細田守「アニメーションの義務は、未来に向けて子供たちを励ますこと」最新作『果てしなきスカーレット』を“今”描いた理由【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/11/18

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年12月号からの転載です。

 細田守が原作・脚本・監督を務める長編アニメーション映画『果てしなきスカーレット』が、11月21日より公開される。細田自ら執筆した原作小説は一足先に刊行され、話題沸騰中だ。この物語が2025年の「今」生み落とされた運命と必然について、お話を伺った。

ほそだ・まもる●1967年、富山県生まれ。金沢美術工芸大学卒業後、91年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。その後フリーとなり、2006年に公開した監督作『時をかける少女』が国内外の賞を総なめに。近作に『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』など。

今は「生と死」という問題が身近なものとして感じられる時代

 画(ルック)が違う。2Dのセル画と3DのCGが同一平面上でかつてない融合を果たし、全く新しいアニメーション表現となっている。紡がれていく物語は、かつてない壮大なスケール感。前作『竜とそばかすの姫』から4年ぶりの監督作となる映画『果てしなきスカーレット』は、細田守史上もっとも劇的な作風の変化が生じている。

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「今回の作品で急に変わったというよりは、今までの作品ごとにいろいろな実験と挑戦があって、その積み重ねで少しずつ変化してきました。『時をかける少女』(2006年)は学校という身近な場所を舞台に、若い人特有の気持ちにフォーカスを当てた小さな作品でした。そこから始めて、作品ごとに徐々に舞台も大きくなっていき、人生のより大きな部分を見つめるようになり、映像的にも、それに見合うような表現ができるようになっていった。その果てに生まれたのが、『果てしなきスカーレット』だったんです」

 過去作では現代の日本を舞台にしてきたが、今作は16世紀末のデンマーク。国王である父の仇への復讐に失敗した19歳の王女スカーレットは、《死者の国》で目を醒ます。そこでは国境はおろか、時空や生死をも超えた人々が集い、争いが絶えない狂気の世界。仇敵への復讐のチャンスがまだ残されていることを知ったスカーレットは、荒れ果てたその地を歩み出す。現代の日本からやってきたという看護師・聖と出会い、共に旅をすることになり──。

 物語の着想が芽生えたのは、2022年3月頃。ロシアがウクライナに軍事侵攻し、コロナ禍の時代から戦争の時代へと、世界が変貌を遂げた時期だ。

「コロナ禍って、しんどい時期だからこそかえって世界中で協力し合っているような雰囲気が芽生えていたと思うんです。ところが、コロナが一段落した瞬間から戦争へとなだれ込んでいった。その落差もまた、衝撃だったんじゃないかと思います」

 これまでも戦争は起こり続けていたが、以前とは違いネットやSNSが発展した社会に生きる現代人は、戦争や政治にまつわる情報が、自分から意識的に取りに行かずとも目に入る。入ってしまう。

「最近も学生たちと話をしていて感じたんですが、今までにないぐらい若い人たちが不安になっているような時代だと思います。もちろん僕ら世代も若い頃、ノストラダムスの大予言で世界が終わるだの言われていましたし、現実にも冷戦による核戦争の恐怖にさらされて、不安は感じていたんです。でも、今の若い人たちが抱えている不安は明らかにフェーズが変わっている。コロナがあり戦争があり、『生と死』というものが遠くのどこかの問題ではなく、ある意味で非常に身近な問題として感じられるようになっている。映画は時代を反映するものだと思います。今の人たちが興味を持っていることを、物語にして提示するという側面がある。今映画を作るのであれば、これだなと思ったんです」

主人公に同行する人は利他的な人であるべき

 本作は、物語の大枠やセリフの端々に、ある古典的物語へのオマージュが大胆に取り入れられている。シェイクスピアの戯曲『ハムレット』だ。父であるデンマーク国王が急死し、叔父が母を妃として新国王となったことに王子ハムレットは苦悩する。父の亡霊から、死の真相は叔父による暗殺だったと聞いたハムレットは、叔父に復讐を企てる……。シェイクスピア悲劇の最高傑作とも称される物語だ。

「世界では今いろいろな争いが起こっていますが、その背景には往々にして歴史的な遺恨があります。やられたからやり返すんだ、という報復の連鎖がある。つまり、復讐です。このことについて物語はどんなふうにテーマにしてきたんだろうと振り返ってみた時に、復讐劇の元祖といえば『ハムレット』だとなっていったんです」

『ハムレット』に登場する有名なセリフ「To be, or not to be」は一般的に「生きるべきか死ぬべきか?」という訳で知られているが、物語の文脈に寄せるならば「復讐すべきか、すべきではないのか?」という意味を持つ。

「その『ハムレット』の命題は、もっと大きな言い方をすれば、人間の命題ですよね。その命題を、別の言葉で言ったらどうなるんだろうということが、この映画でやってみたかったことです。復讐をしてその相手を倒せばスカッとするけど、〝その人の人生ってそれだけで終わっていいの?〟と思うわけですよ。それって本人が望んでいるものなんだろうか、本当に願っていることは別なんじゃないか。個人として考えてみても、もしも自分の娘が自分の復讐のために人生を生きるとしたら、あまりにももったいないと思うんです」
復讐にとらわれたヒロインの心を、いかにして溶かすか。キーとなる存在が、現代日本から《死者の国》にやってきた青年・聖だ。

「『ハムレット』の他にもう一つ、着想の元となったのはダンテの『神曲』なんです。主人公のダンテは、ベアトリチェという憧れの子の案内で一緒に死者の国を旅するんですが、歴史上のさまざまな有名人たちと会うんですよ。高校の頃に初めて読んだ時、〝これってタイムリープじゃん〟と思った記憶があったんです。それもあって今回、スカーレットの旅のお供として誰かを当てたいなと考えた時に、タイムリープの要素が入ってきました。聖が復讐はやめろと言ってくれるからこそ、スカーレットは人生を復讐だけに捧げるべきではないんじゃないかなと、疑いを持ち始める。未来からやってきた聖という存在そのものが、今とは別の世界であったり、別の人生の可能性をスカーレットに突きつけてくるんです」

 映画の予告編でも採用された、聖がスカーレットに言う「生きろ」という言葉は「殺すな」と同義だ。敵を殺すな。自分の心を殺すな。物語を突き抜け、世界中に響いていく言葉だ。ところで、聖の職業はなぜ看護師だったのだろう? コロナ禍でエッセンシャルワーカーの存在が注目されたことが反映されているのだろうか。

「実は2020年の年末に、コロナにかかって入院したんです。看護師のみなさんに本当にお世話になったんですよね。その時に、看護師になる人って、才能が必要だと思ったんです。自分を犠牲にしてまで他人のために力を尽くす、という才能です。言い換えるならば、利他的。復讐しようと思って目が釣り上がっている、ある意味で非常に利己的になっているスカーレットに同行する人は、徹底的に利他的な人であるべきだと思いました。自分の体験からの必然として、聖は看護師になったんです。今は世界的に利己主義というか自国第一主義、自分さえ良ければ良い主義みたいなものが正当化されていますよね。でも、この映画のために歴史についていろいろ勉強して気付いたことなんですが、利己主義をイデオロギーとして掲げた王朝とか政権って、短命なんですよ。利他主義って一見おめでたいような、綺麗事のように思うけども、人類の生き延びる術でもあるんですよね」

未来の価値が下がっている 未来を怖がっている時代に

 今年、細田は監督代表作『時をかける少女』(原作・筒井康隆、脚本・奥寺佐渡子)を、初めて小説化した。8月に『時をかける少女 A Novel based on the Animated Film』というタイトルで単行本刊行された同作の執筆作業とほぼ時を同じくして、『果てしなきスカーレット』の小説も執筆している。現在時制の舞台となった中世ヨーロッパの歴史的背景や、スカーレットの心情描写、タイトルに掲げられた「果てしなき」という一語の意味などが、小説ではくっきり書き込まれている。

「映画を観た人が、小説も手に取って、映画を追体験してくれたらいいな……と願って書いているものなんですよね。なので、ぜひ小説を読んでまたもう一度映画を見たいと思って欲しい(笑)」

アニメーションの義務は未来に向けて子供たちを励ますこと

 2作にがっつりと向き合ったことで、映画と小説という表現ジャンルの違いを痛感することになったという。

「例えば、小説は登場人物たちの内面が大事なんです。何を思ったかが書かれていなければ話にならない。その思ったことに対して、読者が何か感じることが小説の表現。内面が必ずしもストーリーを進めるわけではない、という作りなんです。でも、映画はそれではダメなんですよね。映画ってストーリーが転がっていくことが大前提。状況が展開する必要があるし、主人公が変化しなければいけない。何を思ったかは、映画では特に大事ではないんです。力点がだいぶ違うというか、小説で描いていることと映画で描いていることは別なものなんだなと改めて思いました。なので同じタイトルのものでも、小説と映画を交互に見比べていただくと、また別の面白さが立ち上がってくるんじゃないかなという気がします」

『時をかける少女』の小説と『果てしなきスカーレット』の小説をほぼ同時期に執筆したことで、発見したことはさらにもう一つあった。19年の時を隔てた2作は、どこか似ている。共通点がある。

「『果てしなきスカーレット』の絵コンテを描いた後、プロデューサーの高橋さんから〝『時かけ』と似てるんじゃないか?〟と言われたんです。その時は〝何を言うんですか、全く似てないですよ〟と反論しました。でも、小説を書いているうちにやっぱり似ているなと自分でも気付いたんです。要はこの2作って、現在にいる女の人が未来にいる男の人と出会うことで、未来について考えて、未来を作り直そうとするという話なんです。『時かけ』を作る時に筒井康隆先生から受け取ったものの影響が今もあるんだ、その連続性の中に、この作品もあるんだ、と思うと感慨深いですね」

「2作に限らず、僕は形を変えながらずっと同じことを描いているのかもしれません。未来というものを今生きている人がどう考えて、その未来をどんなふうにしたいと願っているのか」と、言葉を続ける。

「子供って、未来そのものであるはずなんだけど、ないがしろにされている存在でもある。紛争地域だけではなく、今の日本でも、子供という存在が重要視されていないなと常々感じるんです。子供を育てるには社会がしんどすぎます、自分が生きることで精一杯です、という話についなってしまう。それは、未来っていうものの価値が下がっているのと同時進行で起こっていることだと思うんですよね。最近よく聞かれる保守化という言葉も、未来を怖がっていることの裏返しなんじゃないかな、と。変わらないことよりも、変わることの方が怖いし危険だ、と思っている」

 けれど、希望は、未来の中にある。未来をより良くするために今行動するという思いこそが、希望を作る。そのことを『果てしなきスカーレット』は、いや、細田守というアニメーション監督は描き続ける。

「これがもし実写映画だったら、何をやってもいいと思うんです。極端に言えば、この世は生きるに値しないほど酷い、という映画を作ったっていい。でも、アニメーションでそれは、やっちゃいけない気がするんですよね。アニメーションは本来、子供たちに向けて、子供たちを楽しませるために作られてきたもので、担われてきた役割がある。先輩たちがそのことを忠実に守って脈々と受け継いできた歴史がある。アニメーションは単なる技法なんだからという考え方もあると思うんですが、アニメーションを作るということ自体に、未来に向けて子供たちを励ますということが義務付けられてるというふうに僕は思うんです」

 子供たちを励ますために作られた映画が、大人たちをも励ます。その連鎖こそが、より良い未来を作るのだ。

「世の中の今現在の状況があったからこそ、こういう映画を作ることになった。これまでもそうでしたが、特に『果てしなきスカーレット』はその感覚が自分の中では強いです。だから、今この映画を観たら、たとえばガザ地区の子供たちのことを連想するかもしれない。けれどひょっとしたら10年後にこの映画を見たら、全然別の地域のその時苦難に遭っている子供たちのことを考えるかもしれない。人間が持ち続けている永遠の課題みたいなものに対して、主人公が目を背けずに向き合っているようにしたかったんです。そのことが、時代を越える普遍性に繋がってくれるはずだと信じて作っています」

取材・文=吉田大助、撮影=種子貴之

原作小説『果てしなきスカーレット』
著:細田 守
角川文庫 定価 946円(本体 860円+税)
https://kadobun.jp/special/scarlet/
10月24日(金)発売

児童文庫版『果てしなきスカーレット』
作:細田 守 挿絵:YUME
角川つばさ文庫 定価 946円(本体 860円+税)
https://tsubasabunko.jp/product/hateshinakisukarred/322505000194.html
10月24日(金)発売

映画『果てしなきスカーレット』
原作・脚本・監督:細田 守
https://scarlet-movie.jp/
©2025 スタジオ地図
11月21日(金)公開