太田紫織の新境地、「色」をめぐる温かな物語! 不思議なインク店の女性店主は、思い出や心の迷いを色に変える力があった――【書評】
PR 公開日:2025/7/8

多様性や個性が重んじられる時代とはいえ、どうしても人は自分と誰かを比べてしまい、劣等感にもさいなまれる。自信のなさから、人生を左右する大きな決断から目を背けてしまうこともあるだろう。そんな私たちに、シンプルだがとても難しい「自分を愛すること」のヒントを与えてくれるのが、本書『あなたの思い出なに色ですか インクの魔女と約束のガラスペン』(太田紫織/文藝春秋)だ。
『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』シリーズや、『後宮の毒華』シリーズなどが人気の太田紫織氏の最新作は、北海道・ニセコ町のインク店を舞台に人間の心の内側を描く物語。ガラス職人としての道に行き詰まり、故郷を出て北海道をあてもなく旅していた青年・三雲勇悟は、トラブルのさなかで黒猫に導かれ、「マツカリヌプリ洋墨堂」という不思議な店にたどり着く。そこは、店主でインクブレンダーの女性・望来七虹の調合する品を求めて全国から注文が来る、インク専門店。七虹は、人の感情や思い出から「色」を感じ取るという特殊な共感覚を持っていた。
三雲は、ガラス職人だった七虹の亡き夫が作ったガラスペンを割ってしまったことから、店の離れの工房兼住居で暮らすことに。三雲はマツカリヌプリ洋墨堂の店番をしながら、壊れたガラスペンの代わりの品を作ろうとする。七虹は、人の色にまつわる思い出を聞き、その色を再現する「おもひで洋墨」のブレンドも手がけている。インクの色を通じて店を訪れる人の思い出に触れる中で、三雲も少しずつ、自分自身に向き合っていく。
離れた父に複雑な思いを持つ結婚前の女性。大好きな祖母がくれた大切な色を思い出す大学生。家族愛とは何かに迷う、誰よりも愛情深い男性。そして、自分の力や夢を認められない三雲。彼らが色を通じて過去と向き合い、自分にとって大切なものを見出していく過程が、光や個性、人の魅力など、色にまつわるさまざまなテーマと共に描かれる。人生に迷う人を救うポジティブな言葉が幾重にも織り込まれた物語は、緻密で重厚ながら、とても開放的だ。だからこそ本書は、自分の個性や、やるべきことに悩むすべての人の心に刺さる。
これまで著者は、心躍るミステリーやファンタジーを通して人間の仄暗い部分も描いてきたが、本書では、人が人を思う気持ちに真摯に向き合っている。物語に登場する人々が抱える感情もすべてがポジティブなものではないが、本書は「そんなあなたがいいんだ」と、毎日を必死に生きるすべての人を肯定するような包容力を持っている。そんな優しい読後感は、太田紫織作品としては新鮮だ。とはいえ本作も、化学反応やニセコゆかりの作家の小説などが鍵となる、色をめぐる謎解きの展開が面白く、太田紫織氏のミステリー作品が好きな人も楽しめるだろう。
ニセコの自然や、三雲、七虹たちを見守る雄大な羊蹄山の描写は美しく、彼らがドライブで訪れる日本海側の名所やグルメにも心が躍る。三雲と一緒に、色の謎を探りつつ、自分の色を探す旅に出るような、温かく不思議な読書体験が得られる1冊だ。
文=川辺美希