東野圭吾「マスカレード」シリーズ最新作 文学新人賞の最終候補作の著者が殺人犯!? 新田の過去にも迫る重厚なミステリー【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/7/30

マスカレード・ライフ
マスカレード・ライフ東野圭吾/集英社

 人間は、生きていく上で何らかの仮面を被っている。東野圭吾氏の「マスカレード」シリーズで描かれる舞台「ホテル・コルテシア東京」を訪れるお客様も、みな例外なく仮面を被り、自分が選んだ役柄を演じきる。その様は、滑稽で、愚かで、懸命で、愛おしい。

『マスカレード・ホテル』からはじまる著者の大人気シリーズは、2025年7月30日に刊行された新著『マスカレード・ライフ』(東野圭吾/集英社)をもって5作目を迎えた。シリーズものではあるが、本書を含めたすべての作品が独立した事件を扱っているため、新作から読みはじめても存分に楽しめる。

 お馴染みの山岸尚美と新田浩介のバディは、本書においても健在である。ただし、新田は今作から刑事ではなく、ホテルの保安課長の立場に置き換わった。過去に、ホテル・コルテシア東京のフロント業務を務める尚美が事件に巻き込まれ、怪我を負った責任を取り、新田は刑事を辞めた。その後、ホテルの総支配人の計らいにより、新田は保安課長の椅子におさまる形となった。

 本書は、新田の高校時代の回想からはじまる。新田が通う高校で盗難騒ぎが起き、その犯人として新田が過去に親しかった友人が疑惑をかけられた。新田は友人の汚名をそそぐため真相解明に乗り出すが、友人は頑としてそれを望まない。弁護士である新田の父は、当時厄介な刑事事件を扱っていたが、息子の状況を知り、助け舟を出す。その際、父親の克久はこんな言葉を息子にかけた。

“まかり間違っても、感謝されたいなどと考えるな”

「何が大事かは人それぞれ」だと克久は言った。その言葉通り、新田が真相を解明したことで、新たな痛みが生まれた。だが、新田は怯まずに真相を求める道を選び続けた。彼がのちに刑事になったことが、その信念を物語っている。

 時は過ぎ、物語の舞台はホテル・コルテシア東京に立ち戻る。警視庁捜査一課の梓真尋と、捜査第一課管理官の渡瀬幸秀が、ホテル側に捜査協力を要請した。目的は、殺人事件の重要参考人の確保である。ホテルでは、近日中に文学新人賞の選考会が予定されていた。その最終候補作の作者が、被疑者の可能性が高いという。捜査対象者の名前は、青木晴真。青木は、本名のままで文学賞にノミネート作品を提出していた。

 青木は放浪の旅をしている最中で、住所不定のため現在地が掴めず、選考会もしくは授賞式に現れるのを待つしか身柄を確保する術がなかった。文学賞を青木が受賞するか否か。それにより、捜査方針は大きく異なる。だが、選考会の流れは時の運であるからして、先読みなど不可能だ。当然の如く、捜査は難航した。

 時を同じくして、ホテルに思いがけないお客様が訪れる。新田の父・克久である。克久もまた、上記の事件とは別の込み入った事情を抱え、新田が勤めるホテルに滞在していた。新田は事件の捜査と、父親が抱える厄介ごとの両方に追われるが、彼一人では担いきれない部分を尚美がさりげなくカバーする。まったく毛色の違う二人が、バディを組んだ途端に阿吽の呼吸になる様は、文句なしに爽快だ。

 本書では、現在進行形の捜査と過去の事件が並行して描かれる。どちらの事件もあまりに悲惨で、特に過去の事件においては、被害者、加害者共に、いっぺんの救いもない。ほかの選択肢があっただろうにと思いかけたが、加害者が弁護人に打ち明けた本音に触れ、私の思考は安全圏にいる人間の奢りであると思い知った。

“人殺しがよくないのはわかっている。だけどほかにどんな解決方法があったのか、いくら考えても見つからないってな。どうか教えてほしいともいっていた。”

 当然ながら、殺人は重罪だ。許されることではないし、回避すべき決断であろう。ただ、上記の加害者の問いに明確な答えを持てる人が、果たしているだろうか。渦中の人間にブレーキをかけ、真の意味で救い出す方法などあるのか。そのことをいつも考えるが、未だ答えは出ない。

 本書には、刑事から探偵に転身した能勢、捜査一課の梓刑事など、馴染みの顔ぶれが多数登場する。過去作を読破しているファンにとっては、それぞれの人物の変容も楽しめるのが嬉しい。特に、刑事から本物のホテルマンとなった新田の変化は興味深い。真相解明を信条とする彼が、お客様の仮面を守る側に立つ。そこに生まれる逡巡は、実にリアリティに満ちている。

“ホテルを訪れるお客様は仮面を被っている、ホテルマンはその仮面を尊重し、決して剥がそうとしてはならない――ホテルマンの鉄則です。”

 たとえ悲しい仮面であっても、本人が望む以上、他者が無理矢理剥がしてはならない。その鉄則を遵守しながらも、お客様の安全を第一に考えるホテル・コルテシア東京は、やはり「いいホテル」だ。仮面が守られる場所だからこそ、人は仮面を外し、素顔を見せられる。そんな場所にたどり着いたすべての“お客様”の未来に、どうか希望がありますように。新田と尚美がお見送りの際に述べる口上に重ねて、そう願わずにはいられなかった。

文=碧月はる

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