辻堂ゆめ「報道の裏側には“隠れてしまった事実”がある」デビュー10周年記念作品『今日未明』に込めた思い【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/11/5

「虐待」をエンタメの一部として消費しない。被害の実態に即した描き方を徹底する理由とは

――本書では5つの事件が描かれていますが、特に執筆が難航したエピソードはありますか。

辻堂:強いて言えば、「ジャングルジムとチューリップ」ですね。本章では、母親が生まれたばかりの嬰児を殺してしまう事件を描きました。主人公の彩絵は、いわば社会の勝ち組みたいな女性です。そんな彩絵が加害に至ったのは、本人の潔癖意識が立ちはだかり、これまで歩んできた生い立ちと目の前の現実が合致しなかったから。その過程を描く上で、嬰児殺害事件と、彩絵や夫の拓也の社会的属性とのギャップをどう埋めていくかというところが、一番時間がかかりました。

――「ジャングルジムとチューリップ」では、冒頭に置かれたニュース記事のほか、彩絵がネット上で見つけた“15年前のニュース記事”が登場します。この記事の内容も、詳細や背景は書かれておらず、「子どもが放火して親を殺した」点だけが伝えられていました。

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辻堂:加害者の背景にまで踏み込んでニュースを書く記者がいるか、それを載せる新聞社があるか、というところもあると思うんですよね。彩絵が見つけたニュース記事でいうと、「子どもが放火したきっかけはゲームだった」という部分だけが、センセーショナルに報道されてしまった。おそらく記者にとっても、読者にとっても、そこがもっとも耳目を引くポイントになるのでしょう。でも、それが必ずしも事実とは一致しない。報道の裏側には、このように「隠れてしまった事実」があると思います。

――「ジャングルジムとチューリップ」のほか、「そびえる塔と街明かり」でも虐待の描写がありました。既刊『サクラサク、サクラチル』(双葉社)では、教育虐待について克明に描かれています。虐待を物語のテーマに据える時、意識している点はありますか。

辻堂:虐待について描く時は、エンタメの一部として消費するような軽々しい使い方は絶対にしてはいけないと思っています。なるべくリアルな声に基づいて書くように意識していて、『サクラサク、サクラチル』では、虐待サバイバーの方の手記を読んで描き方を変えました。当初はあそこまでつらい描写にするつもりはなかったのですが、実体験を読むと、私の想像よりもはるかに酷いことが行われていて。この現実から目を背けて、虐待の現状を都合の良い形に変えて書くのは、問題に向き合えていないと感じたんです。

 虐待は、加害者だけではなく、被害者本人も隠しがちです。自分の家庭のおかしさに気づかないふりをして、これが普通だと思い込もうとしてしまう。だからこそ、目に見える形では表に出にくく、大きな事件につながるほど取り返しのつかない事態になって、はじめて真相を深掘りする人が出てきます。本当なら、そうなる前に芽を摘まなければいけないのに、現状がそうなっていないところにモヤモヤしたものを感じているので、本書でもその点を取り上げました。

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