『エヴァーグリーン・ゲーム』作者「自分の中で物語が出来上がっていたからこそ、最後まで書き進めた」第12回ポプラ社小説新人賞受賞・石井仁蔵インタビュー

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/11/7

石井仁蔵

 前身のポプラ社小説大賞を含めると、『食堂かたつむり』の小川糸、『四十九日のレシピ』の伊吹有喜、『ビオレタ』の寺地はるななど、数々の人気作家を輩出してきたポプラ社小説新人賞。

 2023年に発表された第12回で、誰かに届けたい“面白さ”が凝縮された作品として選ばれたのが、新人作家・石井仁蔵氏による小説『エヴァーグリーン・ゲーム』である。本作の題材となったのは、世界有数の頭脳スポーツであるものの、日本ではまだ認知度が低いチェス。その面白さに魅入られた4人の若者たちによって、命を懸けた闘いが展開される。

 彼らがとりつかれたチェスの魅力、そしてチェスによって動きだす彼らの激動の人生を、作者はどのように書き上げたのか。石井氏にインタビューした。

取材・文=吉田あき、撮影=金澤正平

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チェスには無限の可能性がある

——日本ではあまり広まっていないチェスを題材にしたのはなぜでしょうか。

石井仁蔵(以下・石井):広まっていないからこそ書けた、と思います。これが将棋だったら、おそらく書いていないんです。チェスは国内の先行作品も少なく、描かれていないことが山ほどある。だからこそ書く価値があるなと。この小説を思いつく前から、チェスは好きでしたし。

——この物語に出てくる4人はいずれも運命的にチェスに出会っています。石井さんにはどんな出会いが?

石井:僕の場合、まったく劇的ではないんです(笑)。ほんの数年前に、何気なくネットで調べて、覚えていったような感じで。

——専門用語が多いですし、先行作品がないことの難しさがあったのでは?

石井:そうですね。日本ではチェスにまつわる作品が多くないので、将棋の話を参考にしたこともあるし、海外のものだとNetflixの『クイーンズ・ギャンビット』など、いくつかの映像を観ました。

——チェスの監修者の名前もありましたね。

石井:はい。本の刊行にあたってポプラ社さんが手配してくれました。いろいろと教えていただき、非常にありがたかったです。用語の使い方とか細かなルールの扱い方、定跡の名前の微妙な違いなど、プロの方に見てもらうことで、原稿の精度を高められたと思います。

——チェスによって人生を切り拓いていく登場人物たちの物語から、チェスの圧倒的な面白さが伝わってきました。石井さんが考えるチェスの魅力とは?

石井:世の中には実力のある方がたくさんいるので、僭越ですが…シンプルさと奥深さが同居しているところかなと思います。駒を削りながら相手を追い詰めるというシンプルなルールの中で、駒が徐々に減っていき、盤面がどんどんシンプルになっていく。けれども、その過程の駆け引きには無限の可能性がある。鮮やかなチェックメイトに、美しさを感じることもあります。

——将棋では、持ち駒を再び盤上に復活させていきますから。

石井:はい。将棋だと、お互いの駒を取っては使うという総力戦のような形が多く、王をギチギチに締めつけていくイメージがあります。それに対してチェスは一方的に減っていくので、盤上に駒が3つしかないという状況も起こりうる。そこは大きな違いだと思います。

——チェスの美しさが伝わってきます。この物語では、釣崎が仕事を忘れるほどチェスにのめり込んでいきます。そこまでの魅力は何なのだろうと…。

石井:僕も深夜にずっとオンラインでチェスをしていて、やめられなくなった経験があります。理由をあらためて問われると、なぜだろうと思うのですが、そのときは楽しくて仕方ないんですね。

——世界には著名のチェスプレイヤーがたくさんいます。好きなプレイヤーはいますか?

石井:ボビー・フィッシャー、ヒカル・ナカムラ、ミハイル・タリの3人を挙げます。

 外せないのはボビー・フィッシャーですね。冷戦下の時代に、アメリカ側の代表となって、ソ連のチャンピオンに勝利した人です。ところが冷戦後には、チェスを指したせいで国を追い出されます。チェスで国を背負った男が、チェスによって国を追われるんです。彼にとってはおそらく、政治などどうでもよく、チェスが人生のすべてだった。その生き方は非常に興味深いです。

 現役の方でいうと、ヒカル・ナカムラさん。ヌートバー選手や大坂なおみ選手のように、日本の血を引きながらアメリカで活躍する方は、どうしても注目してしまう。頻繁にチェスの配信をしていて、それを見るのも好きです。チェスがさかんとは言えない日本の生まれでありながら、世界のトップクラスになっているというのは面白いですね。

 最後は旧ソ連時代のプレイヤー、ミハイル・タリ。駒をどんどん捨てながら、大胆なサクリファイスによって勝利を呼び込むプレイスタイルが特徴的です。チェスの魔術師とも呼ばれています。

石井仁蔵

書きながら、自分でも良い兆しを感じていた

——多くのチェスプレイヤーにとってそうであるように、この物語に出てくる登場人物の人生もチェスによって大きく動いていきます。透、晴紀、冴理、釣崎という4人のキャラクターは、どんなところから着想を得て生まれましたか?

石井:もともと群像劇を書くのが好きなので、今回も群像劇にしようと。バランスや対比、一人一人が背負っているものを考える中で生まれていきました。

——最初に誰を?

石井:物語の最初に出てきた透かもしれないですけど…覚えてないです(笑)。男3、女1くらいのバランスで、少年、高校生くらいの若者、女の子…と4人並行で考えていって。釣崎は最初はもっと幼い設定でした。

——書きながら変わったのですか?

石井:書き出す前ですね。最初はサヴァン症候群の少年を考えていたんですが、重い病気を抱える透と若干かぶっていたのもあって、やめました。途中で人に読んでもらったときに、釣崎は小悪党っぽい感じがするねと言われて、命知らずのキャラに変えたということもあります。

——冴理は4人の中で唯一の女性。全盲で、とても負けん気が強い人物です。

石井:当初はもっと穏やかだったんですが、強気で毒っ気もある人物に仕上げることで、ほかとの対比を効かせました。

——確かに、冴理が強気だとしたら、透は弱気ですね。

石井:そうですね。そのあたりもやはり、差をつけなきゃというのは考えたところです。

——晴紀は、実力者だけどプロを目指すかどうか悩むという、心が揺れる様子が色濃く描かれています。

石井:難病や盲目などのバックボーンを持つ子たちの中で、1人は不自由なく育っているような、エリート的な存在を置いておきたいなと。ハンデがあったり、特殊な状況にいたりする人物ばかりにならないよう、一方の重しとして機能してもらおうと考えました。

——特に感情移入してしまった人物を挙げるなら?

石井:釣崎でしょうか。ほかの3人は、整えながら慎重に話を進めていきましたが、第4章の釣崎から一気に加速してやろうという想いがあったので。弾けたキャラクターで、書いていて楽しかったのもあります。

——読んでいても加速する様子が伝わってきました。4人以外の人物もそれぞれ印象深いですね。釣崎を悪事に誘い込むヤンとか。

石井:釣崎のパートだとどうしても悪っぽくなるんですけどね。ただ、あんまりダークにしたくないのもあって、遊びを入れようと。軽妙さで言うと、ヤンのセリフ回しは『HUNTER×HUNTER』のフェイタンを参考にさせてもらいました。彼も悪事を働くんだけど、残酷さとコミカルさが同居する面白いキャラクターなので。

——メインの4人が物語を動かす脇で、遊びの入ったキャラクターがいるのは興味深いですね。他の作品を含め、つい書いてしまう、つい惹かれてしまう、というキャラクター像はあるのでしょうか。

石井:自分だけのルールを持っていて社会から外れてしまうというキャラクターは、書いていて面白いですね。逆に、社会や組織のルールをガチガチに守るような、官僚的・軍隊的な人物も面白い。ある種の極端さを帯びた存在には惹かれます。

——4人の人生は複雑に絡み合い、衝撃のラストへと向かっていきます。クライマックスは最初から決まっていたのですか?

石井:チェスの大会をクライマックスにして、そこに向けて4人を動かしていこうというスタイルではありました。なので、その過程で4人が完全に独立しているより、それぞれが絡み合うほうが面白いんじゃないかと。

——伏線を描くなかで、物語がうまく進まなくなるようなことは…?

石井:途中で詰まって動かないことも過去には多くありましたけど、今回は何とか切り抜けられて、それが手応えにもなりました。途中で詰まるのは、まだ自分の中で物語が出来上がっていないから。今回はそれがなかったので、これはいけるのかなと、自分の中でも良い兆しを感じていました。

石井仁蔵

エヴァーグリーン・ゲームと4人の人生を重ね合わせて

——重厚な物語ですが、書き上げるまでの期間は?

石井:全体を通すと1年ぐらいだと思います。三人称で書き始めたものを一人称に書き換えたりもしましたし、これでダメだったら仕方ないな…という覚悟も多少あったので、推敲に時間をかけました。何ヶ月か間を置いて推敲することもありました。

——この作品の前にも小説を書かれていたそうですね。

石井:小説は長く書いています。サスペンス、コメディ、ファンタジーなどいろいろと手を出しながら、なんとか続けてきました。

——ほかの作家さんの小説を読むこともありますか?

石井:はい。ジャンルを決めて読むのではなく、目についたものをどんどん読んでいくほうです。好きな作家さんは、村上龍さん、伊坂幸太郎さん、町田康さん、星新一さん。この4人は僕の中では大きな存在です。

——『エヴァーグリーン・ゲーム』というタイトルに込めた想いを教えてください。

石井:チェスの名局の一つに、エヴァーグリーン・ゲームというものがあるのを知って、かっこいい名前だなあと。対局としての内容も面白いし、エヴァーグリーンという言葉には「不朽の、色褪せない」という意味があります。これはチェス自体を指す言葉にもなるなと感じ、タイトルにしました。

——チェスとともに歩む4人の色褪せない人生を重ねることもできそうです。

石井:人生に引っ掛けたところもあります。エヴァーグリーン・ゲームがどんな対局なのかを物語の中で書いていますが、その対局と彼らの人生を重ね合わせるような展開にはできたかなと。タイトルは割と早い段階で思いついた気がします。

——チェスと人生を掛けているからこそ、4人のプレイスタイルにも違いが…。

石井:そうですね。性格に合わせた棋譜も考えようとは思いましたが、あまり細かいところを描写しても伝わりづらいかなと。そこは、チェスのルールがわからなくても読んでもらえるように意識しました。

——チェスにくわしい人が読んだら、物語の捉え方がまた違ってくるかもしれませんね。

石井:長くチェスを指している人にどう読まれるのかは、気になりますね。僕はチェスが強いわけでも、長くやってきたわけでもないので…。ただ今回、日本チェス連盟の理事をされている真鍋浩さんにお褒めの言葉をいただき、帯を書いてもらえて嬉しかったです。この本を読んでチェスを指してみたい人が増えたら、それは何よりの喜びですね。

——次回作の構想はありますか?

石井:いくつかありますが、僕が100%納得できるものは、おそらくそんなに受けないんじゃないかと思うので…バランスが難しいですね。僕が書きたいものと求められるものの差を埋めていくのが、今後のいちばん大きな課題です。

——では、今作はその2つが合致した作品だったと。

石井:そうですね。2つの円が重なり合った部分を評価していただけたのかなと思います。

——続編も読んでみたい作品ですが、その可能性についてはどうでしょう。

石井:書いてみたいですね。物語を動かすだけならできると思うんです。でも、チェスの魅力や「チェスと人生」といったテーマを今作に込めたように、続編を書くとしたら別のテーマを見つけないといけない。今はまだ考えられていません。チャレンジはしてみたいですけどね。

【小説特設サイトはこちら】
https://www.poplar.co.jp/pr/evergreen/

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