「欽ちゃんと一緒になって幸せだった?」会話もデートもしない、萩本欽一と亡き妻の不思議で素敵な夫婦関係《インタビュー》

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/27

萩本欽一さん

 2020年8月、萩本欽一さんの妻・澄子さんが亡くなった。それから3年、当時の思いを語った『週刊文春』の連載が一冊の本に。『ありがとうだよ スミちゃん 欽ちゃんの愛妻物語』(萩本欽一/文藝春秋)は、タイトルどおり、萩本さんから澄子さんへの思いがあふれるエッセイ集。さらには、74歳から始めた大学生活のこと、萩本さんが大切にする“言葉”と “物語”などについても語られている。

 亡き妻のこと、82歳を迎えた萩本さんの現在について、インタビューでひもといていこう。

取材・文=野本由起 撮影=川口宗道

advertisement

「お父さんのどこが好き?」「『好き』はないわね」

──『ありがとうだよ スミちゃん』では、萩本さんと澄子さんの夫婦関係について語られています。夫婦ではありますが、萩本さんは事務所代わりの東京の家で過ごし、澄子さんとお子さんたちは神奈川県二宮町にある自宅で暮らしていたそうです。あらためてご著書を読むと、ちょっと不思議な関係だったんですね。

萩本欽一さん(以下、萩本):そうかもしれないね。よく「スミちゃんってどういう人?」って聞かれるけど、返事のしようがないの。会話もそれほどしてないし、デートしてないもんだから。結婚したのも世話になった人だから恩返しのつもりでね。「有名になってお金も入ってきたから、恩返しをしたい」と言ったら、「じゃあ子どもかな」って言うからさ。

 結婚した頃は、テレビ局の人がたくさん家に出入りするものだから、スミちゃんは「一緒に住むのは苦痛だ」と言ってね。それで、スミちゃんと子どもたちは静かなところで暮らすことにしたの。「できれば内緒で、遠くで応援したかった」なんて言ってたな。

──澄子さんは、萩本さんの「ファン」だとおっしゃっていたそうですね。

萩本:そういうことも亡くなる時にわかったんだ。ぼくには聞けないもん、「欽ちゃんのどこが好きで一緒になったの?」なんてさ。ある時、息子たちが「お父さんのどこが好きだったの?」と聞いたら、「『好き』はないわね」って。それを聞いてコケたね(笑)。返す言葉がない。

 息子がさらに「じゃあ、なんで一緒になったの?」って聞いたら、「うーん」って15秒くらい考えて「ファンだったの」って。それを聞いた時に、全部つながった感じがしたね。スミちゃんは文句を言ったり怒ったりしない人だったけど、それはファンだったからなんだ。

萩本欽一さん

──澄子さんは、ご自宅でもいつもきれいにお化粧されていたそうです。それも、ファンだったからと考えると納得がいきますね。

萩本:そう。それも後から知ったんだけどね。ぼくは勘違いしていたんだ。たまに家に帰ると、いつも口紅を塗っていたから「今帰ってきたばかりなのかな。友達と会っていたのかな」「お化粧が好きなのかな」って。まさかぼくのためにしているなんて、思ってもみなかった。でも、そこでぼくが「誰かと会ってたの?」と聞いたら、がっかりして何も答えなかっただろうね。あの人は、とにかくきちんと答えを言わない人だった。

──エッセイでは、澄子さんを「情黙の人」だと語っています。この言葉に込めた思いを聞かせてください。

萩本:そう、情黙の人。黙っていても情を感じさせるところ、カッコよかった。そんな言葉はないから自分で作っちゃったんだ。たまに家に帰った時にさ、「世間の夫婦みたいに子どもたちの話でもしたらいいんじゃないの? こっちは聞く用意があるよ」と言っても、あんまり話さない。「たまにしか帰ってこないのに、そんなつまんない話をしたら時間がもったいない」なんて言ってね。「うまいこと言うな、本心かな」と思ったね。不思議な人なんだよ。3つ上だから、ぼくにとってはずっと“お姐さん”って感じだね。

──萩本さんが18歳で浅草の劇場に入った時からのご縁だそうですが。

萩本:いきなり家に来てさ、アパートが遠いんだかどうだか知らないけど、「帰るのが面倒だから泊めてくれる?」って。スミちゃんは布団で寝たけど、ぼくは洋服を着たまま柱に寄っかかって寝てね。そういう特別な女性だったな。惚れるとか、そういうのでもないんだよ。

──でも、何か惹かれ合うものがあったからご結婚されたんですよね?

萩本:そうなのかなぁ。ある時、アパートに帰ったら部屋にテレビがあってね。どうしたんだと思って大家さんに聞いたら、「女の人が『鍵を開けてください』と言って、なんか置いてったよ」って。で、スミちゃんにそれとなく聞いてみたら、「ああ、これからはテレビの時代だから、ちゃんと観ておかないとテレビの世界には行けないよ。だから置いといただけよ」って。

 テレビに出るようになってからも、ぼくはしばらくお金がなかったんだよね。浅草の先輩から「テレビ局に行く時は地下鉄で六本木まで行って、そこからテレビ局まで歩いて行くんじゃなくて、タクシーに乗っていけ。それでテレビ局の前で降りろ」って言われたの。1メーターだけタクシーに乗れって言うんだけど、お金がないでしょう? それで、スミちゃんに電話したら「うん、わかった。じゃあ、窓の下にいて」って。そうして劇場の窓の下で待っていたら、お金が落っこちてくるの。それを持ってテレビ局に行ってたんだ。きっとスミちゃんは他の人たちに気づかれないように窓のところへ行って、ポンとお金を落としてくれてたんじゃないかな。

亡くなった人の顔は見ないし、手も合わせない

萩本欽一さん

──今でも萩本さんにとって、澄子さんは大事な存在なんですね。エッセイには、「ぼくはお葬式でもお墓でも、近しい人には手を合わせない。手を合わせると『お別れ』をしているみたいに感じてしまうから」とありました。今も萩本さんの中では、澄子さんが生き続けているのでしょうか。

萩本:そう。ぼくは亡くなった人の顔を絶対見ないんだ。誰のお葬式に行っても、いつも顔を見ずに帰ってくるし、手も絶対に合わせない。手を合わせると、そこで「さよなら」になっちゃうから。「さよなら」なんかしなくていい。ずっと心にいるから、悲しむってこともない。「たまには夢に出てこい」とは思うけどね。

──澄子さんの夢はご覧になりましたか?

萩本:よく考えたら、ぼくは夢ってまともに見たことがないんだよね。「夢を見るようじゃ、夢は見られない」って思ってる。つまり、「夜に寝て夢を見るような人では、自分の抱いている大きな夢が叶うことはない」ってことだね。だから夢を見るようになったら、ぼく芸能界は終わりかなと思って。まあ、そろそろ起きるって時間に夢の“途中”まで見ることはあるけどね。

──では、澄子さんの夢も見たことはないのでしょうか。

萩本:一回だけスミちゃんが出てきたことがあったな。どこだかわからない場所にいて「あれ、スミちゃんじゃない?」と言ったら、ぼくを掴んでグッと部屋の隅っこへ連れていって抱きついてきたの。びっくりしたよね。「なんだこれ、夢じゃねぇか?」と思ったら(笑)。その時も、スミちゃんはいつものスミちゃんだったね。最後はどうだったかわからないから、ぼくの中では夢の“途中”。でも、「あれ、夢を見たってことは仕事がうまく行かなくなるのかな」と少し不安になったね。

 夢のような気がするっていう体験は、もう一回だけあるんだよね。ちょうどレギュラー番組を辞めるちょっと手前だったかな。ぼくはいつも家から出ると、第七機動隊(警視庁)の前を車で通ってテレビ局に行ってたの。帰りも機動隊の前を通ったら、検問をやってたんだね。その時、ぼくが運転しててさ。「ダメだよ。停車しないと捕まってテレビの番組が終わるよ」と思ったけど、「ああ、終わっちゃった!!」って叫びながら突っ込んでいくんだ。パッと目が覚めて「ああ、危険だなぁ。こんな夢を見るなんて、どっか疲れているのか、それとも辞めたい願望があるのかな」と思ったね。ただ、これも夢の“途中”。その先まで見ちゃったら、本当に大変だったね。

──今、澄子さんが夢に出てきたら、どんな言葉をかけたいですか?

萩本:「少しお時間があるようだったら、スミちゃんのお話聞かせて」って。「他に誰もいないから」って言葉も付け足してさ、「欽ちゃんと一緒になって幸せだったの?」って聞きたいね。嘘でもいいからと思うけど、あの人はこういう時に嘘は言わないと思う。冗談でも「ずっと幸せだったわよ」なんて言う人じゃない。そこもいいんだよね。

──ご著書の表紙には、香取慎吾さんが描いた澄子さんの顔が描かれています。巻末に掲載された澄子さんの写真と見比べると、とてもよく似ていますね。

萩本:そうだね。慎吾ちゃんが目の前のものをありのままに描いた絵って、これ一枚だけじゃないかな。ぼくは編集者から人づてに聞いただけだけど、「絵を描きながらスミちゃんと会話しているようで楽しかった」と言っていたんだってね。この絵も、こっちをじっと見て「仕事、ちゃんとやっているだろうね」って聞かれている気がする。「容赦はせんぞ」って顔だよね。

言葉をちょっと変えるだけで、人生がコロッと変わる

萩本欽一さん

──ご著書には、澄子さんとのお話以外にも柳葉敏郎さんや斎藤清六さん、志村けんさんとのエピソード、仕事についてなど、さまざまなエッセイが収録されています。中でも印象的なのは、萩本さんが“言葉”を大事にしていることでした。「自分の人生の進む道を決める時、『言葉』というものを大切にしている」「人に出会うと『言葉』が飛んでくる」という文章もありましたが、言葉に対する思いを聞かせてください。

萩本:言葉をちょっと変えるだけで、人生がコロッと変わる。“言葉”が変化すると“物語”が生まれてくるのね。最近、言葉がいい物語になったのは栗山(英樹)監督じゃない? WBC(2023 ワールド・ベースボール・クラシック)で日本代表を優勝に導いて、周りを感動させたからね。栗山監督の不思議な言葉が、選手たちの心を動かしたんじゃないかな。

 言葉の大切さに気づいたのは、ちょうど40歳頃だね。コント55号をやってる時に、あんまり学校で勉強してなかったから「言葉が足りないな」と思って。でも、ぼくの母親はもともと言葉を大事にする人だったんだ。ぼくがダメな時でも、いいところを見つけようとしてくれてね。なんと素敵な母親に出会っていたんだろうと気づいたのも、40になった頃だったな。

──言葉によって、人生も変わるんですね。

萩本:そう。自分の人生の中で、いい言葉に飛びついた者はみんな成功してるんだ。嫌な言葉が出てきたらさっさとやめたほうがいい。つらい言葉にぶつかったら、いい言葉に変えてもう一度挑戦したほうがいいんだから。

 成功する時は、スタートした時点で必ずいい言葉が出てくる。その時に「いい言葉だ、これは当たったぞ!」と思ったら、その時だけ努力すればいいんだ。全部に対してするのは、無駄な努力。

──努力するべき時にすればいい。そういうことですね。

萩本:そうね。努力を一番うまくやった人は、長嶋(茂雄)さん。努力って、ひそかにするものでしょう。でも、努力している人は他にもたくさんいる。だから誰も見ていないと言いながら、誰かひとりでもいいから隠れた努力を覗かれる隙間を開けとかないとダメだね。

 長嶋さんもそうだよね。長嶋さんの努力は、本人から聞いた話ではなく「長嶋さんってすごいんだよ」と誰かから聞いた話ばかりでしょう。同僚の選手が「長嶋はああいう練習をしてた」と語ると、オーバーに言うもんだから伝説になる。

 本来努力は隠れてするものだけど、全部隠したまんまじゃ実らない。その努力を誰かが見てくれないと、物語が発展しないんだ。長嶋さんの場合、努力を見つけてもらう隙間を自分で開けたわけじゃないんだよね。たまたま穴の開きそうなところで努力をしてたというのが、またすごい(笑)。

 だから、ぼくも「今度こういうテレビ番組をやります。観てね」なんて絶対に言わない。宣伝もしないし、記者会見もやらない。そういう番組が全部当たったんだ。記者の人を集めて「今度こういうテレビ番組をやります」なんて宣伝しても、当たった試しがない。最近のテレビは、「観てね」「買ってね」ばかりでしょう? そうでなく、誰にも言わないでひそかにやってると、口コミで「あれ面白いよ」となるんだ。口コミが一番。だから、この本もぼくからは「買って」なんて言わない。むしろ、ぜひとも買わないように(笑)。

これは「動けなくなった欽ちゃんのそれからをまとめた本」

──萩本さんは74歳で大学に通ったり、最近ではYouTubeを始めたりと、年齢を重ねてもさまざまなチャレンジをされています。この本を読んで、萩本さんの姿に大きな刺激を受ける読者も多いのではないかと思いました。

萩本:この本は『週刊文春』の連載をまとめたものだけどさ、最初は「大学に通い始めた欽ちゃんの珍道中を1年くらい連載する」って話だったんだよ。それがもう、7年くらい続いているからびっくりだよね。

 そもそもぼくは、「体が動かなくなったらボケ防止のために大学に行こう」と思っていたの。やっぱり、年を取るとパワーを発揮できなくなる。ぼくは体を動かすコント55号で有名になったし、それからもずっと動き続けてきた。それでも、さすがに体が動かなくなってくるんだよね。最初は50歳の頃に大学に行こうと思ったけど、まだまだ元気すぎて面白くない。これだったら、まだ大学のお勉強にも簡単についていけるなと思って。60歳の時も考えたけど、お医者さんに「欽ちゃんの脳は30歳くらいだね」と言われて、大学に行くのをやめた(笑)。

 でも、70歳を過ぎると体はますます動かなくなるし、だんだん人の名前がわからなくなってきて、知った言葉も出てこなくなった。「あ、ちょっとボケみたいなものが始まったな」と思ったね。それで、「今まで覚えたろくでもない言葉はみんな頭から出しちゃえばいい。代わりに、新鮮な言葉を頭に入れればいいんだ」と思ったんだ。それで一生懸命大学でお勉強を始めたけど、それすらどんどん忘れていくんだよね。ぼくは駒澤大学の仏教学部に入ったから、仏教の訳のわからない言葉も試験のためにずいぶん覚えた。でも、今も覚えてるものはほとんどないね(笑)。

 だからね、これは「動けなくなった欽ちゃんのそれからをまとめた本」。ぼくは30代の頃から「これからの人生はこうあるべきだ」なんて本をいろいろ出してるの。でも、年代によって考えもコロコロ変わるんだよね。ポリシーってのは、どうやら怪しげなものだって気づいた。この本に書いてあるのも、大学に通い始めた頃の志やスミちゃんへの今の思い。また何年かすれば、違うことを言ってるかもしれないね(笑)。

萩本欽一さん

あわせて読みたい