「三日に一度は夢に見る」高速を降りたその先で…/澤村伊智「高速怪談」【全文公開⑦】
公開日:2022/8/15
『ぼぎわんが、来る』の澤村伊智氏による、小説の形をした怪談集『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)。
子連れで散歩中に見かけた怪しげな物件、語ってはいけない怖い小説、新婚旅行で訪れた土地での出来事…など、暑い夏の夜にゾクゾクする珠玉の7編を収録。
本連載では、「高速怪談」を7回に分けて全文公開! 関西方面に向け、乗り合わせて帰省をする男女5人。ひょんなことから車内で怪談会がはじまって…。ラストまで見逃せない傑作短編。

僕の話
次のパーキングエリアに止まった瞬間、真柄さんは「洒落にならんわボケ!」と堀さんを怒鳴りつけた。窓がビリビリ震えるほどの大声で。堀さんはもちろん、僕まで座席から飛び上がった。
身体を丸めて子供のように泣きじゃくる汀さんを、石黒さんが優しく抱きしめていた。
「申し訳ありません、やりすぎました」
運転席で正座すると、堀さんは後ろに向かって深々と頭を下げた。僕は助手席で脱力したまま皆の様子を眺めていた。
石黒夫妻を残して車を降り、真っ暗な駐車場で、僕と真柄さんは堀さんに説明を求めた。彼は心底済まなそうな顔で弁解した。実際は怪談やホラーの本を編集している、怪談語りにも以前から興味があり、一度でいいから話術で人を怖がらせてみたかった――
「いつもハメを外しすぎるんですよ。仕事でも、ぷ、プライベートでも……」
唇を嚙んで堀さんはうなだれた。嘘を吐いているようには見えなかった。自分の悪癖を心の底から嫌い、さっきまでの行いを悔やんでいる。そんな風に見えた。
「宇都宮くんが言うてたような気がするな、変わった子ぉやって」
真柄さんが疲れ果てた声で呟いた。
リュックの中身は財布と書類、本だった。前に一度置き引きに会い、それ以来大事なものは肌身離さず持つようになったという。分かってみればどうということもない、普通の話だった。
石黒夫妻に詫びの言葉を口にし、堀さんは後部座席に座った。石黒さんは一度頷いただけで、汀さんは何も言わなかった。
運転は真柄さん、助手席は僕だった。一言も話し合わなかったけれど、他に妥当な選択肢があるとも思えなかった。
大阪市内に入るまで誰も一言も喋らなかった。最初に口を開いたのは汀さんで、
「朝ご飯どうしよっか」
次に話したのは石黒さんだった。
「尼崎に着いてからの方がええかもな」
そこからぽつぽつと雑談が始まり、話題はいつしか食べ物のことになった。大阪で一番上手いお好み焼き屋はどこか、たこ焼きは、串カツは。自由軒のカレーライスを正直どう思うか――
夜が明けて高速を降りる頃には、真柄さんも「腹減ったー」と冗談めかして言うようになっていたし、汀さんも石黒さんも笑うようになっていた。堀さんはしゅんとした顔で後部座席に座っていた。
一般道路に入ったところで、真柄さんが、
「堀くん、帰りの話聞いてる?」
と訊いた。堀くんは「あっはい、でも」と戸惑いながら、
「僕が参加させてもらうわけには……」
「ええよ、もう」
真柄さんは窓を全開にすると、煙草を引っ張り出して、
「堀くんが抜けると一人頭の負担が増えるから。計算もめんどいし」
と、煙草に火を点けた。
「……いいんでしょうか。僕はありがたいですけど」
シート越しに不安そうな視線を向ける彼に、
「いいですよ」
答えたのは石黒さんだった。心配そうな顔をする汀さんを一瞥すると、
「その代わり、今までのこと全部そのまま漫画にさせてください。堀さんがやらかして、パーキングエリアで俺らに袋叩きにされるオチで。古典的な漫画表現にするつもり。SNSにアップした方がおもろいかな」
漫画のコマが頭に浮かんだ。記号化された土埃の中から手や足、衝撃を表す星マークが飛び出している。土埃の中央あたりに、タンコブと青あざだらけの堀さんの顔。
「いいんじゃない?」
汀さんがニッと笑った。堀さんが「ええ、どんな風に描いてもらってもいいです。顔もソックリにしてください」とぺこぺこしながら言った。
「じゃあそういうことで」
真柄さんは煙草を吹かしながら、
「大阪駅のどの辺に止めたら……ん? なんやどないしたんや」
と、身を乗り出した。僕はつられて前方を見る。
五十メートルほど先、二車線ある道路の右側に、白いワゴン車がハザードランプを光らせて止まっていた。どの窓もスモークが貼られていて中は全く見えない。
「エンストか?」
石黒さんが運転席の背もたれに顎を置いて言った。
助手席側のドアが開いた。ジャージにTシャツの女性が勢いよく降りる。ふらふらと覚束ない足取りで左車線へと足を進める。
「危ないて、もう」
真柄さんが減速しながらクラクションを鳴らした、次の瞬間、
背後から轟音が響くとともに、青いインプレッサが凄まじい速度で僕たちの車を追い抜き、ワゴンを避けようと左車線に入り――
女性を撥ね飛ばした。
聞いたことのない音が耳に届いた。女性の身体が宙高く撥ね上げられ、くるくると回転するのが見えた。手足が有り得ない方向に曲がっている。
「危ない危ない!」
石黒さんが叫び、激しいブレーキの音が響いたところで、
女性はセレナの――僕たちの車のフロントガラスに激突した。
幸いなことに誰も大怪我はしなかった。一番後ろの堀さんも、石黒夫妻も無傷だった。真柄さんがハンドルに頭をぶつけた程度で、それも大事には至らなかった。
フロントガラスはひび割れだらけになり、復路の乗り合いは中止になった。
あれから一年が経つけれど、石黒さんは一連の出来事を漫画にはしていない。雑誌に載ったとは聞いていないし、SNSにもアップしていない。
当然だ。みんなあの時はっきりと気付いてしまったからだ。
石黒さんがサービスエリアで描いた絵が何なのか。
最初に気付いたのは間違いなく僕だろう。僕が彼女の顔を真っ先に、一番近くで見る羽目になったからだ。
女性はフロントガラスに横向きに突っ込んだ。ひび割れたガラス越しなのに、妙に鮮明に彼女の顔が見えた。
長い黒髪は乱れ、ピアスをした耳から血が流れていた。
向かって右目は上を、左目は左を向き、ほとんど白目だった。
声も出せずに座席に張り付いている僕の目の前で、彼女の口がぴくぴくと痙攣し、歪み、動かなくなった。微笑を浮かべているかのような口で固まっていた。
石黒さんの絵そっくりの死に顔だった。
頭の中で辻褄が合った瞬間、僕は気を失った。
女性の遺体からは覚醒剤が検出された、と真柄さんからは聞いている。
僕は未だに、三日に一度はあの顔を夢に見ている。