“私”の背中を押したのは「下着のリメイク」依頼――。寺地はるなの新作は街の小さなテーラーで繰り広げられる、ささやかにしてあたたかい人生賛歌【書評】
PR 公開日:2025/7/10

子どもの頃からリボンが好きで、大人になった現在も頭のリボンがトレードマークの百花。商店街で小さなテーラーを経営する伯母・加代子に頼まれて、下着のリフォーム・オーダーを手伝うことに。それをきっかけに、百花の穏やかな日常は少しずつ変質していく――。
新刊『リボンちゃん』をはじめ作家・寺地はるなの紡ぐ物語には、日常のなかでふと立ち止まりたくなるような、ふくよかな余白がある。ドラマチックな事件や出来事で読み手の興味を惹くわけでも、際立ったキャラクターが物語をずんずん引っ張るわけでもない。けれど彼らの交わす会話や振る舞いが、こちらの心にすっと入り込んでくる。ああ、これはまるで私のことを書いているようだ……と。そして気づいたら、彼ら彼女らの心情にすっかりシンクロしている。そんな、やわらかな没入感がある。
“リボンちゃん”こと百花は、マイペースに生きている女性だ。倉庫を改装した雑貨店(彼女曰く「よくわかんない店」)で学生時代から働きはじめ、今や社長から頼られる存在だ。母の死後、再婚した父親とは適度な距離を保ちつつ、加代子をはじめ親しみを感じる人たちには、まっすぐに関わっていく。頭にリボンを付けるのを己のスタイルとしていること自体にも、彼女のゆるぎなさが表れている。尤も、百花自身は自分のことを「どんくさい」「鈍い」と評しているけれども。
そんな百花が好きなのは、可愛いものや綺麗なものだ。幼い時に母の下着を解体したのをきっかけに、手芸に目覚めた。目覚めさせてくれたのが、ほかならぬ加代子である。
本格的な洋裁技術を学びながら、女性であるために紳士服を作ることを許されなかった加代子。自分にそれを強いた夫が死んだ今は、日用品を中心に細々と営業を続けている。だけど、加代子の心にはずっと「服を作りたい」思いがあったのだろう。そうでなければ「フリルだとかリボンだとかレースだとかには興味がない」と言いながらも、下着のリメイク依頼を引き受けるはずがない。
百花からすれば、伯母さんのお手伝い。加代子からすれば、百花を相棒にする。新しいことをはじめるのは、それがなんであれ、ちょっぴり怖い。だけど、ひとりではなく誰かと一緒に踏みだすならば心強いというものだ。
かくして彼女たちは様々な案件を請け負う。年季の入ったビスチェを、どう生まれ変わらせるか? 転職祝いに贈るショーツに、どんな刺繍を入れようか? 依頼人の年齢や性格もさまざまなら、背景にあるドラマもさまざまだ。なんと百花の元恋人からの依頼までやってくる。
それを身に着ける人のことを考えながらデザインや布地、色に柄を決めていき、一針一針思いを込めて下着を作る楽しさ。相手に喜ばれる嬉しさ。それらを知るようになった百花は、これまでの百花ではなくなってゆく。そして穏やかだった日常に、変化の兆しが訪れる。その変化はけっして劇的にやってくるものではない。日々の営みを丁寧に、誠実にこなしていくうちに、だんだんと輪郭を持って立ちあがってくる。私たちが生きていくなかで変わったり、何かを決断する瞬間の多くが、日常のなかから自然発生するように。
そうして1年が経つ頃、気づいたら百花は、すごく遠くまで来てしまう。それは加代子にとっても、そう。過去の後悔や、誰かとのすれ違い、不確かな未来。それらを大切に胸に抱えて彼女たちは前に進む。読後に残るのは、大きな感動というよりも、じんわりと胸に沁みてくるあたたかさだ。
本作は著者のデビュー10周年の、記念作品だ。記念作にして新たな出発作でもある。寺地はるなは(も)きっと、これからさらに前に進んでいくだろう。
文=皆川ちか