『ホテルローヤル』の舞台も。北海道鉄道の旅の魅力とは? 釧路から網走へ直木賞作家・桜木紫乃さんとめぐる

暮らし

PR更新日:2022/8/25

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桜木紫乃さん
JR釧網本線「釧路駅」を出発し、車窓からの眺めを楽しむ桜木紫乃さん

 JALとJR北海道がタッグを組んで生まれた、一つの列車で北海道を“ひとめぐり”する貸切周遊列車「HOKKAIDO LOVE! ひとめぐり号」。昨年大好評を博した、この列車が今年も運行される。JALの客室乗務員である「JALふるさとアンバサダー」も同行して、雄大な北海道を堪能できるコースを鉄道で周遊する本ツアー、そこにはどんな見どころ、楽しみがあるのだろうか。

 釧路市出身で同市の観光大使も務める、作家の桜木紫乃さんにコースの一部を体験していただき、その模様をレポート。北海道で暮らし、北海道を舞台とするさまざまな物語を紡いできた桜木さんならではの視点で、列車の旅、周遊コースの各スポットの魅力を語っていただいた。

(取材・文=konami 撮影=遠藤彰)

 桜木紫乃さんは、釧路に生まれ育ち、24歳で結婚、その後、夫の転勤に伴って、釧路、網走を2往復、ほか日本海に面する留萌など、道内を転々としたのち、16年前から江別市に在住。広い北海道は地域ごとに気候風土も異なるが、桜木さんは生活者としてその多くを体感してきた。

 本企画で、桜木さんに周遊体験していただいたのは、JR釧路駅を起点として網走へと向かう釧網本線とその周辺の観光名所。釧網本線の沿線には、日本最大の湿原である釧路湿原国立公園、阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖を有する阿寒摩周国立公園、オホーツク海などがあり、車窓から道東の豊かな自然を堪能できる。

 乗り込んだ「釧路発6:38」の列車は一両編成。この時間帯だからか、制服姿の高校生など通学での利用客が目立つ。

釧網本線
釧路と網走間を約3時間で結ぶ釧網本線

 日常的な移動はほとんどが車だという桜木さんに、あらためて列車の旅の印象をうかがうと――。

「すっごく気楽。車は自分で運転していても助手席に乗っていても気が張るし、緊張感がある。その点、列車は行き先が決まっていて、景色を眺めながら一緒にいる人とゆったり話ができるのが何よりいいですね」

ホテルローヤル
第149回直木賞受賞作『ホテルローヤル

 桜木さんが、かつて通学・通勤で辿ったという道は、釧網本線の線路からほど近い。直木賞受賞作『ホテルローヤル』は、桜木さんの実家が経営していた同名のラブホテルがモデル。父親が莫大な借金をして建てたというこのホテルは、釧路湿原を見下ろす小高い丘にあった。ホテルの事務所の上に15歳のときから暮らしていた桜木さんは、釧路東高校に通っていた当時、父親に車で送り迎えをしてもらっていたという。

「高校に行ってるとき以外はホテルで働いていたなー私って思いました。それが嫌な記憶では決してなくて、親も喜んでくれていたし。そこにどんな気持ちがあっても人の役に立っているという実感はありました。働きながらさまざまな人間の側面を見たり聞いたり……あの家に生まれていなかったら書けないものもあったでしょうね。小説は書いて答えを出していくようなところもある。旅もそうかもしれないと、ふと思いました」

 車窓越しに広がる釧路湿原の風景は、桜木さんの気持ちを一気に「あの頃」へと引き戻した。

釧路湿原
釧路湿原周辺は、夏の間は、青空が少ないそう

「ぼーっと景色だけを見ていたら、こういうところで暮らしていたんだなあと、過去の日常が蘇ってきました。レールの継ぎ目ごとにカタンカタンと心地よく揺れるたびに、戻る場所がある。記憶って場所なんですね」

 列車が東釧路駅を出て数分後、「あの上あたりにホテルローヤルの跡地があるんです」と、桜木さんは進行方向右側の車窓を指さして教えてくれた。2012年にホテルは廃業、その後解体されてしまったため、2020年に公開された映画『ホテルローヤル』のロケ地は近隣のラブホテルだった。

「釧路は冬場の空が綺麗なんですよ。マジックアワー(日没直後の薄明かりの時間帯)と言われる、夕方のあの時間、釧路の空全体がピンク紫というか、なんともいえない美しい色に染まる。『ホテルローヤル』の映画ポスターは背景がピンク色の空なんですが、あれは生の色だと思います。去年の12月、釧路空港から飛行機に乗る前にちょっと時間が空いたので鶴居の辺りぶらぶらしたんです。そのとき、空を見上げたらポスターと同じ色でした。ラブホテルの映画だから、ピンク色にしたんじゃない。映画の撮影隊の人が釧路の一番綺麗なところを見つけてポスターにしてくれたんだって、本当に嬉しくなりました。あの空を見に釧路に来てほしいですね」

 釧路湿原駅で途中下車して、細岡展望台へ。東京都心が収まるほどの広さ(※)を有する釧路湿原の中央東側に位置するこの展望台は、11箇所ある展望台の中でも屈指の景勝地として知られている。

釧路湿原
細岡展望台から見渡せる釧路湿原の大自然は北海道ならでは

「晴れ女」を自称する桜木さんのパワーか、出発時はどんよりと曇っていた空も晴れ間が覗く天気に。遊歩道を抜けて展望台に辿り着いたとき、そこに広がっていたのは北海道を象徴するような壮大な景観だった。生い茂る木々の先に広がる黄緑色の湿原の絨毯、蛇行する釧路川、背景には雌阿寒岳、雄阿寒岳、そして、どこまでも続く地平線と、絶妙なグラデーションの空……。

「ここから見る釧路湿原が一番美しいと思っていて。全部視界に入るでしょう。湿原も川も山も。東京から来た人をここに案内したことも何度かあるんです。こんな風景はどこにもないですよ。夜景が綺麗なところはいろいろあるけれど、釧路湿原を見るなら、絶対ここですね」と、桜木さんも太鼓判を押す絶景スポットだ。

釧路湿原
桜木さんはこの釧路湿原を眺めながら育った

「もう40年以上前になりますけど、ホテルローヤルができたばかりの釧路湿原って、こんなに木がなかったんです。今ヤチハンノキがいっぱい生えているのを見ると、湿原がだんだん乾いてきてるんだなーって。木が育つっていうのは泥炭が乾いてきてる証拠。何十年単位で見ると、結構変わっているもんですね」

 過去と比べて気づく自然の変化。桜木さんの気持ちはまた「あの頃」に戻っていた。

「この細岡展望台からの景色って、北海道民として誇れる絶景だと、今なら心の底から思えるんですが、ホテルの一角で暮らしていた『あの頃』はその美しさに気づけてなかった。丘の上から、こことほぼ同じ景色を見ていたはずなのに……」

※釧路湿原の面積は約2万2000ha ※釧路湿原国立公園の面積としては約2万8000ha

アトサヌプリ(硫黄山)
標高512mの小高い活火山「アトサヌプリ(硫黄山)」

 次に立ち寄ったのは、川湯温泉駅から約1.6kmのところにあるアトサヌプリ。アイヌ語で(裸の山)を意味するこの活火山は、別名で「硫黄山」とも呼ばれ、黄色く染まった硫黄の結晶と、硫黄と水素の化合物である硫化水素の匂い、剥き出しの鋭い岩肌、もうもうと立ち上る白い噴煙など、活きている山のエネルギーを体感できる。

アトサヌプリ(硫黄山)
噴煙の傍まで近づくと、温泉地独特のあの匂いが漂う

「硫黄山は小学校のときにバス遠足で来ましたね。昔はもっと煙の量が多かった。今はあの谷間のところから出ていますけど、もっと全体的に煙が出ていたんです。ずいぶん小さくなったんだなって」と桜木さんは言うが、今でも十分に迫力がある。レストハウスのある駐車場から砂礫に足を取られながら山裾側に進むと、噴気孔の近くまで行くことができる。

アトサヌプリ(硫黄山)
盛んに噴煙が上がるさまは実にダイナミック。硫黄山レストハウスでは「温泉たまご」が食べられる

「ボコボコいってるところを跨いで行く感じ。柵も無しにここまで近づけるのが北海道らしい」そうだ。

「小学校つながりで言うと、小学校の修学旅行は川湯に行きました。集団で摩周湖を見た記憶があります。釧網本線の線路を挟んだ反対側にある屈斜路湖は、周りに温泉が点在していて、湖畔にある『砂湯』という場所を掘るとお湯が出てくるんです。無料の露天風呂もあるんですよ」

オーチャードグラス
川湯温泉駅の駅舎に入るカフェ「オーチャードグラス」の店内は、ノスタルジックな雰囲気

 川湯温泉駅内にある洋食レストラン「オーチャードグラス」で早めのランチ。1936年(昭和11年)に建てられた駅舎の風情を生かしたクラシカルな内装の同店は、ステンドグラスやくもりガラスが施された窓、年代ものの家具や雑貨やストーブ、壁に飾られた一昔前の観光ポスターなど、懐かしさを誘うものに溢れ、昭和にタイムスリップしたような感覚が楽しめる。人気のメニューは一日20食限定のビーフシチュー。桜木さんもオムライスと迷った末にこちらをセレクト。たっぷりと盛られたシチューはじっくりと煮込まれていて、牛肉がほぐれる柔らかさだった。

オーチャードグラス
じっくり煮込まれた牛肉がゴロゴロ入っている看板メニューの「ビーフシチュー」

「なんて贅沢な時間……こんな場所でゆっくり食事をしていると、いつの時代にいるのか、わからなくなっちゃいますね」

 食後のコーヒーを飲みながら談笑していると、店内にあった古いオルガンから楽器の話に。桜木さんは、今アルトサックスを習得中だという。

「『緋の河』(※)という小説を執筆中に、テーマ音楽としてサックスの『枯葉』をかけていたんです。そうしたら、すっかり触発されて、書き終わるまでには絶対吹けるようになってやるって、一念発起で習い始めたけど、全然うまくならない。そろそろビギナー発表会に出ませんかと誘われたりもするんですが、それだけは絶対イヤと(笑)」

※『緋の河』は、カルーセル麻紀さん(釧路出身)の半生をモデルに、ゲイボーイとして生きることを決めた秀男が独自の方法で人生を切り開いていくさまを描いた長編小説。「枯葉」は物語中の主人公が、ゲイボーイの世界に飛び込んだ際、心のより所としていたシャンソン。

 昼食後に訪れたのは、止別海岸治山の森。止別駅の裏手、オホーツク海岸に沿って広がる海岸防災林の中にあり、その面積は171haにもおよぶ。カラマツ林の中に「森林浴通り」「海岸通り」などの遊歩道が全長1.7kmにわたって整備されており、気軽に森林散策が楽しめる。

 時刻は、12:30。すっかり晴れ上がり、太陽の日差しはかなり強くなっていたが、木々に遮られた遊歩道の中は、差し込む光も穏やかで過ごしやすかった。

止別海岸治山の森
木漏れ日が降り注ぐ、「止別海岸治山の森」の遊歩道

「ここ、初めて来ました。こんなところに森林遊歩道があるなんて知らなかったです。北海道の人でも知らない人、多いんじゃないでしょうか」

 桜木さんの言葉どおり、止別は観光地としてはあまり知られていない。遊歩道の途中にある見晴台は知床連山とオホーツク海が一望でき、2~3月には止別海岸に接岸する流氷を見られる絶景ポイントなのだが、穴場といえるだろう。

「森の中って涼しいんですね。北海道は熊が出るので、知らない森にはむやみに入れないんですが、ここは遊歩道が整備されていて歩きやすい。思い出したのが、沖縄のフクギの並木。NHK連ドラ『ちむどんどん』のオープニングアニメで描かれたあの森です」

止別海岸治山の森

 沖縄のパワースポットとして知られたフクギの並木も防風林なので、たしかにイメージは近いかもしれない。

 遊歩道「海岸通り」は止別海岸に並行して延びていて、脇に逸れると、そこから海岸に下りることができる。穏やかなオホーツク海が森の先に見えたとき、桜木さんは砂浜を海のほうにまっすぐ下りていった。途中サンダルも脱ぎ捨て、「砂が熱い!」と言いながら、波打ち際まで近寄ると、迷わず足を浸した。

「冷たくてすごく気持ちいいですよ!」

 寄せては返す波遊びにしばらく興じたのち、また「砂が熱い!」と言いながら戻ってきた。

オホーツク海
遊歩道を抜けると広がるオホーツク海。海の水はとても澄んでいる。冬になると流氷が見られる

 海岸に下りることは予定外だったのだが、あの海を見たら気持ちが高揚して、誰だって後先考えずに波打ち際まで駆け寄ったことだろう。それほどに美しい海だった。

北浜駅
北浜駅の駅舎内の天井と壁には、名刺などが一面に貼られており、さまざまな人がここを訪れたことがわかる

北浜駅

 釧網本線に戻って「オホーツク海に一番近い駅」「流氷の見える駅」として有名な北浜駅(無人駅)で途中下車。海岸線まで20mという距離ならではの海の風景を、ホームから目の当たりにすることができる。展望台とカフェが併設されており、景色を堪能したあとは食事やドリンクでくつろぐことも。名刺や切符が天井や壁一面に貼られている待合室も独特の風情がある。

北浜駅
オホーツク海に一番近い駅と言うだけあってホームから海までの距離はわずか

 北浜駅のホームに佇む桜木さんは、さきほどの波打ち際で見せた無邪気さとはまた違う静かな表情でオホーツクの海を眺めていた。

藻琴駅
「藻琴駅」の駅舎にある海が見える喫茶店「トロッコ」。桜木さんとスタッフは、ソーダフロートや田舎パフェを味わった。

 北浜駅の隣、藻琴駅(無人駅)は、現在も1924年(大正13年)に開業したときの駅舎を使用。なんと築98年の木造駅舎だ。高倉健の出世作、映画『網走番外地』などのロケ地としても知られ、全国からファンがやってくる。併設された喫茶店トロッコの店内には、かつて有人駅だった頃の鉄道グッズやダルマストーブ、色あせたコミックなどが並べられ、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。

 釧網本線の終点・網走駅まであと3つ。旅の終わりが見えてきたところで、桜木さんに今日の旅の印象を聞いてみた。

「すごく楽しかったです。連れて行ってくれる乗り物っていいですね。乗り込むという行動以外は全部レールと列車がやってくれて気兼ねなく身を任せられる。釧路・網走は、私がかつて暮らしていた場所なので、今はない“心の中の廃墟”に戻っていくような感覚もありました。それと同時に、北海道っていいところだなとあらためて感動したところも多々あって。今回訪ねたことで、場所の記憶が上書きされたかもしれません」

 桜木さんにとって、網走はどんな場所だったのだろう。

「網走は、私が新人賞をいただいたとき(2002年)に住んでいた場所なんです。地元の方に言われたんですが、網走には何でもある。海があって山があって湖があって、素晴らしい自然に囲まれているから、外に景色を見に行く必要がないと。今ならよくわかるんですが、当時は子育てをしながら、景色を愛でる余裕がなかった。新人賞受賞後、なかなか本を出せなくて、精神的にもつらい日々が続きました。毎日原稿を書いて送ってもまったく採用されない。誰に相談することもできず、鬱々としていたとき、娘が熱を出して小児科に連れて行ったら『あなたのほうが具合悪そうだ』と尿検査。結果『血尿』と言われ、娘と並んで点滴を受けました。そのときに、小児科の先生に言われたんです。『たかが小説じゃないですか。そんなものに命取られてどうします。子どもを置いて死ぬんですか』って。そんなに悪かったのかと驚いたんですが、元気じゃないと何もできないって、その言葉で目が覚めて、そこから気をつけるようになりました」

 こうした苦しい状況にあっても、子どもたちと過ごした時間はなにものにも代えがたい大切な記憶として、桜木さんの中にあった。

「この時期の私たちのレジャーというのが、子どもたちと一緒に、週1回朝マックを食べに行くこと。私たちにとって、あれはすごいレジャーでした。さっき止別の海岸で思わず高ぶってしまいましたが、オホーツクの海を見たら、網走の海岸で子どもたちと砂遊びをしたことを思い出したんです。よく海に行ったなって。楽しかったけれど、何があるかわからないから絶対に子どもから目が離せない。のんびり海のほうを眺めることはなかったですね。海に行った日は子どもたちが疲れてよく眠るので、ホッとして原稿に向かってましたね」

 今日、オホーツクの海を前にして、桜木さんの中に湧き起こったのは「全てが終わった」という安堵の感情だった。

「今はもう子どもたちも独立して、気楽な夫婦二人暮らし。子育て中は気が休まることはなかったので、ドキドキとホッとすることの繰り返しでしたが、今日一人で海を見ていたら、あの頃の私は頑張ってたなあって。お金がないなりに工夫して子育ては充実していた。あんなところに行った、こんなものを食べたって、家族で過ごした思い出が一通り蘇ってきて、きちんと閉じられた。“全てが終わった”――だから、次に行こうって気持ちが前を向きました」

 桜木さんの表情は実に晴れやかだった。

「子育ても頑張ったし、家事も頑張ったし、仕事も頑張ってやってきた。50代はいいですよ。体さえ気をつけていれば、好きなことが言えるし、好きなことが書ける。私はまだまだ人生が楽しめそうな気がします」

桜木紫乃(さくらぎ・しの)●1965年、北海道釧路市生まれ。同郷の作家・原田康子の『挽歌』を読んだことがきっかけで文学に興味を抱く。高校卒業後、裁判所勤務、専業主婦を経て、2002年「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞。07年、受賞作を収録した『氷平線』で単行本デビュー。13年『ラブレス』で島清恋愛文学賞、同年『ホテルローヤル』で直木賞、20年『家族じまい』で中央公論文芸賞を受賞。著作のほとんどが北海道を舞台とした作品であり、特に出身地である釧路の風景が描かれることが多い。13年、釧路市観光大使に就任、現在は北海道江別市在住。

桜木作品舞台マップ「彼女が見た釧路」
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