「日本も安楽死を合法化していいと思う」――古市憲寿さんが考える死とは?『平成くん、さようなら』【芥川賞候補作】

文芸・カルチャー

2018/12/10

 情報番組『とくダネ!』のコメンテーターも務める社会学者の古市憲寿氏が初の小説『平成くん、さようなら』(文藝春秋)を発表した。主人公は、平成がはじまった1989年1月8日に生まれた「平成(ひとなり)くん」。恋人の愛ちゃんが、彼から平成の終わりに安楽死すると決めたことを告げられるところから物語ははじまる。「本当に古市さんが書いたの?」と思わずにはいられない、本人のクールなイメージとは違って映る本作。“死”や“恋愛”に向きあったその内容は純文学のようだ。インタビュー後編では、作品のテーマでもある「死」を古市さんはどう捉えているのか伺った。

――『平成くん、さようなら』は、「死とは何か?」というテーマに正面から向きあった小説でもありますね。

古市憲寿氏(以下、古市) 今の時代って、本当の意味で死ぬことがすごく難しくなっていると思うんです。もちろん生物として死ぬことはできるけど、スマホやネットにありとあらゆるアーカイブが残るわけじゃないですか。昔のように、その人の記憶が失われたら完全に消えてしまう時代と違って、消えない記録が残されている時代は、どうしても「死」というものの意味が変わってくる。死んだ人のツイートがリツイートされてバズるようなことが平気で起きるわけですから。

 そういう意味では、膨大なアーカイブが残された平成という時代も、この時代を生きている人間も、どっちも完全に終わらせることはできないんじゃないか? それが、この小説のひとつのテーマです。

――安楽死が合法化された社会という設定はリアリティがありました。このところ、当たり前のように“人生100年時代”と言われていますが、そんなに長生きしたくないという人もいるので。

古市 オランダ、スイス、ベルギーなど、安楽死を認めている国はありますので、それほど非現実的な話ではないと思って書きました。もちろん、この小説ほどポップには死ねないですけどね。日本も安楽死を合法化していいと思うんですよ。今は誰でも、働き方も生き方も自分で選べます。仕事も結婚も宗教も住む場所も自分で決められる自由な時代のはずなのに、死ぬことだけは自分で選ぶことができない。病気で苦しんで、望まない延命治療をさせられている人もいますよね。特に本人が望まないのに延命治療するのは違うんじゃないかなと思う。もっと主体的に自分から“死”を選べる時代になってほしいですね。長生きが幸せなことであるとは限らないので。

――恋人の愛ちゃんとのセックスも嫌がっていた合理的な平成くんが、安楽死する時期が近づくにつれてどんどん人間臭く変化していく様子にぐっときました。どうでもいい無駄話ができる相手がいない寂しさって、よくわかるなぁと思ったりして。

古市 この本を書く前に、夫に先立たれた女性に話を聞く機会があったんですね。その人は、仕事をしているから人と話をすることはあるし毎日は変わりなく過ぎていくんだけど、どうでもいいたわいもないことをしゃべる相手がいなくなったことが一番悲しいって言っていました。その気持ちはすごくわかる一方で、もしも一人のパートナーではなく、多くの人と交友関係を持っていれば、その悲しみは軽くなるかも知れない。

 こんな話も印象に残っています。妻を亡くした男性は、二人称の不在について語ってくれました。名前として妻の存在は残るけれども、「君」とか「あなた」とか二人称で呼びかける相手がいなくなったことが悲しい、と。

――人がいなくなるのはどういうことなのか興味があって、そういう方たちの話を聞かれたわけですね。

古市 ある日、突然、そばにいた人がいなくなるってどういうことなのかな、っていうことには関心がありますね。不在の悲しみや寂しさから、いつになれば人間は自由になるんでしょうね。仮に日本で安楽死が合法化されて、自分から死を選べるようになったとしても、残された人たちはやはり嘆き悲しむわけですから。

――小説にも、「僕たち人間は、まだ少しも死を克服できていないんだね」という平成くんの台詞が出てきます。

古市 死は誰のものか? ということですよね。それは「顔」にも似ていますよね。僕の顔は僕のものでもあるけど、自分よりも他人のほうが僕の顔を見ている。同じように、自分という人間だって本当に自分1人のものなのか、それとも社会全体の一部であり、共有物なのか? そういう意味で「死」というものも、個人で独占していいものなのか、親しい人も含めて集団的なものなのか。そんな問題提起もこの作品では投げかけてみました。

――死んだあとも生きている人以上に存在感がある人もいますからね。

古市 たとえば島倉千代子さんって、生きているか死んでいるのかわからなくないですか? 森光子さんも、「あれ?もういないんだっけ」とすごく不思議に思いますし。死んだ人の画像や動画をいつでも見ることができるので、生死がすごく曖昧になってきてるというのもあると思います。生きていても数年に1回しか会わない人より、死んでから何回もその人のアーカイブに触れて思い出す人の方が生きているように錯覚してしまう。

――小説を書き終えたあと、死とは何か? という問いの答えは見つかったのでしょうか?

古市 本当の意味での「死」はもうないんじゃないですか。少なくとも、どんどん「死」は曖昧にならざるを得ないと思います。

――どんなに合理的な生き方をしていて、アーカイブを残したとしても、死を前にした人が最後に求めるのはこういうことなのか……と、平成くんと愛ちゃんの関係の変化から考えさせられた部分もありました。

古市 愛ちゃんが、ちょっと都合のいい女の子に見えないかは心配です。あまりにも平成くんに気を遣いすぎて、彼中心に物事を考えすぎたりしている。本当は芯が強くて、ひたむきに物事をこなせるし、女性は後ろに下がろうなんて意識は全くないのに、平成くんに対してはそうしてしまう。そこがどう読まれるのかなというのは少し気になっています。

 平成くんって僕よりも賢いし僕より合理的だと思うので、愛ちゃん目線で物語を描くことにしました。でも様々なきっかけで、平成くんが人間らしくなっていきますよね。それは僕自身も意外だなあと思いました。

 この小説を読んでくれた平成くんのモデルのひとりが、「自分は合理性に絶望することはない。こんなにウェットじゃない」って言っていたのがおかしかったです。

――この小説は、幸せってなんだろう? ということも考えさせる内容だと思うのですが、古市さんの幸福の条件って何でしょうか?

古市 自己決定ですね。自分で物事を決められるかどうか。実際、幸福度と自己決定は相関しているという研究もありますし、仕事でもなんでも自分で決められるってすごく大事だと思います。今のところ僕は色々なことが自己決定できる立場ではあるので、逆にそれができなくなることがとても怖い。それを一番強く感じるのが“死”の選択です。死ぬに死ねない状況は嫌ですね。自分が死にたいと思った瞬間に死ねるのが一番の理想です。

>>平成はどんな時代だったのか?【インタビュー前編】

取材・文=樺山美夏 撮影=岡村大輔