瀬尾まいこ最新作『ありか』。作中に登場しない「椅子」が目を引く表紙。人気ブックデザイナー名久井直子が明かす、装画誕生秘話【瀬尾まいこ×名久井直子対談】

文芸・カルチャー

公開日:2025/6/10

母と娘の関係って、実は良好であることのほうが少ない

――本作では、シングルマザーの美空が、娘のひかりを全身で慈しみながら育てることで、母親に愛されなかった記憶から解き放たれていきます。あたたかくて優しい、けれどときに身を切られるようなさびしさと痛みをともなう物語。〈大切なものだけでなく、触れたくないものも含め、自分自身をここまで物語に描いたのははじめて〉と瀬尾さんはコメントも寄せていました。

瀬尾 読んでくださった方の感想からも感じるのですが、母と娘の関係って、実は良好であることのほうが少ないんですよね。私の場合は、美空さんほど重苦しいものを抱えているわけではないですし、80歳を超えた実母には、残りの人生を気持ちよく生きていってほしいと思いながら接してもいます。でも、だからといって、何ひとつ屈託がないわけではなくて。うちも母子家庭だったので、柄つきのティッシュは買ってもらえなかったなあとか、とっくに忘れたと思っていた感情や経験を、苦しかったり痛かったりしたものも含めて、一つひとつ拾い集めるようにしながら書いていました。

名久井 実をいうと、はじめて『ありか』を読んだときに、私はいったん、中断してしまったんです。というのも、美空に対するお母さんの「圧」が、あまりに苦しくて、読み進められなくなってしまった。身近に小さな子どもがいないので、やっぱり、二人の関係に自分と自分の母親を重ねてしまったんですよね。

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瀬尾 そこまで没頭して読んでくださったことが、嬉しいです。

名久井 これまでの瀬尾さんの作品からは、あまり感じたことのないタイプの重さだったので、驚きもしました。だからこそ「こうあれたらよかったな」という祈りに似た気持ちや、物語に描かれるあたたかい光に救われて、椅子というイメージも湧いてきたのですが……。今の若い方は、仲のいい親子が多いですけれど、わりと歳を重ねている親子は、瀬尾さんのおっしゃるとおり、いろんな葛藤を抱えているものですよね。

瀬尾 そうなんですよね。自分も親になれば、親の気持ちがわかるだろうかと思っていたけれど、実際、子どもを産んでみたら、私も美空と同じように「全然、わからへん」となって(笑)。親には感謝するものだとか、恩を返さなくちゃいけないとか、世間で言われるようなことも、全然、実感が湧かないんです。もちろん、子育てはしんどいことの連続で、絶望することだってあるけれど、幸せを運んできてくれる「かわいい」のかたまりを前に、感謝しなさいだなんて私はこれまでも、この先も、絶対に思うことはない。そういう気持ちを、書きたいなって。

――私は「親になったことがないからわからないんだ」と自分を責める気持ちになることがあったのですが、その苦しさも、溶かしてくれるような小説でした。

瀬尾 ああ、よかったです。本当に、親子っていろいろで。我が子でも相性が悪いということはあるし、そもそも子どもという存在自体が苦手な場合もある。そのせいで、親子関係を歪にしてしまうこともあるだろうけれど、どちらも、決して「悪い」ことではないんだなということも、書きながら感じていました。そういうことも含め、今作では、ネガティブな感情だからって出し惜しみはせず、いま描けるものは全部描き切ってしまおう、と思っていましたね。次のことなんて何も考えず、この小説をいいものにすることだけに集中しよう、と。

――子育てを手伝ってくれる、離婚した夫の弟・颯斗の存在は、どのように生まれたのでしょう?

瀬尾 やっぱり、どんなにかわいくても、娘と二人きりの密室で生活し続けると、息がつまってしまうので。風穴を開けてくれる誰かがいてくれたらいいな、って思いました。私自身、颯斗と同じように、親戚の誰かが結婚して、繋がりが増えていくのが、すごく嬉しいんですよ。離婚したからって、無関係の存在になるのもさびしいし。だから、美空とひかり、颯斗の3人みたいな関係があってもいいんじゃないかなと思いました。

――その感じが、先ほど名久井さんのおっしゃっていた「スカッと抜けがある」表紙の雰囲気にも繋がっていますよね。

名久井 そうですね。私が装丁をするときに意識しているのは、作品の温度と湿度に合わせるということなんです。『ありか』がこれまでの瀬尾さんの作品とは少し雰囲気が違ったように、同じ作家さんでも毎回、テイストや読み心地は異なるものだけど、どの作品にも通底する、その人特有の空気感というのもあるんですよね。この温度と湿度と風の時に、同じ思い出を頭に思い浮かべる……みたいな、ものすごく抽象的な感覚なので、説明しづらいんですけど。そういう、作家さんたちの持つ空気感と同じように、デザイナーにもそういうものがあるのかもしれません。

瀬尾 ああ、少しわかる気がします。名久井さんの作品って、シャープさが際立つときもあれば、ぬくもりがあふれる感じのときもあるんだけど、どの作品にもきっと、名久井さんにしか出せない手触りみたいなものがあるんですよね。

名久井 自分にできることが限られていて、手癖が出てしまっている、ということでもあるから、精進せねばとも思うのですが。『ありか』の場合は、瀬尾さんのもつ温度と湿度に親和性が高いものをきっと、荒井さんが生みだしてくださるだろうなあという信頼感があったから、お願いしたいと思いました。荒井さんはご自身でも物語を書かれる方で、物語の理解力がすばらしい方。どんなふうに受け止めてくださるのか楽しみでした。

瀬尾 荒井さんの絵を見ていると、才能っていうものを思い知らされる感じがするんですよね。技術があるのはもちろんなんですけど、こんな情景が、色遣いが、心に浮かぶということがすごいな、と。

名久井 絵も、物語も、自由なんですよね。私、荒井さんの絵本をいろいろと担当したなかで、『ゆきのげきじょう』(小学館)がとくに好きで。お父さんの大事な絵本を破いてしまった男の子が、傷心のなか、ひとりでふらふらと雪山に入っていったら転んで、くぼみのなかに落ちちゃうんです。そこで小さな人たちが営んでいる小さな劇場に迷いこんでいくというお話なのですが、装丁しながら、作品のあまりの美しさに感動してしまいました。でも、それよりさらに好きなのが『きょうはそらにまるいつき』(偕成社)で、『ありか』に通じるところがあるかもしれない、と思ったのもこの作品なんですよね。

――夕暮れどきの公園で、乳母車から赤ちゃんが空をみあげていると、まるい月がのぼってきて……というお話です。

名久井 赤ちゃんだけでなく、バレエの練習を終えた女の子のうえにも、仕事帰りの人や、熊のうえにも、みんなの空に丸い月があるということを描いた作品なんですけど、眺めているだけでめちゃくちゃかわいい。それに、本当に大事なのってこういうことなんだなということが、押しつけがましくなく描かれていて、尊いものに触れたような気持ちになれる。それから、イタリアの作家ジャンニ・ロダーリの詩に荒井さんが絵をつけた『空はみんなのもの』(ほるぷ出版)も、空には境界線がなく、世界中の人たちだって本当は隔てられてなんかいないはずなのに、傷つけ合って、戦争も起きて、ということの痛みを描いた作品なのですが、荒井さんの絵に落とし込まれると、これは自分たちのすぐ隣にある、幸せな時間を語る物語なんだなということが伝わってきて、沁みるんですよね。そういう、自分事に引き寄せてくれる感じも『ありか』にぴったりだなあ、と。

瀬尾 大きなテーマを掲げながら、日常を語っている。と同時に、私たちの小さな日常を語りながら、果てしなく広がっていく世界を描いている……。

名久井 そうなんです。その感動をくれるのが荒井さんの作品であり、アプローチは異なるけれど、瀬尾さんの物語にもそういうところがあるよなあ、と。

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