北村匠海がSUPER BEAVER・渋谷龍太を撮影──「渋谷さんは『偽ること』を、自分自身に対して許していない感じがある」クリエーションを共にした2人の対談

文芸・カルチャー

更新日:2023/3/10

渋谷龍太さん

エッセイは、渋谷さんのポジだけじゃないネガの部分も感じられてホッとした

──今日撮影されたお写真は、エッセイ『吹けば飛ぶよな男だが』のAmazon限定特典ポストカードになるそうですね。書籍化おめでとうございます。(※限定特典は予定冊数に達したため、お取り扱いは終了しました)

渋谷 ありがとうございます。

──北村さんは、エッセイ「吹けば飛ぶよな男だが」と、『都会のラクダ』もお読みになっているそうですね。

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都会のラクダ
2021年刊行、SUPER BEAVERの軌跡を描いた自伝的小説「都会のラクダ

北村 文章については、渋谷さん、ソロ名義じゃないですか。SUPER BEAVERさんとはまた違った路線で、言葉選びがすごいですよね。独特で、それでいて肌感があるというか……エッセイを読んだときは、そういったポジティブだけじゃないネガティブの部分も感じられて、「あ、渋谷さんも人間だったんだ」とホッとしたので(笑)、今日の撮影では、陰影を強めに出しています。

渋谷龍太さん
北村さんが撮影した渋谷さん

『都会のラクダ』に書かれているSUPER BEAVERさんの歴史は、ファンとして見てきたこと、昔から知っていることです。でも、それが渋谷さんの言葉になると、ただ歴史を読んでいる感覚ではまったくなく、ちゃんと燃える感じがする。映画みたいでした。「読み手がすごく入り込めるな」というのが、読後の感想でした。自分のバンド(DISH//)は、事務所企画ではじまったバンドで、そこから今は自分たちで何かを生みだしたいと思っているバンドなので、SUPER BEAVERさんは、出会いから羨ましさがありますね。

渋谷 自分たちのバンドについての物語を書くときは、けっこう悩んだんですよ。他のバンドよりちょっとだけ苦労してるし(笑)、それがなければ響かない音楽って、僕はあまり健全ではないと思うから、音楽にプラスの要素ができてしまうことを「どうかな」と思っていたんです。ただ、「知りたい」と思ってくださる方がいて、知りたいと思ったときに手を伸ばせる距離になにかがあるということはすごく大切だとも考えたので、自分たちの歴史を表に出すことにしました。

 一方で、DISH//としてステージに立つ匠海くんは、きらきらしていて華があって、素敵ですよね。バンドの成り立ちがどうだ、個人の生い立ちがどうだっていうことはひとまず置いておいて、バンドマンとしては、「音楽がいい」「オンステージしている姿がいい」、それだけでいいと思うんですよ。僕らは高校生のときにバンドを組みましたが、いつ自分たちでバンドを組んだとしても、カッコ悪い人はカッコ悪いでしょ(笑)。僕、いいなと思う人は少ないのですが、その中のひとりが匠海くんです。

──おふたりとも、ボーカリストとしてステージに立つという共通点がある一方で、渋谷さんはエッセイや小説、北村さんは芝居や写真と、さまざまな表現手段をお持ちです。おたがいの音楽以外のクリエイティブな才能を見たときに、どんなふうにお感じになりますか。

北村 ライブを見ても、執筆されているものを読んでも、今日は写真を撮ってみても、さらにはプライベートでお会いしても、渋谷さんはブレない、顔が変わらない。それが素敵だなと思います。軸がブレないからこそ、ライブのMCひとつ取っても、言葉のひとつひとつにちゃんと心がこもっているんですよね。渋谷さんは、「偽ること」を、自分自身に対して許していない感じがある。それが、歌にしても、文章にしても、言葉の力になるんだなと思っています。

渋谷 その自覚はないですね……(笑)。ありがたいですけど、そんなふうに言ってもらえることは。自分は嘘をついたらバレる性格だということはわかっていますから、嘘はつけないという単純なことだと思います。仕事にせよ、私生活にせよ、偽って無理をすることは、自分のためにも相手のためにもならないと、なんとなくわかっていますしね。偽ることで物事を円滑に進められる人もいるとは思いますが、僕はそのタイプではない。「ちょっと盛ってるな、コイツ」というのがバレるくらいなら、それをしなくてもいいような関係作りをあらかじめしておこう、というのが自分なので。でも、僕、北村匠海という人間は、一本の筋が通っているにもかかわらずいろんな表情を作れてすごいなと思っているから、そういう人に「ブレない」って言ってもらえることは、光栄ですね。

 僕は芝居をしたことがないから、完全にただの視聴者という視点でしかものを言えないのですが、匠海くんって、どの作品を見ても、北村匠海であることは間違いないのに、確実に入っているギアが違う。おもしろいですよね。なにかを演じながらも「北村匠海である」という部分は絶対に残っている……それこそが、その人を役者として起用する意味なのだろうと思わせてくれます。

北村 今、渋谷さんがおっしゃったこと、僕がよく取材でいう言葉とまったく同じなんです。芝居って、誰でもできると思うんです。ただ僕は、8割が芝居でも、2割には絶対にその人の人生が映ってしまう、それが役者だと思っていて。そして、その個性こそが、その役者を起用する理由じゃないかと。その個性を失ってしまったら、誰がどの役を演じても同じなような気がします。なので、すごく的を射たことを言っていただけたなと思います。

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