病人にとって、文学は究極の「実用書」!? 患者が“痛み”を上手く言語化できるようになる、痛みのカタログ本【頭木弘樹インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/10/13

言葉にできないことばかりだから困った時には文学が必要

――私は幸い強い痛みに苦しんだ経験はあまりないのですが、この本は、文学で痛みを読み解く本として楽しんで読みました。

頭木 病人にとって、文学は究極の実用なんですよ。お医者さんに自分の病状を説明するという、生きるか死ぬかに関わる場面で、じつは文学的な表現が必要になるんです。たとえば、入院中、同じ部屋の方がお医者さんに「ここがズキズキするんですね?」と言われて、つい「そうです」って言ってしまった。でも、あとで僕たちに「本当はズキズキとは違うんだよね」と言うんです。それでみんなで「ちゃんと伝えたほうがいいですよ」「本当はどんな感じなんですか?」「ズキズキじゃないなら、ズーンとかですか?」とか話し合うけど、うまく表現できないわけです。

 そんな時、僕は中原中也の「サーカス」という詩を思い出して。サーカスのブランコがゆれるのを「ゆあーん ゆよーん」と表現しているんですけど、中学の国語の時間に習った時には、正直、「くだらない。これの何がいいんだろう?」と思っていたんです。ところが、いざ、痛みの新しい表現を考えなければならなくなってみると、「これはすごい!」と。揺れている感じをすごくよく表現していますよね。自分たちが必要としているのはまさにこういう新しい表現を見出すことなんだとわかりました。病人は詩人のようなことをしなければいけないんですよ。

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――痛みや体の状況を伝えるのに、文学的な表現が求められるわけですね。

頭木 血管が痛むという方が「血管の中をガラスの粉が流れる感じ」と表現したそうです。それがどういう痛みなのか、本当にわかることはできませんが、それでも、自分が経験したことのある血管の痛みと違うことや、想像を超えた痛みであることはわかりまするよね。すごく文学的ですけど、決して気取って言っているわけじゃなくて、必要に迫られて、切実にこう表現しているわけです。そういう表現は、自然と文学的表現になるんです。文学的な表現でしか表せない現実があるわけです。

 僕は、元々はまったく本を読まない人間だったんです。でも、病気になってから文学のすごさを知りました。文学は、困った人間には必須です。特に純文学は、作家たちが、まだ言葉になっていないことを言葉にしようと頑張って書いたものなので、痛みを抱えた時なんかには、すごく参考になりますね。

頭木弘樹さまインタビュー2

立ち直れない人のための本を書きたい

――痛みと人格の関連性についても書かれていて興味深かったです。頭木さんは痛みや病気を経験したことで、小さなことに幸せを感じるようになったそうですが、攻撃的になってしまう方もいますよね。

頭木 おっしゃる通りで、どうなるかは人によります。痛みを経験したけれど今は痛くないという方で、いろんな人の痛みを「甘い」と言って、より人に厳しくなる方もいます。でも、痛みに苦しんだわけですから、性格が歪んでしまうのは仕方ないですよね。むしろそちらが自然だと思います。僕が小さいことに幸せを感じるのも、全然、いいことじゃないですよ。痛くないだけで幸せなんて不幸です(笑)。「今日も何事もなくて退屈だな」とか思えるほうが本当に幸せな姿ですよ。

――確かにそうですね。ただ、頭木さんは、病気をきっかけに文学と出会って作家になり、人生を良い方向に切り拓いていらっしゃると思うのですが、ひねくれる方向や攻撃的な方向に行かなかったのはなぜだと思いますか?

頭木 僕もプラスなことばかりではなくて、本当に卑屈になりましたし、元の性格に戻りたいですよ(笑)。

――そうですか! 元々は、どういう性格だったんですか?

頭木 こんなに卑屈じゃなかったです(笑)。入院中の患者って、お医者さんや看護師さんに好かれないと生きていけないから、僕は良い患者であろうと頑張っていましたね。だから、モンスターみたいになる患者さんを密かに尊敬してましたよ。なんて命知らずな勇者なんだろうって。

――(笑)。

頭木 こうやって本を書いているのも、病気になって、ベッドの上で稼ぐ方法がこれしかなかったからです。崖から落ちる時に草にすがりつくように選んだ道なので、いいことでしょと言われても、正直ちょっとピンとこないです(笑)。

 でも、僕は入院中、自分の助けになる本がほしかったんですね。いろいろな本を読んだけれど、立ち直るための本ばかりで。僕は治らない病気なので、立ち直れないんです。立ち直れない人のための本がなかったのが、すごくつらかった。なので僕は、倒れたままでどう生きるかという本を出したいという思いが一貫してありますね。

――絶望した時や、立ち直れない時に、作家自身も倒れた状態で書いたような文学作品が救いになりますよね。

頭木 文学の古典はそういうものが多いんですよ。人間の心底暗い気持ちがとことん書いてあるのは、文学だけです。究極のところで必要になる作品が、長い時代を経ても今に残ってるんだと思いますね。