余命宣告を受けてなお映画を作り続ける大林宣彦監督が、いま伝えたいこと

文芸・カルチャー

公開日:2020/3/6

『最後の講義 完全版 大林宣彦』(大林宣彦/主婦の友社)

「映像の魔術師」と呼ばれ、数多くのCMや映画を世に送り出してきた大林宣彦監督。監督が映画と未来に対する想いを語って大反響を巻き起こしたNHK Eテレ番組「最後の講義」。この番組は「もしも今日が最後なら、何を伝えたいか」というテーマで、各界のスペシャリストが学生に向けて行った特別講義を放送している。

 もともとの放送時間は50分だったが、大反響に応える形でほぼノーカットの3時間の完全版も放送され、それがまた新たな感動を呼ぶことになった。

 収録は2017年12月、監督はその前年の2016年8月に肺がんのステージ4で余命3カ月の宣告を受けている。宣告から1年4カ月たち、映画に興味のある学生たちに語った熱い講義の中身が『最後の講義 完全版 大林宣彦』(主婦の友社)として1冊の本になった。

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映画とはフィロソフィーである

 大林監督は、映画がフィロソフィー(哲学)を伝えるものだと説く。「映画はエンターテインメントであるが、それは難しいフィロソフィー(哲学)をわかりやすく伝え、風化させないためのもの。フィロソフィーがまずあってエンターテインメントになる」と語っている。

 映画を作ろうとするときに、ジャンルや枠組み、技術から決めるのではなく、自分が伝えたいフィロソフィーをどうすればうまく伝えられるかを考え、進歩するCGなどの技術におぼれてはいけないと。

フィロソフィーがしっかりしていて、そのフィロソフィーが間違いなく未来のために役立つと信じたうえで作られた映画は、華やかで面白いものになります。

 この本の中では外国映画、さらには日本映画界の歴史をひもときながら、諸先輩が映画を通じて伝えようとしたフィロソフィーのエピソードが語られている。たとえば日本を代表する映画監督のひとり、小津安二郎監督は戦時中に軍部の命令で戦意高揚映画を作るためにシンガポールへ行ったけれど、戦意高揚映画を撮らないということで、自身のフィロソフィーを貫き、帰国後は敗戦後の日本を描いた。

「世界のクロサワ」とも呼ばれる黒澤明監督は、2万人にも3万人にもなる関係者の集まる現場で、「マイクを使って声だけ伝えても情報だけしか伝わらない、心を伝えたいなら現場に行って直接肉声で伝えなさい」と助監督にいつも話していた。これも黒澤映画のフィロソフィーだ。

130歳ぐらいまで生きて、映画を作っていかなければならない

 大林監督はファンタジーや恋愛映画も撮ってきたが、実は戦争中のことをなんとか伝えようとしてきたのだと明かす。昭和13年の戦中に生まれ、何度も身近な人の死を経験し、「明日、死ぬかもしれない」、「これが最後になるかもしれない」という思いをいだきながら過ごした子ども時代。戦争中にお母さんが自分を殺して自殺しようとした過去も告白している。昨日まで正しいと信じてきた正義が一夜明けたら間違いだと言われ、戦後迷子になってしまった世代である。

 筆者の知る監督の映画は原田知世の『時をかける少女』などの尾道三部作や薬師丸ひろ子の角川映画『ねらわれた学園』のイメージが強かったのだが、監督の気持ちの中ではずっと戦争のことが頭にあり、特に東日本大震災をきっかけによりはっきりとした形で戦争映画を作っていくことになった。

 自分の戦争過去を正直に描き始めた最初の作品が2011年の『この空の花 -長岡花火物語』、2014年の『野のなななのか』であり、余命宣告を受けてから撮影した2017年の『花筐/ HANAGATAMI』 である。

 もし、世界が平和で……。空がうららかで空気がきれいで……。おじいちゃんから孫まで、家族みんなが健康だったなら……。その空の下の草原に家族で寝そべり、手をつないで過ごせます。
そうであるなら映画なんていらなくなるわけです。
 そんな時代がくるまで、ぼくは映画を使って、自分が伝えるべきことを伝えていきます。

 監督は130歳くらいまで生きて、映画をつくっていかなければならない、もし自分が道半ばにしてこの世を去ったら、皆さんに続きを引き受けてほしいと結んでいる。

 この講演後にメガホンを取った2020年4月公開予定の最新映画『海辺の映画館―キネマの玉手箱』も監督の平和への願いが圧倒的な映像で伝わる作品となっている。

 監督の優しい語り口ながら、映画で平和の世の中を作って欲しいという強い気持ちが伝わる本書は映画や映像の道を志す人だけでなく、モノづくりに携わる人、日本のこれからの未来を引き受けていく人すべてに呼んでほしい1冊だ。