おぞましいのに美しい和の情緒漂う大正ホラー 『をんごく』著者・北沢陶インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/7

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年12月号からの転載です。

『をんごく』書影

 エンタメ作家の登竜門として知られる横溝正史ミステリ&ホラー大賞。北沢陶さんの『をんごく』は同賞史上初めて、大賞と読者賞、カクヨム賞の3冠を射止めた破格のデビュー作だ。

取材・文=朝宮運河 写真=首藤幹夫

「受賞の連絡をいただいた時にはとにかく驚きました。『大賞です、読者賞です、カクヨム賞です』と続けて告げられて、そんなことがあるんですかと耳を疑いました(笑)。電話を切った後もえらいことになった、どうしよう、という戸惑いの気持ちの方が強くて、喜びがこみ上げてくるまでには時間差がありましたね」

『をんごく』は紆余曲折を経て完成した作品で、執筆の間には長い休筆期間もあった。

「手元のメモによれば、もとになるアイデアを思いついたのが2018年頃です。そこから何度もプロットを練り直して形を整え、執筆を始めました。ところが半分くらいまで書いたところで手が止まり、3年4カ月ほど休んでしまったんです。その間も資料を読んだり、取材をしたりはしていたんですが、なぜだか書く気にならなかったんですね。執筆を再開したのは家族が『これは絶対完成させるべき!』と強く勧めてきて、とうとう根負けしたからです(笑)。家族の後押しがなければ、最後まで完成していなかったと思います」

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情緒ある舞台で展開するさまよえる死者の物語

 大正13年の大阪。若き画家の古瀬壮一郎は、四天王寺の巫女のもとを訪ねた。1カ月前に死んでしまった妻・倭子の霊を降ろしてもらうためだ。口寄せ巫女は言う。「こう、手を出しますよって、軽く握っとくなはれ。そしたらな、喋りますさかい。奥さんが来はりますさかい」――。大阪弁の巧みな台詞回しが、じわじわと怖さをかき立てる。

「選評でも台詞や文章を誉めていただいたんですが、自分ではあまり意識していなかったんです。選考委員の方々のコメントによって、初めて気づかされた特徴や長所も多く、ありがたかったですね。中でも辻村深月さんが“ホラーの色気”と言ってくださって、とても嬉しく思いました」

 壮一郎が生まれ育った大阪・船場は、「大阪の中でも財と歴史ある」商人の町だ。暖簾がひしめく街並み、洗練された文化、独自の風習が物語に情緒と奥行きを与えている。北沢さんはなぜ大正時代の船場を舞台に選んだのだろうか。

「大阪の古地図を解説した本をたまたま見つけて、大正末期の大阪に興味を惹かれたんです。当時の大阪は日本最大の人口を誇り“大大阪”と呼ばれていたんですが、そんなことは全然知らなかった。その中でも船場は東西南北を川に囲まれた独特な地域で、言葉もいわゆる大阪弁とは違った船場言葉が話されていました。当時の資料を読むと、単語などが京都風でとても趣があるんですよ。商売の町ならではの風習もありますし、この手の物語の舞台にはふさわしい気がします」

 降霊に失敗した巫女は「奥さんの霊、降ろしにくいんですわ」「普通の霊と違てはる」と口にし、気をつけるようにと警告する。その言葉通り壮一郎の周囲では奇怪なことが起こり始めた。家で白粉の匂いがし、倭子が大切にしていた白鼈甲の簪が、どこからともなく現れ、鏡台に置かれていたのだ。

「ホラー小説には先の展開を予感させるような、不吉なアイテムがよく出てきますよね。来るぞ、来るぞと不安を煽るような。資料をめくっていて、白粉の匂いと簪はそれにぴったりだなと思ったんです」

 その日を境に、死んだはずの倭子の気配が壮一郎の周囲をさまようようになる。ささやかな異変が日常を少しずつ、怪異の色に染めていく過程がなんとも怖ろしい。特にぞっとさせられるのは、壮一郎の前に現れた幽霊が「八おいて廻ろ こちゃ鉢割らん ……こそ鉢割りまする……」と奇妙な歌を歌うシーン。この数え歌は『をんごく』というタイトルの由来でもある。

「これは実際に大阪で歌われていた、子どもの遊び歌なんです。盂蘭盆会の時期、子どもたちが前の子の帯を握って、この歌を歌いながらあちこち歩き回るんですよ。資料を読んでいてこの印象的な風習を知り、物語のメインモチーフに据えることにしました。ちなみにタイトルを『をんごく』という表記にしたのは、大阪出身の日本画家・木谷千種の作品にならったものです。おんごく遊びを覗く女性を描いた『をんごく』という絵があるのですが、弟の死をきっかけに描かれただけあって、風習自体は楽しげなのにどこかもの悲しい。この小説とも通じる世界なので、検索してみてください」

壮一郎とエリマキのブロマンス的関係

 そんなある日、壮一郎は外出先で信じられない光景を目にする。死後も成仏することなく大阪をさまよっていた友人の霊が、赤い襟巻きをつけた人影に喰われていたのだ。長寿を誇るあやかし・エリマキの登場によって、物語は新たな展開を迎える。

「赤い襟巻きをつけた人外、というイメージは当初からありました。小ずるくてしたたかで、でもどこか憎めないエリマキが、頬杖をついて壮一郎に茶々を入れている。そんな場面がすんなり浮かんできましたね。重くなりがちな物語を救ってくれるキャラクターで、描いていて楽しかったです」

 しかし巫女同様に、エリマキも倭子のありようが普通でないという。いったい何が起こっているのか。壮一郎は愛妻への未練から、エリマキは倭子を喰らうために、協力して謎を探ることになる。この奇妙な関係性も大きな読みどころだ。

「価値観や立場のまるで異なる二人による、バディものにしたいと思っていました。意外だったのはカクヨム読者の感想に『ブロマンスものだ』という声が多かったこと。そういう捉え方はしていなかったんですが、言われてみると確かにそうかもしれません」

 壮一郎とエリマキは、知られざる船場の暗部に接近していく。クライマックスに現れるおぞましくも美しい光景には、多くの読者が息を呑むはずだ。

「怖いだけじゃなく、絵的に美しいホラーに惹かれます。たとえば映画『シャイニング』のように、後々思い出せるような印象的な場面を盛りこみたいですね。アニメだと『モノノ怪』に大きな影響を受けていて、特に『鵺』というエピソードが大好きです。絵的な美しさと怖さの共存は、ホラーを書く時のお手本のひとつですね」

 関東大震災がもとで妻を失うことになった壮一郎。北沢さんは喪失感を抱えた彼の心の揺れ動きを、丁寧に追いかける。愛する人との離別と、それを受け入れることの難しさ。『をんごく』が奏でるテーマは深く、普遍的だ。

「大切な人との別れは誰しも経験することです。それを乗り越えるまでにかかる時間や経緯は人それぞれですが、壮一郎はかなり特殊なルートを辿って、現実に折り合いをつけていく。その心理描写は難しかったですが、多くの人に共感してもらえる物語になったと思います」

 今後も大正期の大阪を舞台に、色気のあるホラーを書いていきたいという北沢さん。『をんごく』という完成度の高いデビュー作を名刺代わりに、作家としての第一歩を踏み出す。

「大阪というと固定されたイメージがありますが、『をんごく』を読んでいただければ、従来とまた違った大阪の姿が見えると思います。怖いけどちょっと惹かれるという場面や物が出てきますので、想像しながら楽しんでもらえれば幸いです」

北沢陶
きたざわ・とう●大阪府出身。イギリス・ニューカッスル大学大学院英文学・英語研究科修士課程修了。2023年、大正時代の大阪を舞台にした「をんごく」で第43回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉〈読者賞〉〈カクヨム賞〉をトリプル受賞してデビュー(応募時のペンネームは露野目ナキロ)。

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