが、サラ自身もこれまで専門分野での証人を務めたことがあるという。リアルなのも当然だ。そういった専門知識の描写が謎解きにかかわってくるくだりは大きな読みどころだ。
 ふたつめは人間模様の面白さ。同僚のアダムとなんとなくいい感じのネルだが、後輩のエリンが露骨にアダムを狙っている。しかもアダムもまんざらではないっぽい。そこへ現れたのが刑事のジェームズだ。ジェームズはネルにほぼひとれ、ネルも彼に好印象を抱く。だが同時にネルは容疑者筆頭であり、ジェームズはプロとして彼女を疑わなくてはならない。
 ネルをめぐる恋愛問題だけではない。警察のチームの様子であったり、仕事とは関係ないネルの交友関係の話であったりと、ひとりひとりがコミュニティの中で暮らしているひとりの人間である様子(と同時にプロフェッショナルである様子)がしっかりとページから立ち上がってくるのである。
 特にロマンス展開はにやにやしたり切なくなったりと楽しくも焦ったのだが、これが物語に見事な緩急を生んでいる。これがみっつめの面白さである読者を飽きさせない展開の妙につながる。容疑者として疑われるネルの心情や彼女だけが気づいた情報がつづられるパートと、ネルだけでなく広範囲に捜査を行う警察のパートが交互に登場し、読者だけがすべてをかんして見ることができる。そしていよいよ容疑がネルに絞られ、あわや逮捕かとなったとき──
 ここで! 思わず「えっ」と声が出てしまうほどの意外な事実がわかるのだ。そしてそれがわかったとき、それまでに感じていた小さな違和感の正体が判明するのである。同時に読者はに落ちるだろう。そうか、著者はこれがやりたかったのか、と。
 本書のターニングポイントと言っていい。
 驚いていただくためにここに具体的に書けないのがなんともれったいのだが、人は人をどこで判断するか、という大きなテーマがこの物語には隠されている。私たちは人を判断する時、純粋にその人だけを見ているだろうか? その人に付随するさまざまなこと──他人の評価であったり、職業であったり、国籍や年齢、性別、見た目であったりはその判断に影響を与えてはいないだろうか?
 そういった「その人に付随するもの」もまた、その人物の一部であることは間違いない。人は他者を、コウモリの種類を分別するようには切り分けられないものだ。だが、本書を読むと考えてしまう。その「付随するもの」がなかったら、あるいは後になって知らなかった「付随するもの」が出てきたら、その人への評価は変わるだろうか。
 ここで明かされる事実は、おそらく第二作以降では周知の事実として最初から設定に入ってくるだろう。したがってこの戸惑いを登場人物たちと一緒に悩み、しやくできるのは本書だけのはずだ。ぜひ一度立ち止まって考えてみていただきたい。この中盤の意外な展開を、あなたは痛快だと感じるだろうか。それともずるいと思うだろうか。いずれにせよ、その第一印象も話が進む中で変わっていくはずだ。
 他にも読みどころは多い。イギリスの片田舎の自然の描写、生活感あふれる登場人物たちの楽しい会話、英国ミステリならではの社会システムの描写などなど。ある人物を追跡するのに高速道路を二百キロでかっ飛ばすシーンもあれば、銃口がアダムに向けられる場面もある。コージーにしてサスペンスフル、知的にして躍動的、ロマンティックにしてシビアな一冊なのだ。
 なお、本書の原題 “A Murder of Crows” はそのまま被害者の名前であると同時に、「カラスの群れ」というイディオムでもある。群れは一般的には “a flock of” が使われるが、一部の動物にはその特性から固有の単語が使われることがある。たとえばライオンの群れはその堂々たる様子から “a pride of lions”、フクロウは賢者のイメージから “a parliament(議会) of owls” だ。カラスはなぜ murder なのかはっきりした語源は不明だが、カラスそのものが持つ不吉さに由来すると言われている。本書で「群れ」とは何を指しているのか考えてみるのも面白い。
 続く第二作 “A Cast of Falcons” では、ネルの旧友の結婚式で殺人事件が起きる。本書を最後までお読みになった方には、誰の結婚式で、そこには誰がいるかというのもすでにお分かりだろう。falcon とはハヤブサのことで、以降、タイトルには(予定も含め)、ネズミ、毒蛇、野うさぎ、ちようと動物の名前が並ぶ。ネル、アダム、ジェームズの関係がどうなるのか、あの事実が彼らの仲にどう影響するのか(物語の舞台がぐっと広がるのは間違いない)、そしてそれぞれの巻でどのような生態学の情報が事件にかかわってくるのか、期待は尽きない。続刊の訳出が今から楽しみだ。

作品紹介・あらすじ

カラス殺人事件
著:サラ・ヤーウッド・ラヴェット 訳:法村里絵
発売日:2023年11月24日

博士なくして謎は解けない。英国で18.6万部!先の見えない超絶ミステリ
生物学者ネル。博士の知識なくして、この謎は解けない。
英国でシリーズ累計18.6万部突破!
英国Amazon高評価3500件以上 (2023年10月現在)
田舎町の奇怪な殺人事件に美人学者が挑む。生き物トリビア満載の超絶ミステリ!
解説・大矢博子

ネル・ワード博士の専門は生態学。断じて殺人ではない。しかし英国の田舎町の荘園領主ソフィ・クロウズが殺され、事態は一変。現場で動植物の調査をしていたネルは第一容疑者になる。ジェームズ刑事からの疑いを晴らすために、同僚のアダムとともに生き物の専門知識を駆使して真犯人に迫るが…。これは何年も前から仕組まれてきた罠なのか? サスペンスフルでキュートで知的。先が見えない超絶コージーミステリ。

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