父から虐待を受ける少年と指名手配犯。間違った「道標」に導かれた者たちを描く、芦沢央『夜の道標』をレビュー
PR 公開日:2025/5/13

道標、というのは、誰かが迷うことのないよう進むべき方向を教えてくれる存在のことだ。わかりやすい矢印の書かれた看板がなくても、灯りが見えればそこに人が住んでいることがわかるし、世の中でなんとなく「こうあるべきですよ」と価値観が共有されていれば、それに従っている限り、間違いを犯すことはない。……と、私たちは信じている。でももし、正しい順路も、どうあるべきかも、何もわからない真っ暗闇のなかで、唯一の道標が示す方向がそもそも間違っていたら? 結果、悲劇が起きたとして、その責任はどこにあるのだろう。私たちがふだん正しいと信じて歩んでいる道は、本当に正しいのだろうかと、芦沢央さんの小説『夜の道標』(中央公論新社)を読むと、ぞっとしてしまう。
本書に登場する、小学6年生の波留は、誤った道標に導かれて罪に手を染めてしまった少年だ。定職につかない父親との二人暮らしは、衣食住をまかなうのもギリギリで、どんなにバスケットボールが大好きで、とびぬけた実力があっても、波留には辞めるという選択肢しか与えられていなかった。けれどあるとき、父親は思いついてしまう。波留が事故で怪我を負い、「才能ある子どもの未来が絶たれた」というストーリーを用意すれば、慰謝料が手に入る。そして波留は、生活のために、当たり屋をすることになってしまうのだ。
才能に信憑性をもたせるため必死にバスケの練習をして、今度こそ死ぬかもしれない恐怖に晒されながら車に撥ねられ、大事な試合には出られないまま転校し、また同じことをくりかえす日々。波留は間違いなく被害者だけど、同時に加害者でもあることを自覚しているため、誰にも助けを求めることができないまま、追い詰められていく。
そんな波留が出会うのが、2年前に起きた殺人事件の犯人として手配されている阿久津という男である。被害者は塾の講師である戸川。誰もが匙をなげる問題児たちの学習意欲を引き出し、可能性を育てた実績があり、阿久津も世話になった男である。
戸川は、正しい道標だった。もともと「父親のようになりたくない」と、結婚にも子をもつことにも消極的だった阿久津が、元妻とのあいだに未来を思い描けるようになったのは、戸川に出会ったからだと語っていたこともあるという。それなのに、なぜ? 波留の窮状と並行して、その謎を解き明かす物語が描かれていくのだが……。
子どもにとって、親や教師は絶対に信じられる、いや、信じなくてはならない道標だ。けれど親や教師もまた、世間という道標に導かれて、決断を重ねている。そこに、間違いのない正しさなんて、あるはずがないのだ。大事なのはきっと、迷いなく進むための絶対的な存在ではなく、一緒に迷いながら考えてくれる誰かなのだろうと思う。そして、その誰かは複数必要なのだ。まぶしい光を信じすぎないために、自分と大切な人を守るための道を切り開くために。でも――そのために、どうしたらいいのだろう。波留は、阿久津は、どうしたらよかったのだろう。それぞれに罪を犯した二人を通じて、いつまでも考え続けることこそが、自分だけの道標になってくれるような気もするのである。
文=立花もも