「私たちにはヨシタケさんの絵本がある」“やばいもの”から逃げ、“もしものせかい”を夢想させてくれる、ヨシタケシンスケの絵本2作【書評】
PR 公開日:2025/2/18

〈よのなかには、いろんなひとがいる。〉という一文で始まるヨシタケシンスケさんの絵本『にげてさがして』(ポプラ社)。上手も不得意も人それぞれで、みんな補い合って生きていければいいよね、というのがたいていの絵本に描かれることじゃないかと思うけど、人がたくさんいれば必ず「想像力を使うのが苦手な人」にも出会うのだ、というぴりっとしたページが、わりと最初のほうに描かれる。想像力がないから、人にひどいことを言ったり、したりするその人を受け入れましょうではなくて「出会ったら、自分を守るために逃げるしかない」と教えてくれるのが、ヨシタケさんのすごいところだ。

ヨシタケさんは、世の中の善意も悪意も、平等に信じている。というより、あたりまえに「在る」と知っている。現実は自分の望んだようには動いてくれないし、夢は必ず叶うわけじゃない。でも、だから、ままならない現実をどうすれば、自分を損なうことなく生き抜くことができるのか。視点を変えて現実の受け止め方を工夫するやり方を教えてくれる絵本も、ヨシタケさんはいくつも描いているけれど、『にげてさがして』は、どんなに工夫したってどうにもならないこともあるからとにかく逃げろ、と言ってくれる。〈きみの足は「やばいものから逃げるため」についているんだ〉という一文は、身も蓋もなくて笑ってしまうけど、同時に泣きたくもなってしまう。そうだ、あのときも、あのときも、逃げてよかった。次に「やばいもの」に出会ったら、四の五の言わずに全力で逃げていいんだと、救われたような気持ちになる。
ただ逃げろ、というのではない。足は、逃げるためだけでなく「探す」ためにもついているのだということも本作では描き出す。自分を守ってくれる人、自分をわかってくれる人。工夫や努力は、その救いを探すためにだけ、費やせばいいのだと。

その存在は、現実のどこかにいるかもしれないし、ヨシタケさんの絵本の中で見つかるかもしれない。たとえば、『もしものせかい』(ポプラ社)は、まさに「自分を守る」ための心持を教えてくれる作品だ。
「もしもあのとき……」と誰もが一度は後悔とともに思い浮かべたことのある、ありえたはずの世界は、いつも自分の心の中にあるのだとヨシタケさんは言う。もしもあのとき、こうしていたら。後悔が見せるのは、こうありたいと願う自分。つまり、希望だ。もしも、こういうことができたら。その夢想も、もしかしたら未来の可能性に変わるかもしれない。たとえ、実現しなくても、「もしも」のイマジネーションを胸に抱いているだけで、私たちはほんの少し、心に明かりをともすことができるのだ。

〈もしものせかいは、きみだけの、きみのためのエネルギーのかたまりだから〉。そんな一文が、本作の中にはある。私たちの足も、心も、全部が全部、できるだけ心地よく、笑って生きるために使えばいい。そんなふうに、自分をゆるす気持ちが自然と湧く。大丈夫だと、言ってほしい。味方がほしい。そんなときは、ヨシタケさんの絵本を読むに限るのである。
文=立花もも