伊坂幸太郎の魅力を全部乗せ!“未来を観る力”で、誰かを、自分を救えるか?読者も巻き込み物語を作りあげる小説『ペッパーズ・ゴースト』【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/4/14

ペッパーズ・ゴースト伊坂幸太郎/朝日新聞出版

 小説において「未来をみることのできる能力」は、目にする機会の多い設定ではないだろうか。その能力を使い問題解決に挑む、という流れまでがセットだとも感じる。そんな馴染みのある設定や流れも、伊坂幸太郎氏の手にかかればひと味もふた味も違うものになる。『ペッパーズ・ゴースト』(朝日新聞出版)を読み、そう感じた。本作は、2021年に発表された長編小説で、「伊坂氏の作家20周年超の集大成」と言われている。2024年12月には文庫版も刊行された。

 物語の主人公は、過去の出来事に囚われている中学の国語教師・檀千郷。ある条件下で他者の未来を少しだけ観ることのできる、「先行上映」という能力をもつ。ある日、檀先生は生徒・布藤鞠子から自作小説の原稿を渡され、戸惑いながらも読みはじめる。また別の日には、先行上映により生徒・里見大地の危機を回避するのだが――。

 本書は作中作である生徒の自作小説と、檀先生の話が交互に語られ進む。自作小説に登場するのは、猫を愛する二人組「ネコジゴハンター」の「ロシアンブル」と「アメショー」だ。彼らは、猫を虐待する様子をSNS上で配信していた「猫ゴロシ」の視聴者たちに復讐している。小説における作中作の扱いは多様だ。あらすじや存在のみにとどめる場合も多い。しかし本書では、登場人物やストーリーも緻密に作りこまれている。動物虐待の問題に向き合いつつ対照的な性格の二人の会話に、筆者も時折口もとを緩めながら読み進めた。

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 一方、檀先生は生徒の危機回避後、爆弾テロ「カフェ・ダイヤモンド事件」の被害者遺族の集まり「サークル」と知り合う。なぜ自分たちばかり大切な人を奪われるのか、なぜあいつは、何事もなかったかのように日常を送っているのか――。セリフや描写から、彼らの怒りや悲しみ、やりきれなさが痛いほど伝わってきた。

 人生を降りたいが勇気もきっかけもない。そんな彼らが、再び大切な人を奪われたことにより、すべてを終わらせようと動きだす。檀先生は、その計画を知り彼らを追ううちに、サークルメンバーの数人が密かに立てていた別の計画も知ってしまう。計画を実行すべく飛び出していったサークルの一人が、過去に自分が救えなかった生徒と重なり、檀先生は迷った末に追うことを選択するのだ。彼のためにも、そして自分のためにも。

 表面的には接点のないように思える「ネコジゴハンター」と檀先生の話だが、互いをつなぐ伏線はさまざまな箇所に張り巡らされている。そして平行線に見えた物語は、思いもよらぬところで交差する。その瞬間に遭遇したとき、目を見張り高揚感に包まれた。だが、本書に施された仕掛けはこれだけではない。

“「ここが小説の中ですか?」”
“「僕にはそう思えるよ。ここを読んでいる誰かがいる。試合を観ている僕たちのように。」”

 本書には、私たち読者について触れる場面も点在する。存在をほのめかしたり、こちらに語りかけたり。そんな彼らの言葉に心を傾けていると、しだいに現実世界と物語の境目が薄れてゆくのを感じる。不思議と、一緒に物語を作りあげているような気持ちになるのだ。ぜひ、あなたにもこの感覚を味わってもらいたい。そして、檀先生と共に本書の結末を見届けてほしい。

文=鶴田有紀

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