教育実習生がラップバトル!? 第28回松本清張賞『万事快調〈オール・グリーンズ〉』の波木銅による初の独立短編集【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/12/10

順風満帆〈クラウド・ナイン〉
順風満帆〈クラウド・ナイン〉(波木銅/文藝春秋)

 退廃的でアンニュイで、はたからみれば、とてもまともじゃない。そんなどこか危なかしい青春を歩んだ人にこそブッ刺さる本がある。

 その本とは、『順風満帆〈クラウド・ナイン〉』(波木銅/文藝春秋)。第28回松本清張賞を満場一致で受賞し話題を呼んだ青春小説『万事快調〈オール・グリーンズ〉』の映画化が決定した波木銅による作品だ。本作はデビュー作のスピンオフを含む波木初の独立短編集。まともなだけじゃ生きていけない私たちにとって劇薬となる1冊だ。

 デビュー作のスピンオフ「順風満帆」で描かれるのは、東海村近くで開かれたとあるラップバトルイベントだ。地元に教育実習生として帰ってきた秦野結海は、実習に疲弊する中で、旧友に誘われてクラブを訪れる。そこで行われていたのがラップバトル。半ば強制的にエントリーさせられた彼女は、即興でライムを繰り出して勝利を収め、それ以来そのイベントに足を運ぶようになるのだが……。クラスに馴染めない、馴染もうとしない生徒との交流や、イベント会場でのラッパーとの交流、熾烈なラップバトル。まるでその現場に迷い込んだような没入感に襲われ、息つく暇もない。

着ぐるみを着たまま自殺した先輩

 それは他の作品も同様だ。特に私の心に残った短編は「フェイクファー」。大学時代、手芸サークルに所属し、着ぐるみを制作・着用する活動をしていたもずくを主人公とした物語だ。社会人となったある日もずくは、サークル仲間からサークルの先輩が着ぐるみを着たまま自殺したという訃報を伝えられる。その連絡をきっかけに、もずくはかつての仲間と数年ぶりに再会し……。私は、着ぐるみを作ったことも着たこともない。多くの人にとってもそうだろう。だけれども、この短編には何度も「わかる」と感じずにはいられなかった。「厭世的であることと、かわいい着ぐるみを着てはしゃぐことはねじれの位置にある」かと思えば、そうではなく、「それらは並行してもなんらおかしくはないもの」。初めて着ぐるみに出会った時の高揚感、陰気で内向的な仲間たちとの出会い、着ぐるみを着ている時に忘れることができるコンプレックス、会社員となった今感じる距離……。同じ経験はないはずなのに、痛いほど気持ちがわかる。

 その他の短編も、妙に心に残る。情熱を持てないまま「才能があるフリ」をしてボクシングを続けているプロボクサーの「ラッキーパンチ・ドランカー」。大学卒業後すぐに会社を辞め、フリーターとして生活している女性がバイト先の飲み会に不本意ながら参加する「結局のところ、わたしたちはみな」。いじめを受けている男子中学生と、妹を探す美容師の女が事件を追い、事件を巻き起こすちょっぴりイリーガルな「楽園ベイベー」……。そこにあるのは、どう見ても王道らしい王道の青春ではない。むしろ、どこか退廃的でメランコリック、オフビートな青春。だけれども、どうしてだろう。どうしてこんなにも胸がざわめくのだろう。どうしようもないほど、共感してしまうのだろう。

 自分の意志で捨てたはずのものがふと恋しくなる、そんな感覚がこの本にはある。決して真っ当ではなかった遠い青春の日々を思い出してしまう。きっとあなたの胸にもこの本は突き刺さる。正しさに疲れた夜、あなたにもこの本を。ぜひ。

文=アサトーミナミ

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