【穴からいでて…】故郷の話/松尾スズキ『人生の謎について』

文芸・カルチャー

公開日:2021/11/1

 人間にはいくつかの穴がある。たいがいは見せたくはない穴なので、それは隠されている。目、耳、鼻、見えている穴もあるが、覗き込まれると困惑する。いろいろあるがおのれの穴の件は、そっとしておいてほしい。誰しもそんな風情で町を歩いている。

 ところで、数年前、故郷を失った。

 北九州のある田舎町の借地に建っていた家だった。最後まで住んでいた母が介護型老人ホームに入り、老朽化も進んでいたので盛大に取り壊したのだ。

 小さな山のふもとの家だった。山の入り口には鳥居が立っていた。山のてっぺんに慰霊碑があるのだ。戦時中、アメリカのB-29に体当たりして落としたゼロ戦がそこに落ちたのだという。だから、その山はタイアタリと呼ばれていた。石碑の周りはちょっとした広場になっていて近所の子供の遊び場になっている。子供なので無邪気に「今日、タイアタリ行こうぜ」なんて言っていたが、よく考えなくても悲壮感漂う山の名である。

 去年、劇作家のI君が、私の生家のあった場所に行ってみたいというので、歌手のM君も連れて、はるばる北九州に帰った。

 私の家のあった場所は、平たくならされ駐車場になっていた。

「この辺で生まれたんだよ」

 私が指さした場所には車が停まっていた。

「え? 松尾さん、自宅出産ですか?」

 四十代と三十代の二人は驚いた。私は、五十五年前タイアタリのふもとの小さな平屋で生まれた。その場所を示すのは妙に恥ずかしかった。なんだろう。自分が生まれた場所を見られるのは、なにか秘めているべきだった穴を見せているような気恥ずかしさがあったのだ。

 それからみんなでタイアタリに登った。タイアタリの碑もそうだが、その奥にある防空壕も見せたかったのだ。そこには、女の下着を盗む変態が住んでいたという噂があった。旅のネタとして笑える。しかし、いざ行ってみるとその場所は、さまざまな木や背の高い草や蔦で覆われ、とても入り込める場所ではなかったし、それでも無理に分け入ろうとすると、なぜか、雷が鳴りパラパラと雨が降って来るのだった。タイアタリの碑が、その穴をどうしても見られたくなかったのだろうか。噓のようだが、本当の話だ。

 その旅行も含め、最近北九州にはよく帰る。

 母に会うためである。福岡に住む姉と、色々あって連絡がとれなくなり、もはや、母の面倒は遥か遠くの東京に住みながら私と妻がすべてやらなくてはいけなくなったのだ。

 母は、数年前脳出血をやってから、寝たきり状態だ。もともと重いアルツハイマーだったが、寝たきりになってからは、喋ることも感情を伝えることもできなくなり、寝て、食べて、排泄するだけ。完全看護付きの老人ホームで、私たちは、ベッドの傍らに座り、母親を眺めることしかすることがない。話しかけても無反応。「こー、はー」というダース・ベイダーのような呼吸音を聞くだけだ。

 しかし、魅了されてしまう。母の顔の中でぽっかり空いた口の存在感は尋常でない。そこにスプーンで食べ物を持って行くと、すっと、唇がそれに近づく。うっすら開いた灰色の瞳は、息子の私の顔には無反応でも、食べ物のことは認識するのだ。

 生きようとしてる。その穴が、恥ずかしげもなく「生きたい!」と訴えている。人間、最後の最後には、すべての穴を開放し、最後の生にしがみつく。そのことに無条件に感動してしまうのだ。かつて、ここに入って行った食べ物を私は母の胎内で受け取っていた。この穴を経由して、私は今、ここにいる。故郷の家を失い、駐車場にしてしまった。しかし、ここに私を作った穴がある。ならば、母が死ぬまで、この穴が私の故郷だ。里帰りとはおおむね所在ないものであるとすれば、ここでの所在なさも納得がいく。そう思うようになって、この九州の山の中の介護型老人ホームに通うのもさほど苦ではなくなった。

 話をI君たちとの旅に戻そう。

 一通り、私の育った近辺を散策して、もう一度件の駐車場に戻った時、M君が奇声を張った。

「松尾さん! スズキです。松尾さんが生まれた場所にスズキが停まってます!」

 確かに私が生まれたであろう場所にスズキの車が停まっていた。私が東京で松尾スズキになっている間に、私の生まれた場所もひっそりと「松尾」の生まれた場所の「スズキ」になっていたのだ。

 なんだか泣きそうになりながら、私は爆笑したのだった。

 

 人生って、なんなんだ。

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