次世代の伊坂幸太郎!? 『イッツ・ダ・ボム』の井上先斗が切り開く、犯罪小説の新境地【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/6/20

バッドフレンド・ライク・ミー
バッドフレンド・ライク・ミー井上先斗 / 文藝春秋

 自信がほしい。これまでの長い人生の中で、何度そう思っただろう。自信は一朝一夕で身につくものではなく、歩んできた道のりの中で少しずつ培われていくものだ。よって、その道のり如何によっては、自信を育てる間もなく生活に追われ、空虚な日々を送る者もいる。井上先斗氏による新著『バッドフレンド・ライク・ミー』(文藝春秋)に登場する主人公・森有馬も、まさにその渦中にいた。

 ホストとして働いていた有馬は、客に飛ばれて300万円の借金を背負う。その後、逃げるように店をやめ、ウーバーイーツの配達員をしながら慎ましい日々を送っていた。自宅に100万円ほどのタンス預金があるものの、日常的に使う口座にはぎりぎりの金額しか入っていない。有馬は、常に漠然とした不安と焦燥に駆られていた。中学までは優等生だったが、高校で勉強についていけなくなり、大学で必修単位を取り落として留年が確定した。そこで何もかもがどうでもよくなり、大学を退学し、その後はじめたホストも結果的にやめる羽目になった。ゆるやかに転落していく有馬の様子は、派手なエピソードがないからこそ現実味を帯びている。

 ある日、ウーバーイーツの配達先で、有馬は同級生の茉莉と再会する。しかし、茉莉は有馬に気づくことなく他人行儀に接し、ドアを閉めた。そんな些細なすれ違いにさえ傷つく有馬だったが、やがて転機が訪れる。

 かつてホストクラブで目をかけてくれた先輩の紹介で、有馬は「ジン」と名乗る人物に出会う。ジンは一風変わった男で、真っ青なスーツを着込み、巧みな話術を持ち合わせていた。そこでジンは取りとめのない話をしたのち、有馬がほしいのは、「お金でもホストの立場でもなく、“自信”だ」と断言する。

「よかろう、与えてやる。ただし、困難な道のりにはなる」

 他者に自信をつけるのは、簡単なことではない。だが、ジンは「与えてやる」と言い切った。謎めいた自信と説得力に感化された有馬は、ジンが言う「7つの試練」に挑む決意をする。

 試練の内容は、さして難しいものではなかった。多少の手間はかかるものの、指示通りに動けばクリアできるミッションで、試練の段階が進むごとに報酬が跳ね上がる。最終的に7つすべての試練をクリアできれば、500万円の報酬を受け取れる仕組みだ。有馬は、のちに怪しさ満載の試練の終着点に気づき一瞬躊躇いを見せるが、レースから降りない。人生は選択の連続で、進むも引き返すも決めるのは本人だ。どちらを選ぶのも勇気がいる。だが、勇気を使う方向を間違えると、歯車のズレはさらに加速する。

「群れに混じりきれなくても、あちらの水槽にいたい」

 物語終盤、ある人物が言ったこの台詞が、深く胸に焼き付いている。「あちらの水槽」が何を意味するのか、ここでは明言しない。ただ、この台詞に込められた決意を手放したくないと思った。

 人生の歯車は、一度ズレるとどこまでもズレ続けてしまうことがある。だが、ズレを修復できずとも、生き直すことはできる。乗り換えが必要な道のりはもどかしいが、「決して遠いわけではない」のだから。

 本書の中で刻々と変化していく有馬を見ていると、人の愚かさと愛しさは同居し得るのだと気づかされる。正しさと罪、信頼と裏切り、出会いと別れ。何を選ぶか、選ばないか。決断の軸を他者に置いているうちは、自分の人生は歩めない。有馬が最後に選んだ道のりは、いわば茨の道だ。しかし、だからこそ、その道を“正解”にしてほしいと私は思う。

 松本清張賞を受賞した過去作『イッツ・ダ・ボム』では、グラフィティの存在と精神性を詳らかにした。鮮烈なデビュー作を引っ提げた著者が、今作はいわゆる「闇バイト」をテーマとして、犯罪小説の新境地に挑む。前作同様、緻密な情景描写でリアルな空気感を際立たせる本書は、歯切れ良く軽快なテンポで進んでいく。印象的な会話、後半で畳み掛ける伏線の回収、魅力的なキャラクター。さらに高いエンタメ性と読みやすさを兼ね備えた著者の作風は、“次世代の伊坂幸太郎”と呼んでも過言ではない。

 著者にしか描けない世界観に引き込まれたら最後、結末に辿り着くまで抜け出せない。人間の負の側面を直視しながらも、人の善意を信じたい。そんな著者の祈りにも似た思いが、波紋のように広がっていくことを願う。

文=碧月はる

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