睡眠薬の過剰摂取で搬送される女性、ヤケドが“異常な”シングルマザー。研修医視点で明かされる“病の真実”

新刊著者インタビュー

2018/4/6

「少しずつ書いてきた物語が、数年をかけて、1冊の本になるのは、僕にとって初めてのことなんです。1編、1編、積み重ねていった短編が、こうしてひとつの連作集にというのは、うれしいというか、感慨深いものがありますね」
知念さんが、本作最初の1編を『野性時代』に発表したのは2014年のこと。ちょうど大ヒット作『仮面病棟』が世に出た頃である。そしてその前年には、完全犯罪に潜む医師の苦悩を炙り出し、“慟哭の医療ミステリー”と激賞された『ブラッドライン』(大幅な改稿を行った2017年刊の文庫化作品では『螺旋の手術室』と改題)が――。同作を手にした人なら、“あれ?これは……”と気付くだろう。舞台は同じ、純正医大附属病院だ。

著者 知念実希人さん

知念実希人
ちねん・みきと●1978年、沖縄県生まれ。東京慈恵会医科大学卒。2012年、『誰がための刃 レゾンデートル』でデビュー。15年、『仮面病棟』が啓文堂書店文庫大賞受賞、『崩れる脳を抱きしめて』が「2018年本屋大賞」にノミネートされる。著書に「神酒クリニックで乾杯を」シリーズ、『優しい死神の飼い方』『屋上のテロリスト』など多数。

 

「異なる作品の世界観を共有することで、読者の方の楽しみが増えたらいいなと。『螺旋の手術室』では、特徴的なキャラクターも完成していましたので、それを活かし、作品をつくることができたら、と考えたんです」

 同作で、手術中に不可解な死を遂げた教授選候補のひとり、冴木真也准教授。彼の死に疑問を感じ、同じ医師として調査を始める息子・裕也――『祈りのカルテ』で、中心に立つのは、その裕也の医大時代からの親友であり、陰で彼を支える医師・諏訪野良太だ。ここぞという時にすっと手を差し伸べ、登場シーンは多くないのに、なぜか印象に残る人。本作では時を遡り、研修医時代の諏訪野良太の2年間を物語っていく。

「まだ医療界に慣れていない主人公の新鮮な目で、その世界を見つめていく。それが本作を書こうとしたとき、抱いたひとつのテーマでした。研修医は、医師であれば誰もが通る道。けれど、そこで学んでいくこと、対峙していくことは、一般的にはあまり知られていない。社交的なキャラクターが際立つ良太ではありますが、彼に託したのは、ごく普通の、どこにでもいる研修医の姿。そこに、“研修医”というもののリアルと、医師とそうでない方の中間に立つような視点を投影したかった」

 大半の医大で取り入れられているという、2年の間に2カ月ずつ様々な科を回り、実地で学んでゆく研修医のカリキュラム。作家活動とともに、医師として活躍する知念さんも、かつてその道を歩んできた。

「外科、内科、小児科……本作5編の舞台となる科は、研修医が絶対に回らなくてはいけない基本の科がほとんど。あと幾つかは、自分が回りたい科に行くという感じなのですが、良太が回っていく診療科はすべて僕も行った科。患者さんからすると、病院や医師ってひと括りに見えるのですが、診療科ごとに、すごく特徴があるんです。各々の科には特徴的な考え方があるし、医師たちのタイプもそれぞれ違う。そこを研修医として横断していったときの経験が、本作のなかには活かされています」

 ふた月ごとに診療科を移っていくテンポは、連作短編という物語の形に心地よく寄り添っていく。精神科を舞台にしたストーリーから、良太の初期臨床研修は始まる。
 

沁み出してきてしまった医師として蓄積した想い

「救急患者じゃねえよ」。救急当直の際、搬送されてきた女性への医師や看護師の、冷ややかな反応にうろたえる良太。もともと精神科に罹っていたその女性・瑠香は、2年前の離婚以来、1、2カ月に1度、睡眠薬を大量に飲み、搬送されてくる。

「こういう患者さん、特別じゃないんです。一般的に見ると、ちょっと異常だと感じられるような人々は日常的にやって来る。病院、ことに救急にとって、たしかに迷惑な部分は否めないのですが……。でも、なぜそういうことをしたのか、理由って、ちゃんとあるんじゃないのかなと」

 多忙な医療の現場では、なかなかその部分に関わってはいられない。だが研修医である良太の視点は、そこへと向かっていく。「その視点は、医療現場で抱いていた僕の問いが、出て来てしまったものなのかもしれない」と知念さんは言う。精神科病棟に入院した瑠香の担当になった良太。なぜ瑠香は、繰り返し薬を飲むのか――。別れた夫の名が、腕に火傷で刻まれている彼女は、エキセントリックな態度で、良太の問診をはねつけるばかり。そこで、彼がひもといていくのがカルテだ。

「カルテには、その人の以前からの様々な情報が詰まっている。そこからヒントを得て、謎を解いていくミステリーは、しっかり筋の立つものになるのではないかと考えたんです。精神科のカルテは、検査データよりも、患者と話をして診断したことを書きこんでいくものなので」

 瑠香のカルテから、彼女が毎月5日に退院できるよう、入院していることを突き止める良太。そこから、まるで扉を次々開けていくように見えてくる彼女の真実……。

「この5編には、何か大きなトリックがあるわけではありません。はじめは了承していた内視鏡手術を、老人が突然拒否するようになったのはなぜなのか、飲まなければ喘息の発作が起きてしまう薬を、幼女が飲んでいなかったのはどうしてだったのか……。そこにあるのは、本当に小さな謎です。そして、そのなかで良太が拾いあげ、癒やしていくのは、ひとりひとりの患者の、病気ではないところにある苦しみです」

 見舞い客、患者に届けられた手紙、なぜか行われていなかった過去の検査……彼がミステリーの答えを掬い取っていくのは、そうした些細なところ。そしてそれは、人としてのやさしさや真っ直ぐさがなければ、捉えることができないもの――。そこには医師として、人の人生を見つめて来た知念さんならではの想いが動いているように感じられる。

「いろいろ見てきて……。自分でもよくわからないんですけれど、医師になる前と後では、何かが変わった、という気はします。人が亡くなるところも数え切れないほど見てきたわけで、そのひとりひとりに、それぞれの人生があって。そうしたところで様々なことを感じ、蓄積されてきたものが、作品には沁み出してきているのかもしれませんね」
 

医師として、人として これは成長と逡巡の物語

「研修医って、最初、本当に何もできないんです。指導役の先生について回り、雑用をこなしているだけで。でも1年以上やっていると、緊急処置もできるようになってくる」

 1話、1話、進むごとに、良太が医師としての技術を身に付け、患者に怒鳴られてはすぐに折れていた心も次第に強くなっていく。循環器内科を舞台にしたラストの物語は、そんな彼が試されるかのような一編だ。

「最後の物語では、大きな転機となるような経験をさせたいと思っていました。循環器内科というのは、様々な科のなかでも、人の死が身近な科でもありますので、リアルに人に死について書くことができるかなと。シビアな謎、シビアな思いを通して」

 特別病棟に入院している女優・絵理。米国での心臓移植の機会を待つ彼女と女性マネージャーの横暴とも言える我儘、母と妹に向けられる常軌を逸した絵理の敵対心、そして彼女の予断ならない病状に、良太は向き合っていくのだが……。

「この連作は、医師としての彼と、人としての彼の成長の話でもあります。そして、研修医はこの2年のうちに、どの診療科の医師として生きていくか、ということを決めなければならない、その逡巡の物語でもあります。ここに出てくる人たちは、フィクションの世界の人たちではありますが、抱えている想いは、実際の医療現場のものと通じている。それを感じ取り、疑似体験のようにストーリーを楽しんでいただけたら」

取材・文:河村道子 写真:干川 修