『レーエンデ国物語』キャラクターは“幼い頃に憧れた王子様”そのもの! 作者・多崎礼×モデル兼ライター・青戸しのが共通点を語る対談インタビュー

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/2/26

多崎礼さん、青戸しのさん

全5巻に及ぶ長編大作ファンタジー小説『レーエンデ国物語』。「革命」をテーマに、架空の国家・レーエンデ国での群像劇を描く。家系に縛られ続けた無垢な少女のユリア、寡黙な射手のトリスタンを中心に描く1巻『レーエンデ国物語』。屋敷が襲撃に遭いレーエンデ東部に行き着いた名家の少年のルチアーノ、彼がふと出会った怪力無双の少女であるテッサを中心に描く2巻『レーエンデ国物語 月と太陽』。「レーエンデの英雄」を題材に戯曲を描く天才劇作家のリーアン、彼の双子の弟で俳優のアーロウを中心に描く3巻『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』が刊行され、2024年4月17日にシリーズ最新刊の4巻『レーエンデ国物語 夜明け前』を発売する。Xをはじめ、SNSでも数多くの感想がつぶやかれる話題作だ。

作者の多崎礼氏は、執筆当時の苦労を振り返る。対して、Xで本書に「子供の頃に出会っていたらレーエンデのことしか考えられなくなっていたと思う。 今出会えて良かった」とコメントを寄せていたのは、エッセイや書評の執筆業、モデル業を両立する青戸しのさんだ。共に文筆業ではありながら、異なる視点の2人。しかし、対談では意外な共通点も見えてきた。

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■キャラクターが“何を見ているのか”と読者に興味を持たせる工夫

――風光明媚なレーエンデの表現、キャラクターの心理描写も緻密な今作。青戸さんの感想は?

青戸しのさん(以下、青戸):1周目は彼らの行く末を見るのが怖く、苦しくなり何度も手を止めて、でも「読みたい!」という気持ちでページをめくりました。結果、2周したんです。

多崎礼さん(以下、多崎):心苦しくなる物語を書いてしまい申し訳なく、読者の方々に“ごめんね!”と思っています(笑)。でも、滅びかけた国が「革命」により復興する物語ですし、一度、叩き潰さなければいけなかったんです。青戸さんが繰り返し読んでくださったのは、作家冥利につきます。読者として、別の作家さんの小説を繰り返し読むのは心から気に入っている作品と出会ったときですし、ありがたいです。むしろ、忖度いただいているのかと心配で…。

青戸:していません、素直な感想ですから(笑)。1巻序盤の「見返り峠」を訪れる場面でレーエンデに惹き込まれて、1周目はユリアと同じく“この地にやってきた”とワクワクしたんですけど、2周目は“帰ってきた”と思いながらボロボロ泣いていました。途中で心苦しくなったとしても、再び“彼らに会いたくなる”のは必然だったと思います。

多崎:物語は空想なので、入り方が難しいんです。小説は“最初の50ページ”でいかに読者を引き込むかが勝負ですし、青戸さんに「帰ってきた」とおっしゃっていただいたのはうれしいです。テクニックとしての話もあって、序盤は特に説明を後回しにします。今作の1巻序盤では、ユリアやトリスタンの目と目が重なるように、読者に“この人は何を見ているのか”と、興味を持っていただけるように工夫したので、伝わっているならと思います。

――青戸さんは、今作についてXで「今出会えて良かった」とコメントしていました。

青戸:正しくは、トリスタンに「今出会えてよかった」です(笑)。幼い頃から憧れていた“物語の王子様”像そのものでした。子ども時代に今作を読んでいたら、夢中になって学校へ行かなかったと思えるほど素敵なキャラクターで。でも当時は、トリスタンの結末を受け入れられなかったと思うんですけど、大人になった今はユリアたちが“素敵な彼を作り上げた”と分かりますし、結末も受け入れられました。

青戸しのさん

■ユリアの母・レオノーラのように「強気な女性」への憧れが

――トリスタンに憧れる一方、生き様に共感できたキャラクターもいましたか?

青戸:優しく、正しく、立派に生きているキャラクターばかりで“私が共感できると言っていいのだろうか…”と、恐縮します(笑)。

多崎:そんな、大丈夫ですよ(笑)。空想のキャラクターながらも共感していただけるのなら作家冥利につきますし、友だちのような感覚で読んでいただけたのなら、私もうれしいので。

青戸:そうおっしゃっていただけると、ホッとします。ユリアが「いったい何がしたいのか、自分に何が出来るのか、何もわかっていないんです」と言う場面が印象的で、共感しました。ライターとして書評を執筆していて、自分の仕事に“意味があるのか”と思う瞬間がたまにあるんです。それは、彼女と似ているのかなって。夢も希望も、自分の意思もあるのに“本当にこのままでいいのか”と迷う瞬間は、誰にでもあると思いますし、今作のキャラクターも“生きている”と実感できました。

多崎:舞台こそ空想ですけど、人間は現実として書いていますし、自分事に重ねていただけたようでうれしいです。ただ、人生の教訓にしようとは身がまえず、ほどほどに。他の方の人生を背負うのは、畏れ多いので(笑)。私は、自分が好きで読みたい物語を書いていますし、完成させるのは読者だと思っているんです。青戸さんが“ユリアと自分”の人生を重ねてくださったことで、作品の意義が新たに広がりました。

青戸:レーエンデに生きる人たちの言葉は心に響いて、今作では「自由」という言葉もたくさん出てきますよね。トリスタンに諭されたユリアが「自由に生きるということは、自分で自分の進むべき道を選ぶということ。自分以外の人間にその答えを求めてはいけない」と悟る場面では、強く説得力を感じました。ユリアの父であるヘクトルが過去に、ユリアの母である妻のレオノーラから「花の命は短いのですよ。それなのに貴方ときたら、いつまで私を待たせるおつもりですか」と怒られたのを明かすシーンには胸がキュッとして、私も彼女のように強気な女性になりたいです(笑)。

多崎礼さん

多崎:要するに“私を口説きなさい!”という、お叱りですから(笑)。

青戸:憧れます(笑)。実は、先生に聞いてみたいこともあって。今のような心温まる表現もありつつ、今作では苦しい描写も多かった印象でした。執筆中、苦しさなどはなかったんですか?

多崎:執筆中はなく、キャラクターへの思いから苦しくなることもありません。少し視点は違いますけど、書き終わってから、納得できずに書き直す苦労はあります。読み直して、自分でグッと来ない作品は駄作だと思うんです。場面ごとの描写を細かく直して、その作業で必要なのは、書き方のテクニックとは違う感覚です。今作では、1巻序盤で特に苦労しました。私自身が、レーエンデの地を理解できていなかったんです。暑いのか寒いのか、雨は降るのか、キャラクターたちは何を食べているのか…と、細かく想像しながら書かないと、ユリアたちが何を見ているのかも書けませんし、どの小説でも1巻で必ずぶちあたる壁です。

多崎礼さん

■小説とエッセイの意外な共通点「恥をしのんでいる」

――多崎さんは小説で空想の世界を。青戸さんは書評、エッセイなどで現実を描いています。同じ文筆業でも、種類が異なる印象です。

青戸:今日は“魔法使いと会うんだ!”という思いでした(笑)。書評を書いていますけど、小説家の方とお会いできる機会は少ないんです。私はゼロから何かを書くのはできませんし、それができるのは選ばれた人の印象で、今日はずっと、読者代表の気持ちです。

多崎:大それたものではなく、普通の人間ですよ。今日も最寄り駅まで自転車を漕いで、帰りは野菜を買って帰るつもりですし(笑)。小説は空想の世界、いわば“100%嘘”の世界ですから、子どもの頃から空想癖のあった私にとっては、書きやすいんですよ。人見知りで個人主義ですし、青戸さんのようにエッセイで自分を伝えるお仕事は、私にはできないと思います。自分を出さないのは、小説を守るためでもあるんです。過去に、書店の“女流作家コーナー”を見て“女性が書いたものは男性も読むし、作家でいいじゃん!?”と思ったこともあって、色眼鏡で評価されないようにと中性的なペンネームで、性別も年齢も公表せずに活動してきました。

多崎礼さん

――両者にはやはり、違いがあると。青戸さんはいわば自分を出すお仕事で、気恥ずかしさはありますか?

青戸:エッセイは、恥をしのんで書いています。恥ずかしさも悲しさも、うれしさもすべて出して、何でもない日常を公にするわけにはいきませんし、私の場合は、気持ちのブレがあった経験を書くことが多いですね。

多崎:小説家も恥をしのんでいるんです。過去に漫画家の岡本一平さんが歌人から小説家への転身を志す奥様に「小説を書くなら、日本橋の真ん中で素裸になって仰向けに寝てみせるくらいの勇気がなければ成功しない」と伝えたというエピソードもあり、真理をついているなと。私は常に“これを書いてもいいのか?”と悩みながら、とりあえず書いて“嫌になったら最後に消そう”と思っています。

――いわゆる“生みの苦しみ”も、それぞれ乗り越え方があるのかと。

多崎:悩んだら、自分で乗り越えます。事前にしっかりプロットを書いても、どこかで行き詰まるんです。計画に沿って“神の視点”から書いて、執筆中にキャラクターの行動やセリフがいびつになるときがありますね。違和感の原因を探りながら直すのも、骨が折れます(苦笑)。

青戸:先生も苦労を重ねていらっしゃるんですね。私は、エッセイでは何と思われてもいいので苦しみはないんですけど、書評では悩みます。作品を届けたい思いが一番で、嘘を吐かずにありのまま、分かりやすく読みやすい文章を心がけていますけど、誰かの著作物について何か発言するのは不安ですし、家族や友人のアドバイスに救われているんです。

青戸しのさん

――かたや、モデルとしての活動では?

青戸:自我を出しません。文筆業で自己表現は満たされているので、求められるものに委ねている感覚です。写真撮影だけではなく、アーティストさんのMVに出演する機会もあり、誠意をもって演じています。

多崎:自我を出さずとも感動を生み、誰かの心を救っていらっしゃるのは素敵です。ちなみに青戸さんは将来、小説を書きたいですか?

青戸:先生の大作を前に恐縮ですけど、書きたいです。心に響く作品と出会うたび、憧れが増しています。ユリアのように「いったい何がしたいのか」と考え続ける人生で、小説を書いていないのに“書評を書き続けて大丈夫かな”と思い、立ち止まるときもあるんです。葛藤へ立ち向かうためにも、いつか、書いてみたいです。

多崎:私はデビューまで17年、今作までの作家人生が17年で、最初は書いても書いても一次選考にすら引っかからなかったけど、書き続けていたんです。“石橋を叩いて渡る”のではなく“石橋を叩きまくって壊す”ほどの勢いがあれば、何とかなりますから(笑)。期待しています。

青戸:ありがとうございます。頑張ります!

取材・文=カネコシュウヘイ、写真=金澤正平