郵便局員から一転プロレスラーへ プロレス界のジョーカー・鈴木秀樹 【プロレス特集番外編】

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公開日:2018/8/11

 191センチ115キロという逞しい体躯を武器に、フリーランスとして、大日本プロレスやZERO1をはじめとするさまざまな団体に殴りこみ、時にベルトを奪う。まさにプロレスラーになるべくしてなった男・鈴木秀樹。その圧倒的強さの原点とは?

――もともとは郵便局員として働いていたんですね。なぜ郵便局だったんですか?

鈴木秀樹(以下、鈴木) たまたま、受かったから(笑)。僕、高3の2月まで進路を何も決めてなくて、先生に勧められるがまま公務員になるための専門学校に通ったんです。で、これまた言われるがまま、防衛省とか裁判所とかいろいろ受けたんですが、受かったのが当時の郵政省だった。受かると思ってなかったので、金の無駄だからとっとと民営化したほうがいいとか、適当に作文に書いたんですけど、実際、のちのち民営化したときはめんどくさいからやめろよとか思いました。

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――配属が東京になったのは、たまたまですか?

鈴木 いや、東京って書いたら面白いなあと思って。教室で願書を集められたとき、先生に「誰だ、東京なんて書いた奴は」って言われてややウケたから満足して、そのまま忘れてました。面接のときに「なんで東京なんですか」って聞かれて困っちゃって。

――なんて答えたんですか(笑)。

鈴木 願書に「趣味プロレス」って書いていたので、北海道じゃ観られないプロレスも、東京なら後楽園ホールとか両国国技館とかでいっぱい観られるから、って。面接官の人に「それだけですか」って聞かれたけど「それだけです」って即答しました。

――そのときはレスラーになるなんて想像もしてなかったわけですよね。

鈴木 全然。右目の視力は生まれつき0.01だし、色覚異常もあったので、運動もほとんどしたことなかった。運動神経がいいとも思えなかったし、体力もなかったし、そもそも諦めやすい性格だったし。プロレスを観るのは好きでしたけど、自分にできるなんて思いもしなかった。

――ところが郵便局で働いているときに、同僚に誘われ、ビル・ロビンソンが指導するU.W.F.スネークピットジャパンに入門することに。

鈴木 僕と同じくらい身体のでかいやつで、レスラーになりたいけど練習相手がいないから付き合ってくれって。2003年くらいかな。最初は断りましたけど、根負けして始めたら、わりとすぐに彼が来なくなりました。僕は、レスリングが面白かったというよりも、ロビンソンの教え方が面白くてなんとなく続けていて。彼の教え方って、すごく筋道が通ってるんですよ。スクワットひとつとっても、なぜそれをやらなきゃいけないかちゃんと説明してくれる。僕は偏屈なんで、根性論とか嫌いなんですけど、理屈で説得されると反論しようがなくなっちゃうんですよね。あと、ロビンソンも右目が見えなかったらしくて、それでもレスリングはできるって言われたのも大きかった。

――そして2008年には、職場をやめてレスラーに。

鈴木 異動で地方に行けって言われて、いやだなあと。どれだけ一生懸命働いても、よくて地方の局長だなとか、先が見えてしまっていたこともあって、なんかあんまり気乗りがしなかった。だったら辞めて、やりたいことを好きなようにやってみようかな、と。ジムのトークイベントにきていた小林邦昭さんに、プロレスやってみない?って誘われたことがあったんですよ。それを思い出して、ダメもとで一度くらい入門テストを受けてみようかなって。そしたら、たまたまジムの先輩である宮戸優光さんがIGF(※)の試合で解説をやるときに、人手が足りないからセコンドをやってくれって頼まれて。その一週間後くらいに、今度は試合やってくれって頼まれた。当時のIGFって、所属選手がいなかったんです。駒がほしかったんだと思います。そんなふうに、全部がたまたまなんです。

※IGF:アントニオ猪木が創設したプロレス団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション」の略。

――でも、まるで、鈴木さんがレスラーになるように仕組まれたかのようですよね。“たまたま”が折り重なって、今の道につながっている。

鈴木 結果的にね、そんな感じになりましたね。

相手の最大限を引き出し、勝ち続ける

――フリーランスとしてやっていけるな、という手ごたえを感じたのはいつ頃ですか。

鈴木 2015年3月1日、ZERO1でやった船木誠勝さんとの試合ですかね。僕、フリーになったときから自己評価はしちゃだめだって思っているんですよ。けっこう多いんです、プロレス界には。自分で「俺、けっこういい試合したな」って言っちゃったり、お客さんが入っていない団体が「うちはいい試合してるのになあ」とかぼやいたり。いや、試合がよくないからお客が入んないんだってことにまず気づかないと駄目だろって思うんですけど。現実から目を背けているだけじゃないですか。

――評価されないのは、それだけの理由があると。

鈴木 そう。WWEは別枠として、日本のプロレス界で飛びぬけて一位なのはやっぱり新日本プロレス。だけど「うちは新日本より絶対にいい試合をしている。向こうのほうが集客率が上なのは、単にお金があるからだ」みたいに思ってる人も、けっこう多い。だけど違うんです。新日本プロレスのほうが、試合もいいんです。資金も含めて、全部が飛びぬけているから1位なんです。それを認識できていない奴はだめ。小さいお山の大将になっていたら、大きな山で生き抜いていけないし、いつまでたっても上にはいけない。そう思ってるから、自己評価しないようにしてるんですが、船木さんとの試合が終わったあとは「いい試合したな」と思っちゃって。

――初めての経験だったんですか。

鈴木 そうですね。だから、もう俺は終わりだと思いました。自己評価しているようじゃ引退だな、って。でもその後、お客さんからも関係者からもいい試合だったって言ってもらえて。自己評価と他者評価が一致したから大丈夫なのかなって思いました。

――その一致が、自信の根拠になった?

鈴木 う~ん。なんだろう。僕がやりたかった試合ってこういうことだったかな、って思えたんですよね。僕は船木さんのプロレスがすごく好きだったけど、いったん引退して戻ってきてからの船木さんは、前より大人しくなっている気がして。昔はけっこう、シングルマッチが始まる前も無茶苦茶やってたんですよね。髪の毛つかんだり、目に指を入れたり。そういう船木さんをもう一度引き出せたら面白いんじゃないか、って試合する前に思ってたんです。猪木さんの言う、怒り、ですよね。それをやれた気がした。結果として僕が勝ちましたけど、コーナーを背に礼をして退場していく船木さん見ていたら、改めてかっこいいなあって思えて。それは、僕が子供の頃から憧れていたのと同じかっこよさだった。

――勝利後のコメントで、「みんなわかったでしょう、船木誠勝は強いんだってことが」っておっしゃってましたね。

鈴木 船木誠勝はやっぱりかっこいいって、僕も思ったしお客さんも解説者もみんな思った。自分のいいところだけを出すんじゃなく、対戦相手のかっこよさも引き出して、お客さんに面白いと思わせることができたから、多少やっていけるかなと思いましたね。今も、相手の最大限を引き出せたらいいと、そういう気持ちで。忖度するっていうのとは違いますよ。相手が誰だろうと手加減はしない。闘うときに相手の事情も考えない。僕は僕のやりたいようにプロレスをやる。だけど自己中心的なその姿勢の中に、相手の強さも引き出すってことが含まれていたら、まあ最高だなとは思いますね。そういう試合を重ねていけば、僕を使ってもいいと思ってくれる団体も増えてくるでしょうし。

――そうして鈴木秀樹という唯一無二の存在感を、築いていく。

鈴木 みんなが言えない悪口ばっかり言うから嫌われていく一方ですけどね(笑)。でもみんなが言えないってことは、角が立つってことで、つまり、そこには物語の萌芽があるわけですから。まあでも藤田和之さんも、ケンドー・カシン……石澤常光さんも、同業者の友達いないですからね(笑)。でもあの二人も、肩書関係なく自分の名前だけでレスラーとして食えていけている。僕の目指すところもそこかなと思いますね。

取材・文:立花もも 写真:江森康之