古内一絵の人気シリーズ「マカン・マラン」最新作。台湾の食文化と歴史背景を通して描かれる、平和への祈り『女王さまの休日-マカン・マラン ボヤージュ』【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/10/21

女王さまの休日-マカン・マラン ボヤージュ
女王さまの休日-マカン・マラン ボヤージュ(古内一絵 / 中央公論新社)

「台湾」という土地に、強い憧れを抱いている。この目で艶やかな景色を眺め、現地の生活に触れたい。そんな希望を抱いたまま、未だ叶わぬ「いつか」を持て余す私の前に、とある物語が差し出された。古内一絵氏の人気シリーズ「マカン・マラン」の最新作『女王さまの休日-マカン・マラン ボヤージュ』(中央公論新社)である。本書の舞台は、台湾。食、文化、人間模様が鮮やかに映し出される物語は、あっという間に読み手を憧憬の地へと引きずり込む。

 ドラァグクイーンの店主と、そこに集う常連客やお針子たち。著者が描く夜食カフェ「マカン・マラン」は、今年で開店10周年を迎える。累計23万部を超えるベストセラーシリーズは、体にも心にも優しいレシピの数々や、西淑さんのイラストの魅力も相まって、多くの人に愛されてきた。10周年を記念して、9月には第1作目が豪華特別限定カバーを新たに纏い登場。装丁に描かれるのは、大きなバースデーケーキ。シリーズ誕生を祝うイラスト付きポストカードが同封されている点も心憎い。また、11月には第1作目の文庫化も予定されている。

 新作となる本書は、第1作の「世界で一番女王なサラダ」に登場する安武さくらが冒頭のエピソードを飾る。そのほか、物語後半では三ツ橋璃久の“その後”にも触れており、古参のファンにとって嬉しい心遣いが満載だ。もちろん、本書から読みはじめても存分に楽しめる1冊となっている。

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 ライターの安武さくらが、「女性の一人旅」をテーマに台北を取材することになった。そこに、「マカン・マラン」の店主であるシャールと、シャールの妹分を名乗るジャダが同行する流れとなり、台湾旅行の幕が開く。

 さくらは、初の海外取材を任され、喜びに胸を躍らせるも、一抹の不安を抱いていた。「安武さん、調子に乗ってるよね」という同世代ライターの揶揄。「安武さくらの書く記事は、王道すぎてつまらない。ありきたり」との辛辣な“ご意見”。それらが常に脳裏に付きまとい、旅の最中に幾度となく影を落とす。

 同じライター業を務める者として、さくらが抱える不安は痛いほどわかる。公開された記事は容赦なくジャッジされ、経済的には不安定で先が見えない。そんな不安と戦う現実は、まさに暗中模索の日々で、「誰かの正解」を求めて右往左往するさくらの姿に、深い共感を覚えた。

「台湾らしさ」とは何か。取材を進める中で、さくらは何度もその壁にぶち当たる。シャールの助言を契機として、台湾の歴史背景に向き合う中で、さくらが掴んだ答えは、以下に置く第1作のシャールの言葉を彷彿とさせる。

“「苦しかったり、つらかったりするのは、あなたがちゃんと自分の心と頭で考えて、前へ進もうとしている証拠よ」”

 10年にわたり描かれる「マカン・マラン」シリーズは、どの作品においてもこの一節が根底にあるように思う。迷い、悩み、立ち止まる。そこで生まれる葛藤を丸ごと肯定してくれる度量の深さが、本シリーズの魅力であり、物語の力だと感じる。

 さくらのみならず、シャールやジャタもまた、旅程において、台湾の歴史に思いを馳せる。太平洋戦争が終わるまで、長きにわたり「台湾総督府」の支配を受けていた過去。太平洋戦争終結から2年後に起きた二・二八事件。台湾は、“受難の歴史”という言葉で括ってしまうのが憚られるほど、壮絶な支配に晒されてきた。その背景を鑑みれば、台湾の人々が日本語に精通している理由を「親日」の二文字に託すのは、あまりにも安易である。

 とはいえ、誰もが歴史のすべてを正確に知り得るわけもなく、無意識のうちに植え付けられた偏見や思い込みが、事実を歪めてしまうこともあるだろう。大事なのは、「間違えないこと」ではない。「間違いを指摘されたとき、聴く耳を持てるかどうか」だ。シャールと現地ガイドのアンジーの対話が、そのことを示唆している。

“もう、本当の友情が育めなくなるような世界はまっぴらだ。”

 シャールの思いに込められた祈りは、著者自身の祈りでもあるのだろう。この思いに共鳴する人々が、世界中にいる。だから私たちは、この世界を諦めるわけにはいかない。

 本シリーズの魅力である食の楽しさは、本書でも健在だ。台湾グルメの定番ともいえる小籠包、腎の調子をととのえるピーナッツ豆花、ガチョウ専門店に、フルーティな台湾珈琲。「マカン・マラン」の留守を任された西村真奈が腕を振るう魯肉飯も忘れ難い。どのメニューも描写が繊細で、食文化の背景にあるものまでが克明に浮かんでくる。中でも、シャールが長安貴族のようないでたちで振る舞う工夫茶(コンフーチャ)の茶芸が眼前に迫る様は、圧巻であった。

 未だ見ぬ台湾の土地をシャールらと訪れたような錯覚に陥り、読後の余韻をじっくりと噛み締める。その味は、シャールが出張先の行天宮で出会った粥の味とよく似ていた。手間ひまをかけ、とろとろに煮込まれたポタージュのような粥が、すうっと荒れた胃にしみ込んでいく。滋味深い味わいに感銘を受けたシャールのように、美味しい物語を夢中で食む。

 疲れ果てた体と弱った心に、本シリーズは、いつでも温かな「おかえり」をくれる。その温もりに身を預ける安堵感を知っているから、私たちは何度でも帰ってくる。この不思議で素晴らしい夜食カフェ、「マカン・マラン」へ。

文=碧月はる

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