両片想いから両想いへ――内気な腕利きパティシエのお菓子と素敵な物語のマリアージュに癒されて。累計10万部突破の人気シリーズ第5弾【書評】
PR 公開日:2025/10/8

住宅街の一角に佇むパティスリーを舞台に、お菓子が結ぶ人びとの絆をあたたかくも香ばしい筆致で描く人気シリーズ『ものがたり洋菓子店 月と私』(野村美月/ポプラ社)。2023年秋に第一作が発表されるや、瞬く間に版を重ねて累計10万部を突破。その第5弾となる『いつとせの夢』(同)が発売された。
閑古鳥の鳴く店から、行列ができるほどの人気店へ生まれ変わった「月と私」。店を切り盛りするのは、内気ながらも確かな腕を持つパティシエの三田村糖花。そして、彼女が作るお菓子にまつわる物語を紡ぐストーリーテラーの語部九十九。ふたりは長らくの間、互いに惹かれあいながらも想いがすれ違ってしまう“両片想い”の関係だった。前巻でついに語部は糖花に告白するが、恋愛未経験の糖花は、生まれて初めての両想い状態にフリーズ。
“両片想い”から“両想い”となってゆく彼らの関係性の変化が、今回の大きな軸だ。
折しも季節は6月。梅雨の季節を迎えた「月と私」では、さわやかなミントフェアが開催される。チョコミントケーキをはじめ、ミントロールケーキやマカロンケーキにプチガトー。ミントを使ったさまざまな新作がショーウィンドウに並び、常連客も新しいお客さまも引き寄せる。
たとえば、仕事を抱え込みすぎてストレスが限界に達している会社員・砂羽。あるいは、競馬好きな恋人と最近ケンカが絶えない女子学生の瑞歩。かつてクリスマスイブに、店内で大騒動を起こした田中さん(『ものがたり洋菓子店 月と私 ふたつの奇跡』)も再登場。
ミントのソースがたっぷりかかったプリンを食べた砂羽は、気分がすっきりして、周囲にやさしい気持ちになれる。瑞歩は恋人と、ミルクレープとムラングシャンティをシェアして食べるうち、相手への想いを再確認して仲直り。チョコレートケーキ一筋だった田中さんは、妻の勧めによりミントチョコのおいしさに開眼する。
物語性のあるお菓子を糖花が作り、語部の語りと共に提供されるスタイルは、今回も健在。おいしいお菓子とすてきなストーリーのマリアージュには、彼らだけでなく読んでいる私たちも癒される。
糖花の妹・麦が、付き合いたてのBF・爽馬のおうちへ招かれるエピソードを挟んで、後半は新たな展開へ突入。語部が住むマンションの大家・さとこさんを中心とする、「月と私」の今後に大きく影響する、ある問題が浮上してくる。さらにそこへ「店の近くに不審な女性がいる」との噂が広がり、ちょっぴり不穏な雰囲気が漂うのだが……。
ストーリーはもちろんのこと、出てくるお菓子は今作も、なんともおいしそう。
青桃の甘露煮に、ダークチェリーのケーキ、シャンパン入りのヨーグルトムース。洋菓子という“物語を語る装置”をとおして、それを食する人の心情が繊細に、みずみずしく紡がれる。
そして終盤では、語部との新たな関係へ一歩踏みだそうとする糖花の勇気が垣間見える。彼と出会って1年。彼女は少しずつ、だけど巻を重ねるごとに確かに変わってきた。特に第1巻から見守ってきた読者にとっては、今巻のラストは、かなり胸に迫るものがあるだろう。
恋の甘さと切なさを織り交ぜながら、日常に潜んでいる小さな奇跡を丁寧に掬いあげる本シリーズ。ページをめくるたびに、かぐわしい香りが立ちのぼってくるかのようだ。
文=皆川ちか