「いじめは絶対に解決します。人間のやることなんだから、絶対です!」辻村深月×尾木ママ対談【前編】

社会

2018/4/21

 読売新聞で連載されていた辻村深月さんの『青空と逃げる』が、このほど中央公論新社より単行本化。先日、東京・神楽坂で開催された第3回本のフェスにて、教育評論家の“尾木ママ”こと尾木直樹さんと「“母になる”ってどういうこと?」と題した出版記念の子育て対談が行われた。6歳と2歳の子を持つお母さんである辻村さんだけに、「尾木さんに聞きたいことがたくさんある!」と対談はヒートアップ。大事なヒントがたくさん飛び出したこの対談、冒頭から「いじめ問題」に真正面から向き合った。

■こんなに「いじめ、いじめられ」が蔓延した国はない!

尾木直樹氏(以下、尾木ママ):辻村さんがすごいと思うのは、中学生の感性をすごく的確にとらえられていることですね。「いじめ問題」はよくドキュメンタリーになっていますが、辻村さんの作品のほうがよっぽどリアリティがある。自然な形でいじめの辛さや非人間性が見えてきます。学校で国語の先生をやっていた時、10年に一人くらいものすごく文才のある子に会えるのが楽しみだったんですが、辻村さんはやっぱり誰よりもすごかった!

辻村深月氏(以下、辻村):ありがとうございます。『青空と逃げる』は事情があって一夏だけのつもりで東京から地方に逃げる母子を描いた作品ですが、息子の力が学校でいじめられていることを知った母の早苗が「もう少し逃げてみよう」と言うシーンがあります。実はこの決断を書く時、すごく胸が痛かったんですね。最近は「辛かったら逃げていい」という風潮が広まってきていますが、子供を助けるために休ませる決断をしたものの、その先はどうしたらいいのかわからないんです。行政からしたら「所在不明児童」にしてしまっているわけで、そこには私も早苗も罪悪感がありました。今回、尾木さんに聞いてみたかったのが、そうやって子供を守るためにした決断のそのあとについてなんです。多くの方が最終的には学校に戻すことがゴールだと考えているかもしれませんが、そのあたりってどうなんでしょう。

尾木ママ:日本では市区町村立、あるいは県立、国立、学校法人の私立以外は学校と認められていませんが、こういう国は日本だけなんです。たとえばスウェーデンなんかだと、小学校の入学前健診とかの場で「あなたは学校を選びますか? それともホームエデュケーションを選びますか?」と必ず聞かれます。「学校」と答えると教科書が渡されて、「ホーム」を選ぶとカリキュラムを作るためにアドバイザーをつけてくれる。これが常識ですよ。でも日本では「学校」しかないし、不登校児は犯罪者のように思われてしまいます。

辻村:そうだったんですね……!

尾木:とはいえ、2年前に我が国でも遅ればせながら「教育機会確保法」が成立しました。これは「学校に行かなくてもいい」という、日本の常識にはなかったものなんです。いじめに耐えて付く力なんてありませんし、人間としての尊厳やプライドを傷つけられることに耐えてしまうなんておかしい。いじめからは逃げなきゃいけないんです。だからこの本のように、全国を転々としながらでも守るというのはとっても正しいの。実は国立教育政策研究所の調査では「いじめをしたことがある」が90%を超え、「いじめられた」が89%くらいとほとんど同じでした。つまり日本は「いじめ、いじめられる」の関係が蔓延してしまっている国家。こんなに高い比率の国は世界のどこにもありません!

■不登校、その先をどうするか

辻村:実は学校に行かせない選択をしたことがよかったのか葛藤しているときに、ちょうど尾木さんがテレビで不登校についてお話しされていたのを見たんです。誤解されがちだけれども、子供にあるのは「教育を受ける権利」だから、学校に行く義務は定められたものではない、とお話しされていて。それを聞いて目から鱗というか、すごく視界が晴れた感じがありました。

尾木:そうなんですよ。子供には学習を受ける「権利」はあるけれど、「義務」を負ってるのは私たち大人の側なんです。義務教育だからと無理やりおしりを叩いて学校に行かせてしまって、取り返しのつかない状況になったとご遺族が嘆いていらっしゃいます。

 先ほど「その先をどうするか」という大切な問題提起がありましたが、さまざまなセンターなど一応の逃げ場は作っているけど、たしかに最終的には「学校に戻す」というのがゴールになっています。それが見えているのに「何しててもいいよ」というのはかなり宙ぶらりんですよね。大事なことは「バイパス」があること。フリースクールでもなんでも多様性があること。学ぶという方向性は同じでも、形は多様というようにしなければいけないんです。なんですが、日本には他の国のような教育の自由が認められていない。今、日本の教育は相当にゆがんでいるだけじゃなくて、世界から取り残されているんです。

■問題解決に「いじめ」の言葉は使わない!

辻村:本の中にいじめについての表記があるんですけど、力に「おれ、クラスでみんなから外されてる」とか「無視されてる」とかは言わせるんですが、「いじめられてる」とは言わせないって絶対に決めていました。作中で「いじめ」という言葉を使わないと、10代の子を書くときには決めているんですね。「いじめ」と言ってしまうと、加害者の子たちは殴る蹴るとかはしていないからいじめじゃないとか、本人は笑ってることもあったからいじめじゃないとか、自分たちがしていることとは「違う」と思うんです。被害者の子にしたら、そんな単純な話にしないでほしいだろうし、「自分は弱い人間だと思われたのか…」と思ってしまう。小説家にできることって何かといえば、やっぱり容易な名付けをしないことだと思うんですね。物語の形にすることで、今まで想像できなかった痛みがわかったり、同じような経験をした人に寄り添えたりする。だから大人から見ると大したことのないことでも、物語の形で届けていきたいんです。

尾木:これは驚きましたね! 文科省のアドバイザーをやってもらうといいかもしれない。僕は学校の先生方に、いじめ指導で「いじめという言葉は使わないように」って強調しているんです。からかいだったり、遊んであげただけだったり、いじめた側はそのつもりがほとんどないの。いじめには犯罪的ニュアンスもあるから「僕は違う」ってなるし、親御さんも「うちの子がそんなはずない」って一瞬で聞く耳をもたなくなってしまいます。でも「お母さん、ごめんね、呼び出して。この頃○○君に困った行動があって、みんながすごく困っているの…」とお話しすると、なんとかしようって思ってくれたりするのね。いじめと言わないのが基本だって44年教壇に立ってわかったなんて、嫌んなっちゃう(笑)。

辻村:(笑)。よく、なんでこんなに小中学生の気持ちがわかるのか聞かれたりするんですけど、それは「私も中学生だったから」なんですよね。私が中学のときにも、からかいだったり、仲間内の変なルールだったり、無視とかありました。特にきっかけはなく順番でまわってくるようなもので、みんなそれをわかっているから耐えてしまって、終わったら他の子を追い込んでしまう。加害者と被害者、いじめいじめられっていうのを感覚として覚えているんです。

尾木:加害者と被害者にするのではなくて、傷ついている相手の立場に共感できる力をつけ合ったほうが、みんなが豊かになれると思います。その意味ではいじめは解決できます。発達の上で起こるひずみなんだし、処分を厳しくすればいいというものではないんです。

辻村:「解決できる」って聞いたのは初めてです! もう無理なんじゃないかとずっと思ってきました。

尾木:だって人間がやることですもの、解決できますよ。自然現象や天災だったら防ぎようがないですからね。もちろん意識改革して、自覚が広がらないと難しい。でも、絶対解決できる。「絶対」がつけられるんです。

取材・文=荒井理恵

「子供を育てるのは情操教育や教科書じゃありません」辻村深月×尾木ママ対談【後編】