60代主婦が昭和にタイムスリップしたら。「結婚は女の幸せ」「四大に行ったら嫁の貰い手がない」――“あの頃”の生きづらさを巧妙に描き出す、垣谷美雨最新作!
PR 公開日:2024/11/29

マンダラチャートとは、MLBドジャース・大谷翔平選手が高校時代から活用してきたという、目標達成のための思考法。誰もが感服するその意志の強さを讃えるのではなく、「一本道をわき目もふらず邁進し続けてきたのは彼が男だからだ」とため息をつくのが、『老後の資金がありません』などの著者・垣谷美雨さんの新作『マンダラチャート』(中央公論新社)の主人公、60歳を過ぎた主婦・雅美だ。
大谷選手の人生設計には、あたりまえに結婚と子をもつことが組み込まれており、家庭のために夢を我慢するなんて発想はない。それもまた男だからだと思う彼女は、からっぽだ。子どもは巣立って、二人暮らしの夫との関係は冷え切っており、何かを成し遂げてきた手ごたえもない。そのむなしさからふと書いてみた、マンダラチャートが人生を変えるのだけど――60代からでも一念発起すれば人生を変えられる、なんて物語ではない。なんと、そのマンダラチャートに吸い込まれるようにして、雅美は中学時代にタイムスリップしてしまうのだ。
彼女のタイムスリップは一時期のことではなく、就職するまで幾年にもわたって続いていく。反省を生かして人生をやりなおすことができるのはラッキーなことだけど、彼女が青春期を過ごした昭和は、今よりずっと男尊女卑が浸透した時代。結婚するのが女の幸せ。女は家庭的であるべし。四大なんて行ったら難しい女と思われて嫁の貰い手がなくなる。めざすなら幼稚園の先生。もしくは大企業の腰掛け。それがあたりまえだった時代は、雅美にとってストレスどころの話ではない。大学の建築学科でオールAの成績を残していたとしても、東京出身ではない、ひとり暮らしで身持ちがかたい保証がない、などの理由で就職が決まらない。なぜならその時代、女性は総合職で就職できたとしてもお茶くみしかさせてもらえない、社員のお嫁さん候補でしかないのだから――。
雅美と一緒に昭和を追体験しながら、男たちの身勝手さ、社会の理不尽に怒りをたぎらせる読者も多いだろう。けれど本作はただ男性を断罪するばかりではない。雅美の兄や、やはり同時代からタイムスリップしてきた同級生で初恋の人・天ヶ瀬を通じて、男性の息苦しさについても描かれる。男だからというだけの理由で、さまざまなことを免除されてきた男性もまた、知らず多くの機会を奪われていたのだということも。そして雅美自身、気づかされる。不均衡な世の中に絶望しているだけでは、どうにもならない。立ち上がり戦う強さを持たなければいけないのだと。どうせわかりあえないと諦める前に、対話しようと目の前の相手に向き合うこと。その積み重ねで、人生は切り拓かれていく。それこそがマンダラチャートの役割なのだと。
中身は60代、しかも令和では既婚者である雅美と天ヶ瀬のあいだには、艶っぽい空気は一つもない。同志だ、と彼らは言う。女も男もなく、ただ一人の個人として世の中を生き抜くためのタッグを組んだ二人の絆は、理想的であるような気がする。誰もがそんなふうに、相手の言葉に耳を傾け、ときに喧嘩をしながらも手を取りあって生きていけたらいい。そんな理想を信じたくなるラスト、二人の「未来」がどこに辿りつくのかは、読んでみてのお楽しみである。
文=立花もも