「ヒトコワ」とは一線を画す恐怖。青森県のP集落を舞台に、ミステリー要素も楽しめる因習ホラー【書評】
公開日:2025/8/23

『或る集落の●』(矢樹純/講談社)は、特定の土地にまつわる奇怪な体験談を集めたホラー短編集である。
伯父の家に引き取られ、青森県のP集落で暮らしていた姉。彼女の様子がおかしいという連絡を受けた主人公はP集落へ向かう。山奥の社のそばで再会した姉は、透き通るように青白い。彼女は痰が絡んだような割れた声でこう言った――「あの家(え)のわらしは、膨れで死ぬぞ」。
冒頭作『べらの社』から、ホラーとしての引力が凄まじい。因習ホラーだと事前に知って読んでいても、閉鎖的な村、薄暗い山道、青森弁の持つ響きといった要素群に、じわりと汗がにじむ。一作目から、日本的で湿度の高いホラーの魅力が強烈に伝わってくる。
そこから続く短編は、いずれもP集落に関連する物語である。『うず山の猿』、『がんべの兄弟』、『まるの童子』までが「P集落の話」として括られる連作短編で、色濃く集落の因習や怪奇現象が織り込まれている。読者は異なる時間軸で語られる事件や出来事を追いながら、集落にまつわる怪奇現象の全貌、その芯にあるものについて知っていくことになる。恐怖はもちろん、巧みに張り巡らされた伏線が明かされていくミステリー的な快感も味わえるのが本書の魅力だ。
続く『密室の獣』、『天神がえり』、『拡散にいたる病』は、これまでKindle版で個人出版していた本作が今回単行本化するにあたり、新たに加えられた作品である。この3作品は語りのスタイルや登場人物が異なるが、やはりP集落と深く関わっている。特に『天神がえり』は語り手の視点や構成、恐怖体験が異質なので、個人的に強く印象に残った。
最後を飾る『拡散にいたる病』は、古くから継がれてきた因習ホラーの世界観をベースに、現代的なジャパニーズホラーのギミックやテーマを取り入れて進化したような作品だ。ビデオテープに呪いを込める『リング』がその祖なのかもしれないが、“拡散”や“伝播”といったテーマが、ホラーというジャンルに与えた影響の大きさを再認識させられる。後味の悪さが糸を引く終わり方も、素晴らしい。
全編を読み通すと、まるで何冊もホラー小説を読んだような満足感が得られた。作者である矢樹氏と言えば、『撮ってはいけない家』が大ヒットしたことでも記憶にあたらしい。ホラーとミステリー双方に精通した作者の筆力が、本作にぎゅっと凝縮されている。
全編を通して、主人公を追ってくるモンスターのような、わかりやすく怖いものは登場しない。ひたひたとそこに潜む“何か”への恐怖……よくわからない、はっきりしないものへの恐怖が、代わりに全編を支配している。そして、その“何か”は、じわじわと実社会のなかに紛れ込んでくる。
怪奇現象ではなく人間の狂気や悪意をテーマとしたホラーを「人怖(ヒトコワ)」と称するが、本作が描くのは、それとも一線を画した別種の恐怖である。確実に人間ではない“何か”が、巧妙な手口と長い月日を経て人間社会に組み込まれていく可能性。その“何か”を知らずに、無自覚に関わり、自分のおだやかな生活が崩れ去っていくリスク。そういう「もしも」の恐怖を強く感じさせてくれる作品だった。
日本的な恐怖を好む方、または、伝統的でありながらも新鮮な読後感をもたらすホラーを求めている方は、ぜひ本書を手にとっていただきたい。ホラー好きなら、きっと深く刺さる読書体験になるはずだ。
文=宿木雪樹
