プロボクサーを引退した村田諒太が明かす、世紀の一戦の舞台裏と心の記録

スポーツ・科学

公開日:2023/5/25

折れない自分をつくる 闘う心
折れない自分をつくる 闘う心』(村田諒太/KADOKAWA)

 日本ボクシング史上最大の一戦といわれたゴロフキンとの王座統一戦から約1年が経った2023年3月、現役引退を発表した元プロボクサー、村田諒太。

 彼は“強さとは何か”を追い求め37年の人生のうち、20年以上もボクシングと共に生きてきた。ラストファイトとなった、2022年4月のゲンナジー・ゴロフキンとの一戦は、コロナの影響7度の中止・延期という紆余曲折を経て、ゴングが鳴った。

 最強王者ゴロフキンとの対戦について彼はこう話している。

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現役引退を発表した元プロボクサー、村田諒太

「村田諒太という人間とその生き方が凝縮された闘いだった。スポーツ心理学者の田中ウルヴェ京さんのサポートのもと、ゴロフキンという強豪の向こうにいる自分と向き合い、もがき続けた」

「勝利という結果、他者の反応や評価だけを求めてボクシングをやってきた。でも、自分をちゃんと認めてあげることができれば、他者との比較はさして気にならなくなることをゴロフキンとの試合を通して知ることができた」

 ゴロフキン戦についてジムの会長から話を聞いた時から、ボクシング人生において集大成の試合になるだろうなという確信に近い気持ちが徐々に膨らみ、試合に勝つ、負けるだけではない、何らかのレガシーを残したいという気持ちが大きくなっていったという。例えば、試合に向かうまでの軌跡を記録として残せないだろうか。そう考えた彼は、スポーツ心理学者、田中ウルヴェ京さんと共に、半年間にわたってメンタルトレーニングを行ってきた。

 自身の著書『折れない自分をつくる 闘う心』(KADOKAWA)では、ゴロフキン戦に至るまでの心の葛藤、メンタルトレーニングのセッションの記録、虚栄や装飾のないありのままの村田諒太が綴られている。今回は同書の中から「対談 村田諒太×田中ウルヴェ京」の一部を紹介しよう。

※本稿は『折れない自分をつくる 闘う心』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

弱さと向き合うし、強さとも向き合う。初めて目が覚めている状況だった

弱さと向き合うし、強さとも向き合う。初めて目が覚めている状況だった

田中ウルヴェ京さん(以下、田中) 試合から1年たちますけど、メンタルトレーニングのことは覚えていますか。

村田諒太さん(以下、村田) はい、心の記録をつける作業だったと思っています。人間ってややもすれば自分に都合のいいことしか覚えていないし、汚いところは見ようとしないものですが、この頃はうやむやにしなかった時期でした。

弱さと向き合うし、強さとも向き合う。初めて目が覚めている状況だったと思います。

田中 例えば、ロンドン五輪までの時間とかと比べて目覚めの質感とか違いましたか。

村田 素でいられた気がします。自分っぽいというか、まあ、何をやっても自分は自分なんですが、虚栄なくというか。強くあろうとすることだけが虚栄なのではなく、美しくあろうとするのも虚栄なのであれば、間違いなく「虚栄なく」いられたと思いますね。ロンドン五輪のときは美しくあろうとした自分のイメージばかり残っているし、(世界挑戦した)エンダム戦のときも「勝たなきゃ、勝たなきゃ」とずっと思っていたけど、じゃあ、何で勝たなきゃいけないのかという深掘りもないままに、勝たなきゃいけないということばかり考えて1人で苦しんでいました。

それが今回は、勝たなきゃいけない、なぜ? 〇〇だから、何のために?……という感じで、より戦う理由を明確にして試合に向かったというのは初めてでした。

田中 それは羨ましいですね。自分も選手時代にそういうことをやりたかったです。

村田 でも、京さんは日記をつけていたんですよね。

田中 はい。でも、人に話せる勇気はなかったです。だから諒太さんはすごいと思います。

村田 どんな日記だったんですか。

田中 人には言えない内容です。だから日記に書くんですもの。あれを言える相手を見つけようともしなかったですし。

ところで、諒太さんはどうして私には言えたのかしら。

村田 初めてお会いしたのは共通の知人の食事会でしたよね。

田中 はい。そのときは「メンタルって何かうさんくさいですよね」という話をした記憶があります(笑)。

村田 メンタルトレーニングをやってみて効果をあまり感じたことがないんですが、という話をさせてもらった気がします。

田中 そうそう。実はそのとき、諒太さんから「もう少し前に会っているんですよ」と言われて。諒太さんがまだロンドン五輪の代表になる前、五輪を目指す選手たちが1年中合宿をしているナショナルトレーニングセンターで、ボクシングの強化選手を対象に私が講義をしたのですが、あの中に諒太さんがいたんですね。

村田 はい、いました。あのとき、あるコーチが「『明日からメンタルが強くなる』なんて話を聞いても、メンタルなんて強くならん。それよりも知覧の特攻隊基地でも行けって。戦争に行って死んでいった人たちがいて、今の自分たちがあるんだ」って言われて、みんなで「ハイ!」って。

田中 ハハハ。講義をしたのは覚えているのですが、あそこに諒太さんもいたとは。でも、色々な場でお会いしてあいさつする機会はあったけど、そんなに深い話することもなかったですよね。

村田 ココロラボ(田中ウルヴェ京がアスリートを招いてトークするBS-TBSの番組)に何年か前に呼んでもらったじゃないですか。あの頃からだと思います、色々とお話させてもらうようになったのは。

田中 はい。番組でご一緒した後、私がメンタルトレーニングを受けたような気分になったのを覚えています。色々と教えてくれる諒太さんのメンタルは面白い、興味深いと思いました。いつ話し出すか分からない人なんです。(心を)開くときと開かないときがある(笑)。

村田 基本的には永遠に閉じっぱなしです。一回開ければ水はどんどん流れ込ませるんですが、開けるまでが長い。しかも僕のカギはどこにあるか分からないところにありますしね。加えて、ノックされるのも嫌な人間ときている。

田中 メンタルトレーニングのオフィスに来ているのに、開いてないことがありますからね。こっちからしたら、何しに来ているのよって感じです(笑)。

村田 えー、そうでしたか。

田中 ソファに座っても心ここにあらずみたいな顔で、この人何しに来たのかな、練習の後でお疲れなのかなとか思いましたよ。でも、コンコン(ノック)すると嫌がるでしょ。「村田城」というのがあるとしたら、私は本丸から遠く離れたお堀をずっと泳いでいる感じです。パチャパチャ音を立てると「ああ京さん、そういえば、こんなことありました」って声がかかるみたいな。

村田 そうかあ。僕は心を開いていないことなんて1回もないと思っていたんだけどな。無理に何か話そうとせず、自然でいられたということだと思うんですよね。

田中 たしかに「お仕事」にはされていなかったですね。でも、誰とも何もしゃべりたくないんですけど、みたいな感じでいらっしゃったこともありましたよ。

村田 本当ですか、それはすみませんでした。

田中 うわあ、今日はしゃべりにくー、聞きにくーって、こっちは。だけど、急に「そういえば……」って話し出すので、ここで? て慌てたりしました。でも、1回話し出すと長いですよね。セッションの時間は諒太さんの中ではあっという間だったのかな。

自分を知る段階で最初に示されたものが醜い部分や美しくない部分

村田 始めた最初の頃は結構辛かったですね。自分を知る段階で、最初に示されたものが醜い部分や美しくない部分だったので、ホワイトボードに書かれると「きったねえな、俺の心は」って(笑)。書かれると可視化で自覚するんですよね。

田中 だから、「ボードに書かないでください」という人もいます。向き合いたくない、自分で言いっぱなしがいいと。諒太さんは何で嫌じゃなかったんですか。

村田 そもそものスタートが記録を採るということだったからです。

田中 それは自分でつくった「外圧」ですね。

村田 もう一度確認するためにも記録はあってよかったですね。例えば、セッションが終わった後に帰ってから、あんなこと言ってはみたものの、よく考えるとちょっと違ったなと思い直すこととか結構ありました。そこでもう一度深く考えてみる。あとはLINEに書くことが、考えをまとめてくれる効果もありました。

田中 人様の勝ち負けでおこがましいんですけど、試合終わって1カ月くらい悔しくてしょうがなかったです。

村田 僕は今になって、もう少しこうやっていればよかった、ああやっていればよかったというのがたくさん出てきています。色々と教えられたなと。とき既に遅しなんですけど、人生ってそんなもんですよね。

僕は試合直後の1カ月間くらいは、終わったという安堵感の方が強かったです。やっぱり2年半の間、ずっと試合ができない中で頑張ってきたので、自由になれたという安堵感が負けた悔しさを中和したというか。

所詮はタラレバだし、負けた相手に勝てるなんて言うのも嫌なのですが、勝てない相手ではなかったです。そこの無念さはやっぱりあります。でも、そんなものは永遠に追いかけるときりがないですから。僕の中ではアンフィニッシュド・ビジネス(やり残した仕事)ではない、もう終わったストーリーです。

恐怖に打ち勝つという言葉もあるけど、恐怖は引き連れていくもの

恐怖に打ち勝つという言葉もあるけど、恐怖は引き連れていくもの

田中 試合を終えて、伝えたいメッセージがあるとしたら何ですか。

村田 弱くてもいいし、汚くてもいいというか、プロアスリートでもこういうものなんだと、みんなに安心を覚えてもらいたいですね。村田諒太でもこんなもんなんだ、自分も自分のままでいいんだと思ってもらいたい。悩みを抱えている人たちに共感と安心をもってもらえるといいかなと。ああなりなさい、こうなりなさいとは、僕は言いたくないんです。自分らしく進んでいこうよと、いうことですね。

田中 そうすると、「弱い」とか「汚い」とかセッションの中でいっぱい出したけど、パフォーマンスにはどう影響しましたか。

村田 普段通りの自分で試合に入れました。普段以上のものは出せないです。普段通りのものを出せるという意味ではものすごく効果はあったと思います。ただ、みんながメンタルトレーニングに期待しているのは普段以上の力が出せるとか、試合が楽しめるということだと思う。そうじゃないんだよ、というのが僕の言いたいことです。

田中 私もそう思います。いつも通りしか出せないですよね。練習を100の力でやって、そのうち試合でいくつ出せるか。いつも通りなんて出せたら最高です。

村田 間違いないですね。相手も環境も練習とは違うわけだから。そこは伝えたいですね。メンタルトレーニングやるとメンタルが強くなっていつも以上の力を出せると思われがちだけど、僕の感覚では全然違う。恐怖に打ち勝つという言葉もあるけど、恐怖なんてものは引き連れていくものなんだと今回思いました。

恐怖に打ち勝つという言葉もあるけど、恐怖なんてものは引き連れていくものなんだと今回思いました

【著者プロフィール】
村田諒太
1986年1月12日。日本のプロボクサー。2012年のロンドンオリンピックでボクシング・日本人選手では48年ぶりとなる金メダルを獲得。一度は引退を表明したが、現役続行を宣言し、プロに転向。2017年にWBA世界ミドル級スーパー王者に上り詰める。層が厚く競争が激しい“黄金のミドル”と呼ばれるミドル級で、日本選手が世界王者になるのは史上2人目の快挙。2度目の防衛戦で敗れたが2019年に返り咲く。2022年4月にIBF王者のゲンナジー・ゴロフキンとの日本ボクシング史上最大級のビッグマッチを実現した。

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