「どうか私が殺されますように」と願う人間? 落ちこぼれ稲荷神が願いを叶えるために奮闘するハートフルミステリー【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/12/17

お稲荷さまの謎解き帖
お稲荷さまの謎解き帖(朝水想 / 双葉社)

 不景気になると神頼みをする人が増えるといわれるが、実際今年の酉の市も大変な賑わいだった。自分もお詣りしているくせに、ふと「神様もこんなにたくさんの人にお願いされて大忙しだな」なんて思ったり…。しかし、ほんとのところ神様はどんな気持ちなのだろう? そんな疑問に共感するアナタにおすすめしたいハートフルなミステリーがある。期待の作家・朝水想(あさみそう)さんの第46回小説推理新人賞受賞作『お稲荷さまの謎解き帖』(双葉社)だ。

 なんと本作の主人公は「稲荷神」(通称「お稲荷さん」)。狛犬の代わりに狐が左右を固め、境内にはたくさんの狐の像…そんな神社を見たことがあるかもしれないが、そういう社の主祭神こそ稲荷神だ(京都の伏見稲荷などが有名だ)。本作の主人公たる稲荷神は享保10年(1725年)に江戸のはずれに創建された神社に少年の姿のまま300年棲まわれてきたという神様で、物語はこの稲荷神が「誉人」として選ばれた人間の願いを叶えるために奮闘する連作ミステリーだ。

 実はこの稲荷神、300年前の社の創建当初に天界を統べる大神様から「100人の誉人の願いを叶えたら、大人の姿にして天界に戻してやる」と下界の社に遣わされたのだった。だが300年のうちに願いを叶えられたのはたったの5人という落ちこぼれ。いよいよ「次に失敗したら神としての資格を剥奪する」と大神様に詰められていた真っ只中に、第一話の誉人・百瀬サヨコが現れる。膵臓がんにおかされて余命わずかにもかかわらず、サヨコの祈りは「どうか私が殺されますように」という謎すぎるもの。稲荷神は自由に姿を変えられる力を利用して(しかも人間の何倍も優秀な力を持つ)、ひとまず介護ヘルパーの若い男性「イナリ」と化してサヨコの身辺に潜り込むことにするが――。

 嘘はつくし、本音は違うし、何を考えているのかわからない人間たちの願いを叶えることを「まるで謎解き帖だ」と日頃から皮肉っていた稲荷神だが、サヨコと次第に心を交わすことで変わっていく。「好きなものを数えてみなさいな。いかに自分が幸せか気付くから」とのサヨコの言葉に素直に従う姿も実にチャーミングで、話が進むにつれ人間の複雑な気持ちもどんどん理解するようになっていく。その姿は頼もしくてほほえましくて、人間である私たち自身が日頃忘れそうになっている「シンプルだけど大事な気持ち」をも思い出させてくれるのだ。

 第二話は夫を殺された妻が「どうか幽霊に会えますように」と願い、第三話は駅伝大会の代表を目指す女子大生が「どうかあの子が選ばれませんように」と願い、第四話は平凡な市役所職員が「どうかあの人を騙せますように」と願う。願いだけ聞くとちょっと不穏な感じもするが、イナリの潜入でわかってくる真実はさにあらず。実は誰かを大切に思うからこそ生まれた、突飛に見える願いばかりなのだった。

 読後にほんわり残るのは温かな幸福感で、その意味ではまさに寒い季節にぴったりの一冊だろう。それにしてもこんな神様がいてくれるなら、「●●町の○○です!どうかーー」と、2026年の初詣は堂々と名乗りつつお願いしてみたいかも。なんたって自分が「誉人」かもしれないのだから!

文=荒井理恵

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