ヨシタケシンスケが描いた、幻の「ボツになったおしごと」とは? 「こんな仕事があったらいいな」で生まれた新刊『おしごとそうだんセンター』を語るインタビュー

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/2/27

ヨシタケシンスケさん

りんごかもしれない』(ブロンズ新社)や『メメンとモリ』(KADOKAWA)など、話題作の数々を生み出した絵本作家・ヨシタケシンスケ。2月26日には新作『おしごとそうだんセンター』(集英社)を刊行した。「『しごと』ってなんだろう?」をテーマに、想像上の職業を紹介するハローワークストーリーになっている。本記事では、本作に対する想いや制作裏話をヨシタケシンスケ氏に語っていただいた。

――地球に不時着した宇宙人に、窓口のお姉さんがいろんな職業を紹介していく『おしごとそうだんセンター』。「ネクタイ結び方教室」や「おもちゃドクター」、「トータルファイナル恋占い」に「時空引越し便」など、あったらいいのに!という架空の職業ばかりでわくわくしました。『あるかしら書店』(ポプラ社)のお仕事版みたいな一冊ですね。

ヨシタケシンスケさん(以下、ヨシタケ):まさにそんなイメージで書きました。もともとは月刊誌「小説すばる」表紙だったんですよ。毎回、架空のお仕事というテーマで絵を描き、裏表紙に「実はこういうお仕事でした」と種明かしをする。そのほうが見る人も謎解き気分で楽しめるかな、と。

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 いつもは絵と言葉の両方で表現するので、なんとなく言い訳が立ちやすいところもあるんだけど、表紙には作家さんの名前や作品のタイトルが載るから、絵だけで勝負しなくちゃいけなくて。一枚の絵をどうすれば長時間楽しんでもらえるだろう? と考えた末の策です。

おしごとそうだんセンター

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――どうして「仕事」だったんですか?

ヨシタケ:狭いようで広いくくりだな、と思ったんですよね。世の中には「そんなことが仕事として成立するんだ!」という職業がいろいろあるじゃないですか。この作品のなかに出てくるお仕事はどれも実在はしないんだけど、あったらいいよなあ、あるかもしれないよなあ、と想像するのは楽しいし、いろいろやりようがあるよなと。

おしごとそうだんセンター

――眺めているだけで楽しいイラスト集でもありますが、本にまとめる際には、宇宙人とお姉さんの「働く」ことに対する哲学的な対話が加わって、ぐっと読み応えが増していますね。

ヨシタケ:大人って、すぐに将来の夢を聞いてくるじゃないですか。やりたいことも夢もなかった僕は、それがものすごくいやだったんですよね。そもそも、夢があるからといって、それを他人に言う筋合いなんてないじゃないですか。それなのに大人たちがやたらと聞いてくるのは、夢を設定してくれたほうがラクだからなんですよ。先生たちも指導しやすいし、一緒にどうしようかと考えて残業しないで済む。

――確かに。だったらこの学部、この専門学校、この就職先をめざして頑張れって言えばいいだけですもんね(笑)。

ヨシタケ:そうそう。今ならそういう大人側の事情もわかるけど、夢のない子どもにとっては、やたらと焦らされるしコンプレックスに感じてしまうし、たまったもんじゃない。別に夢なんて言わなくていいし、焦る必要もないんだよってことを当時の僕に教えてあげられたらなあと思いました。やりたいことなんて十何年しか生きていない頭でわかるもんじゃないんだよ、ってことも。

――そもそもずっと一つの夢を追いかけ続けられることのほうが稀ですしね。本作で〈なりたいものが、やりたいことがどんどん変わっていくのは、大人になった証拠なのかも〉と書かれているところ、すごくよかったです。〈いろんなものがどんどんまざって、あなたはあなたになっていく〉というところも。

ヨシタケ:人って、向いていないものを5年10年も続けられるほど器用じゃないんですよ。明確な「好き」や「やりたいこと」じゃなかったとしても、何年か続けていられるなら、あなたの中にある何かとマッチしているという証拠だし、なんとなく生きているだけでおさまるところにおさまっていくということもあります。

「自分はこうだ!」と無理やり決めなくても、だんだんとあなたっぽいものに状況が集約されていくから、流されるまま生きるっていう手もあるよ、ということを誰も教えてくれないんですよね。身も蓋もないような気がしちゃうからなんだろうけど、やりたいことなんて別に一生見つからなくたってかまわないんだって言葉も、僕はこの世界にちゃんと置いておきたかったんです。

――実際、お姉さんが宇宙人に言いますよね。別になりたいものなんてなくていいんだ、って。

ヨシタケ:そうそう。実をいうとあのセリフが出てきたときに自分でびっくりして。でもそうだよなあ、やりたいことなんて頭で考えているだけじゃわかんなくて、経験を重ねるうちに身体でわかっていくことだったりもするよなあ、と思いました。

 他にも「自分に優しくできないと他人にも優しくできないのよ」という言葉だったり、お姉さんを通じて出てくる言葉に、読んでくれた人たちが「そうだよなあ」って納得したり、心が軽くなってくれたりしたらいいなと思いますね。

――明確な夢があったとしても、願ったとおりに実現する人なんて、そうそういないじゃないですか。たとえばアイドルになるという夢は叶えたけど、その夢を経由して、別の専門職に就いたらより実力が発揮できるようになった……とか。夢は変わってもいいし、諦めても折れてもかまわないんだってことをちゃんと言ってくれるこの本は、大人にとっても救いだと思います。

ヨシタケ:生きていればどうしたって、努力しなくちゃいけない局面には立たされるんですよ。そのときに、どういう言葉をかけられたら頑張れるか、というのは人によって違うと思うんですよね。「夢のためにすべてを犠牲にして諦めずに頑張れ」と言われたほうが発奮してがむしゃらに突き進める人。「叶わないかもしれないけど、とりあえずやるだけやってみたら?」と言われたほうが安心して一歩を踏み出せる人。僕は、後者でした。失敗は許されないなんて言われたらぶるぶる震えちゃって、何もできなくなる。

――確かに、人によって頑張り方はそれぞれのはずなのに、世の中には追い立てるように頑張らせる言葉ばかりが溢れていますね。

ヨシタケ:そうなんです。本来、「頑張らなくてもいいんだよ」という言葉は、強い言葉じゃ頑張ることのできない僕みたいな人のためにあるような気がしていて。「そのままのあなたでも別にいいんだよ」と言われたことを安心材料にして、ゆるやかに先に進んでいけるんです。でも、困ったことに「お前はもうちょっと頑張ったほうがいいぞ」という人にほど、「頑張らなくていい」という言葉は届いてしまうんですよね(笑)。

――逆に、届いてほしい人ほど「自分はもっと頑張らなきゃ」と追い詰めすぎて、心身を壊してしまったりしますね。

ヨシタケ:過労で倒れる前に微労で休む、みたいなことができるといいですよね。夢の諦め方、上手な倒れ方というのも、あんまり教えてくれる人がいないよなあというのも、この本を書きながら思っていたことですね。ただ、成功も失敗も全部糧にできるというのは本当なんだけど、糧にするためにもセンスは必要で、そのいちばんシビアな問題を曖昧にしているのが、この本のちょっとずるいところなんですよね。

――でも、〈何かを選ぶときの「なんとなくこっちかな」とか「なんかちがうな」っていう気持ちは、けっこう当たるのよ〉とあったように、そのセンスは元来、多くの人が持っているような気もします。鈍くなって、発揮できずにいるだけで。

ヨシタケ:誰もが、自分で思っているより、自分のことを信じていいよとは思っているんです。給料も仕事内容もすべて希望どおりなんだけど、なんか引っかかる。みたいなことはあるでしょう。その「なんか」は大事にしたほうがいいし、本能的な勘は生物として生き延びるために、人はみんな持ち合わせているはずだと思うんです。

 あるいは、その勘が外れたとしても「この遠回りが必要だったんだ」みたいに思い込めるくらいの都合の良さを、たいていの人は備えている。ネットに溢れかえる情報を鵜呑みにするよりは、よほど間違いがないだろうと思っています。ただ、先ほど言った過労で倒れてしまう人は、体内で鳴り響いているはずのアラートが聞こえていない。センサーを鈍くしておかなければやってられない、ということもあるだろうから、難しいですよね。

――ヨシタケさんは、そのセンサーに助けられた経験ってありますか?

ヨシタケ:ときどき、ありますね。会社を辞めて独立するときも、なんだかわからないけど「あ、今だ」と思うことができた。それ以前から悩んではいたけれど、悩んでいるうちは条件が整っていなかったんだなあと思いますね。本当に動くべきことなら、プラスマイナスを度外視して動き出せる瞬間というのがいずれ訪れるから、最後の一歩をどうしようか思い悩んでいるうちは「今じゃない」と思ったほうがいいんでしょうね。

 そうやって今日まで生きてこられた自分のことは、ちゃんと信じてあげたほうがいいんじゃないかと思います。とはいえ……「それができないから困ってるんだろう、バカ!」って言いたくなる気持ちもわかります。

――(笑)。

ヨシタケ:それができれば苦労しないんだよ、と。「自分を信じて!」と言われることに苛立ちながら生きてきた人間としては、「そりゃあ信じられるあなたはいいでしょうけど、どうしたってできない人間は何に救いを求めればいいんですか?」と言いたくもなるでしょう。

 だからこそ僕は、その答えを自分なりに導き出せるようになっていきたいんです。その気持ちに共感できるくらい、自分に自信を持てなかったことこそが、作家としての僕の財産だなと思うから。

――いま腑に落ちたんですが、ヨシタケさんには「こういうことを伝えたい、描きたい」という気持ちはあっても、それによって読んだ人がどうにかなるとはあんまり思っていないですよね。

ヨシタケ:そうなんです。誰かを変えようとも変えられるとも思っていないし、そもそも、変わってほしいとさえ思っていない。

――だから今作のように、哲学的な内容の本を読んでも、まったく押しつけがましさを感じないのだなあと。

ヨシタケ:あくまで、過去の自分にどんな言葉をかけたら救われるかな、少しは納得できるかな、ということが起点ですしね。今作に関していえば、世の中に「がむしゃらに頑張る美しさ」の神話がはびこっているなかで、真逆の「頑張らなくたってやりたいことがなくたって生きていける」という着地点を用意しておけば、自分にいちばん腑に落ちる場所を、みんなが自分なりに探せるようになるんじゃないかなあ、ということくらい。先ほど言った、先生たちの事情だって、まったく否定する気はないし、その気持ちはわかるよーとも言いたくなりますし。

ヨシタケシンスケさん

――「頑張らなくていい」が届いてはいけない人に届くリスクを考えたら、みんなを頑張らせたほうがまだ悪い結果にならないってこともありますしね。

ヨシタケ:それこそ、仕事である以上は、商売ですから、成果を出さないといけないですからね。ただ、僕がよく言うことではありますが、物は言いようだなと思っていて。なんで働かなきゃいけないのかと聞く子どもに、働かないことのデメリットを並べ立てて脅迫するのは、一時的には効き目があるかもしれないけれど、たぶん持続しない。

 それよりも「自分でお金を稼げば、好きなだけゲームを買えるよ。一晩中ゲームしたっていいんだよ」みたいに、モチベーションをあげていくほうが幸せに頑張れるような気がするんです。「自分で稼いだお金で、好きなところに住んで、好きなように生きるってこんなにも楽しいんだよ」って、いろんな方法で伝えられたほうが、みんなが自分にとってしっくりくる答えを見つけられるんじゃないかなあ、と。

――まさに、その手助けをしてくれる本だな、と思いました。

ヨシタケ:ありがとうございます。「これが正解」「こっちのほうがいい」って押しつけられるのが嫌いで「自分で選ばせてよ!」と思っていた身としては、なるべく選択肢を与えるような描き方をしていきたいと思っています。

――最後の見開きにある、みんなで「仕事お疲れさま!」の乾杯をしている絵もいいですよね。「働いたあとのビールっておいしそう」というだけで、ちょっと夢があるというか。

ヨシタケ:そうそう(笑)。最後にこういう絵があるほうが、一冊の本としてまとまりがあるかなあと思ったんですけど、おっしゃるとおり、この雰囲気に触れて「働くって悪くなさそう」ってちょっとでも子どもたちが感じてくれたらいいな、とわくわく感を出してみました。

 実際、お酒を飲める・飲めないにかかわらず、愚痴を言いあう飲み会って楽しかったりするじゃないですか。辞めてやるって話をしているときがいちばん楽しそうな人もいるし。

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――いますね(笑)。ちなみにヨシタケさんが仕事のご褒美に用意していたものってありますか?

ヨシタケ:それがあんまりないんですよね。この本にも「仕事をしていない自分」も大事にしたほうがいいよ、と書いたのは、僕自身が趣味とかない人間なので、日頃から探しておいたほうがいいよというのも言いたかったからなんだけど……。あ、そういえば、4~5年前までは、仕事終わりにいかがわしい動画とか観ていましたね。

――意外な答え!(笑)

ヨシタケ:なんでこんなに観るんだろう?と思っていたんですが、あるとき、気が付いたんです。考えない時間が欲しかったんだな、と。そういえば、赤ちゃんが転ぶだけの動画とかも好きなんですよ。あれはただ「かわいい!!」って感情に支配されることで、理屈を追い出したかったんだろうなあ、と。……全然自慢できる話じゃなくてごめんなさい(笑)。

――でも、気持ちはわかります。プライベートでも、やっぱり人と関わる以上は何かを考えてしまうから、すべてを追い出してぼーっとする瞬間が欲しくなりますよね。そういう、仕事中の顔とは違う一面があるから、人は生きていけるんだってことも最後の章で描かれていたので、じーんときました。だからこそより「お疲れさま」の絵が沁みたのかもしれません。

ヨシタケ:プライベートで関わりのある人以外は、仕事をしているときの顔にしか触れることがないけど、たまたま仕事をしているだけであって、素の顔は別にあるんだよということを知っていれば、誰に対してもリスペクトを持つことができるのかな、とも思いますね。

 自分自身も、仕事はあくまで生活の一部でしかないと思うことで、働くことのハードルを下げられるんじゃないのかな、とも。まず「自分」があって、誰にも踏み入ることのできないその領域を、いかに守るかということを前提に考えればいいんだよ、と。

――各章だけで一冊の本になりそうな深みのある本でした。ご自身で描いていて、いちばん印象に残っているお仕事はなんですか?

ヨシタケ:実は、幻の一枚目があって。「〆切を破る作家をつかまえてくる仕事」というのを描いて提出したんですが、小説誌の表紙にはちょっと生々しすぎるかもしれないということで、残念ながら別案に(笑)。それ以外だと、やっぱり最終回に描いたヒント屋さんですね。これも連載を開始するときに思いついていたものです。

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――何かしらのヒントを見繕ってくれるんだけど、それがなんのためのものか、いつ役立つのかもわからないという。

ヨシタケ:教えてくれないんですよね。でも結局、表現ってこういうことなんじゃないかと思っていて。僕の絵本も、誰がどんなふうに受け止めてくれて、どういうかたちで手助けになるのか、わからないじゃないですか。

 でも、たとえば20年後に「あの絵本に書かれていたあのセリフはこういうことだったのか!」って気づく瞬間があったら嬉しいし、具体的なことは何もわからないけど、何かしらのヒントとして読者に手渡し続けていくということが、出版に携わる人間としての役目なんじゃないのかなあって。

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――言われてみれば、本当にそうですね。

ヨシタケ:もっと言えば、何かしらのかたちで他者に影響を与え続けるのが人間というもので、それがいつか誰かの役に立つかもしれないと願うことが、生きがいに繋がっていくんじゃないかなと思います。働くとはなにか、仕事とはどういう存在なのか、を描いたこの本にとってヒント屋さんは象徴的な存在である気がしたので、最終回にとっておくことにしました。でもね、これは言い訳でもあって、もし「お前の本つまんなかったぞ」って言われることがあっても「あなたにとってのヒントじゃなかったんですねー」って言えるじゃないですか。

――「20年後に役立つかもしれませんよ」とも言えますね。

ヨシタケ:そうそう、まだちょっと早かったのかなーって。そんなふうに、どうとでもいえる感じが僕は好きなんですよね。先ほど、都合よく思い込む機能はみんなに備わっているはず、という話をしましたけど、どの道を選んでも、どんな紆余曲折を経たとしても、何かにはきっと繋がっていくはずだから大丈夫だよってことも、この本で伝えたかったことですね。

――ヨシタケさんが生きてきた実感を、感情的にではなく、こういう前例もあるんだよというかたちで、客観的に伝えてくれるのもいいなあと思います。がむしゃらに頑張れ!とぐいぐいこられたら頑張れないのと同じで、「まあ知らんけどね」くらいのテンションで言ってくれるから「そうか、そういうこともあるか」と素直に受け止められる。

ヨシタケ:相手を慮った言葉って、案外、響かないんですよ。それよりも、無遠慮にずけずけと物を言う人の言葉のほうが心に残ることもある。無責任な発言のほうが人を救う確率が高い、という実感があるので、宇宙人に対するお姉さんの口調も、早いうちからため口にしちゃいました。たいして親身になってくれてはいないな、というくらいの距離感のほうが、安心して耳を傾けられるというのは、僕自身の実感なんですよね。

――確かに。心配してくれる人はありがたいけど、情があるからこその押しつけがましさも生まれますからね。

ヨシタケ:人を動かすのは結局のところ理屈ではなく感情なんだけど、その感情はあくまで自分の内側から生まれたものでなくてはならなくて、他人から押しつけられた感情で人は動かないんです。だから、何かを伝えるときは、できるだけロジカルでありたい。何もかも理屈が通っているべきだなんてつゆほども思っていないけど、感情を美しいものだと信じすぎてもいないというのが、僕のスタンスです。理屈と感情、どちらも行ったり来たりしながら、落としどころを探すしかないんだろうな、と。この本も、みなさんがいろんな選択肢を行ったり来たりしながら、自分なりの正解を見つけるヒントになってくれたら嬉しいです。

取材・文=たちばなもも、写真=金澤正平

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