平成はどんな時代だったのか? 古市憲寿が、小説『平成くん、さようなら』でえぐる! 【インタビュー前編】

文芸・カルチャー

2018/12/7

 2019年5月1日の改元まで残すところあと数ヶ月。“平成”を振り返る人が増えている。そんな中、気鋭の社会学者・古市憲寿氏も筆をとったが、選んだ表現方法は小説。しかも、“死”や“恋愛”に向きあった内容は純文学のようで、本人のクールなイメージが変わるほど後半は情感と湿度に溢れている。

彼から安楽死を考えていると打ち明けられたのは、私がアマゾンで女性用バイブレーターのカスタマーレビューを読んでいる時だった。

 という一文からはじまる『平成くん、さようなら』(文藝春秋)の主人公は、平成がはじまった1989年1月8日に生まれた「平成(ひとなり)くん」だ。恋人の愛ちゃんが、彼から平成の終わりに安楽死すると決めたことを告げられるところから物語ははじまる。この作品に込めた思いを、まるで小説の中から飛び出してきた平成くんのようにファッショナブルな装いで現れた作者に伺った。

――平成の締めくくりを、評論ではなく小説として書かれたのはなぜでしょうか?

古市憲寿(以下、古市) 評論とかで平成をまとめる本がいろいろ出ていますけど、うまくいっているものが少ないような気がしたんです。自分が「平成」を書くならどういう方法がいいか考えたとき、物語のほうがしっくりくるなと思いました。これは書き始めてから気付いたんですが、小説って自由なんですよね。評論やノンフィクションは、コンプライアンスに気をつけたりやエビデンスを示さなくちゃいけなかったり、書けることが自ずと制限される。でもフィクションだったら、答えを出す必要はないし、いくつかの考えを併存させることもできるから、そこが魅力だと思いました。

――『平成くん、さようなら』には平成を象徴するキーワードがたくさん盛り込まれています。古市さんから見た平成の30年はどういう時代だったと思いますか。

古市 アーカイブの時代ですよね。平成になってから、インターネット上に膨大な量の文章や写真や音声や動画が残るようになって、スマホが登場してからそれを個々人がいつでも見ることができるようになった。平成が終わっても、平成の音楽を聴いて平成の動画を見て、平成人として生きられるほど情報量が溜まっているから、そういう意味では「平成」って終わらないのかも知れない。それがこの小説の一つのテーマになっています。あとはやっぱり「格差」が注目された時代だったので、今は豊かな暮らしをしている主人公2人の生まれ育ちをまったく違う設定にしました。

 固有名詞にこだわったのは、それが「平成の終わり」を表現しやすいと思ったからです。ルイ・ヴィトンで初の黒人デザイナーとして抜擢されたヴァージルのことに触れたり、僕の周囲の人や、彼らとよく話題になることを盛り込んでいきました。

――トレンドに詳しい古市さんの感度の高さがよくわかる内容でした。同時に、固有名詞の多さはバブル時代を描いた小説を彷彿とさせるようで、少し昭和的雰囲気も感じたのですが。

古市 作家の五木寛之さんが、『70歳年下の君たちへ』という本の中で、最近の小説から固有名詞がどんどんなくなっているとおっしゃっていました。昔の小説だったら「ポルシェ」に乗っていると書くところを、最近は「高級車」とか匿名化して書く小説が多い。考えてみれば、J-POPの歌詞も匿名化していて、90年代半ばまでは小沢健二さんが「渋谷系」って言われるぐらい地名が大事な要素だったのに、90年代後半ぐらいから歌から固有名詞が失われていった。ケータイ小説も、何となくの「郊外」が舞台ということが多かったですよね。「平成」の小説としては、そっちに寄せる手もあったんですけど、この小説を書いた1年前ぐらいに考えたとき、インスタグラムのハッシュタグに象徴されるように、固有名詞にこだわるほうがいいかなと思ったんですね。ただ、普通の小説では固有名詞で書くようなところを、あえてぼかしてあったりもします。

――すごく合理的でクールな29歳の主人公の平成くんを、古市さんのようだと思って読んでいる読者も多いようです。「Googleは僕そのもの」という平成くんは、まさにAIと共存している人間社会を象徴するキャラクターのようにも見えます。

古市 僕のこともかなり入れ込みましたけど、平成くんは僕以上の合理主義者ですね(笑)。その意味でいうと、平成くんには何人かのモデルがいます。でも、平成になって人間がそんなに変わったかっていうと、変わってないと思うんですよ。たかだか30年でホモサピエンスが根幹から変化するわけはない。ただしテクノロジーの影響は大きいですよね。

 情報環境が劇的に変わったので、それを変化と考えると、上の世代から見た平成世代は合理的に見えるでしょう。グーグルマップで最短ルートを通って行くとか、LINEでスタンプだけ返すとか、無駄なものを省くことが当たり前になりましたよね。でもそれは人間の変化というよりも、コミュニケーションのツールや情報環境が変わっただけ。人間そのものはそんなに変わってないと思うんですね。

――2011年に出た古市さんの『絶望の国の幸福な若者たち』は、大人世代の上から目線の若者論をくつがえして話題になりました。『平成くん、さようなら』も、その古市さんが書いたとなるとまた新たな若者論が巻き起こるかもしれません。

古市 そうかもしれませんね。でも、「最近の若者は……」っていう世代論が成り立つのは、年齢以外の格差が目立たない社会なんですよね。格差がなければ年齢で切る意味はありますけど、格差がある社会では、地域とか宗教とか階級とか違うファクターで切らないと意味がない。本当は『絶望の国の幸福な若者たち』は、世代論の無意味さを訴えたつもりだったんです。もっと階層とか地域とかにも注目したほうがいいんじゃないの、と。ただ結果的に世代論が盛り上がってしまって、僕も「若者」の一人としてメディアに取り上げられたりしました。

 当時は東日本大震災の後だったことも大きいと思います。“時代変革の主体は若者”という期待がありましたよね。この国はなんだかんだ言っても「若者」語りが好きなんですよ。この小説も世代論の素材として扱われるのかもしれません。それは別に構わないですけど。

――当時、20代半ばだった古市さんも33歳になりました。古市さん自身、若者代表のような立場の締めくくりとして出したかった小説でもあるのでしょうか。

古市 年齢って相対的なものですからね。『相棒』で反町隆史さんが水谷豊さんと並ぶとものすごい若者に見える。僕も、『とくダネ!』で小倉智昭さんと並ぶと若く見える。日本全体が高齢化しているので、若者の定義もどんどん変わっていくんでしょうね。50、60代の女性でも「女子会」している時代です。ただ、僕の下の世代の学者というか、メディアで発言するような評論家がぜんぜん出てこないのはなぜだろうとは思います。別に僕が潰しているわけじゃないんですけど(笑)。

 この小説、売り時がすごく短いんです。あと半年足らずで、本当に平成が終わっちゃいますからね(笑)。本当は来月にでも文庫にしたいぐらい。まあ、今まで書いた本もその時にしか書けないものを書いてきたつもりなので、読み継がれることにあんまり期待もしてないですけどね。新しいものはすぐ古くなっちゃうので。ただ、その時代を書いたつもりが、結果的に何らかの普遍性を持つことはすごく素敵だなとは思います。この小説の恋愛の部分をそういう風に読んでもらえたら、そこには普遍性があるのかもしれません。

――確かに。平成くんと愛ちゃんの合理的なあっさりした関係は、後半からどんどん人間くさくなっていって、「本当に古市さんが書いたの?」と思ったほどです(笑)。“平成が生んだ純愛文学”として読み継がれていくかもしれません。

古市 ありがとうございます(笑)。物語の結論はこんな感じかなぁと先に決めて、あとは順番に流れに任せて書いていったらこうなりました。ただ、書いているうちに主人公2人にもどんどん愛着が湧いてきたっていうのはあります。

【後編につづく】

取材・文=樺山美夏 撮影=岡村大輔