麻枝 准に聞く、「笑い」と「泣き」の精緻なメカニズム――『神様になった日』麻枝 准2万字インタビュー②

アニメ

公開日:2020/10/25

神様になった日
TVアニメ『神様になった日』TOKYO MXほかにて
毎週土曜24:00~放送中
(C)VISUAL ARTS / Key /「神様になった日」Project

「『Angel Beats!』『Charlotte』を経て――、麻枝 准は原点回帰する。」――この言葉を掲げて、10月10日放送開始のTVアニメ『神様になった日』は始動した。『AB!』から『Charlotte』まで5年。そして、『Charlotte』から本作に至るまで、5年の歳月が経過した。PCゲームとしてリリース、のちにアニメ化されたKeyブランドの傑作たち=『Kanon』『AIR』『CLANNAD』『リトルバスターズ!』で、数多くのユーザーの心を揺さぶりまくった麻枝 准が、みたび原作・脚本・音楽を担当する、オリジナルアニメーション。そして宣言された「原点回帰」。麻枝作品で笑い、涙を流してきた者にとっては、最新作で披露される彼の「原点」とは何であるのか、どう心を動かしてくれるのか、楽しみで仕方がない。そんな『神様になった日』の真実と背景に、メインキャラクターを担当するふたりのキャストの言葉、そして麻枝 准自身へのロング・インタビューで迫っていきたい。

 第3話の放送直後にお届けするのは、合計2万字強におよぶ麻枝 准のロング・インタビューの第2弾である。前回は、5年ぶりのオリジナルアニメーション制作のキーワードとなった「原点回帰」についてと、『AB!』『Charlotte』の総括をするべく、話を聞かせてもらった。『神様になった日』をご覧になっている方、特に3話まで観た人はお気づきだと思うが、麻枝 准らしい「笑い」と「泣き」のメカニズムに、我々はもう巻き込まれている。麻枝作品はなぜ泣けるのか――その、シンプルかつ永遠のテーマに迫ってみた。

神様になった日

神様になった日

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神様になった日

『神様になった日』の贅沢感は……普通のアニメを作るよりは、きっと間違いなく大変ですね

──この記事は3話が放送される時点で配信をするので、物語全体というよりは主に序盤の内容をお聞きしたいんですけども。まずは、ひなと陽太が出会って――。

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麻枝:それはね、自分からすると最悪のタイミングなんですよ(笑)。俺、3話、4話が、一番お客さんが戸惑うだろうなあ、と思っていて。「あれ、これって泣けるアニメじゃなかったの?」って。3話、4話は逆方向に振り切ってる回なので、自分は、3話、4話放送後の反応が一番怖いんですよね、実は。

──ははは。でも、とにかく楽しい回じゃないですか、3話、4話って。

麻枝:はい、一応、雰囲気は楽しいですね。

──変な話、お客さんからしても、3話、4話で麻枝さんのアニメが泣けるとは、誰も思ってないと思うんですよ。麻枝さん作品ならば、まず序盤は楽しい回になっている必要があると思います。

麻枝:はいはい。

──物語のコアの部分、クライマックスが最後に来るとみんなわかって観る部分もあるわけですし。その内容自体は伝えられないとしても、少なくとも前半は「楽しくあれ」を念頭に置いて作られているのかな、と思ったんですが、麻枝さん自身は何を大事にして物語を書いていったんですか。

麻枝:やっぱり、クライマックスからの逆算ですよね。そのクライマックスにたどり着くためには、前半がどうあったほうが泣けるのか、ということであって、そうすると前半は、自分が作ったキャッチコピーにもあるんですけど、お祭り騒ぎのような楽しい夏を描くのが、自分の中での正解で。だから、ほんとにお祭り騒ぎのような毎日を描いてるんですよね。

──最初からの意図としてお祭り騒ぎというコンセプトがあって、3話、4話は必然的に面白さが突出する内容になっている、と。

麻枝:騒がしさに関してはそうですね。お祭りが終わったあとの寂しさみたいなものを、後半で抱いてほしくて。要するに、ギャグアニメとして描いてるわけじゃないんですよね。泣けるお話の設計として、前半はそういう作りにしているだけであって。

──ある意味、『神様になった日』はそれこそ3作品目ですから、お客さんもわかってると思いますけど(笑)。この楽しさが後から効いてくるんだって、噛みしめた上で観てくれるんじゃないですか。

麻枝:いや、そこをわかってる人は少ないですよ。自分の作風をわかって観てくれるアニメファンは、そんなにいないはずです。

──そうなんですか?

麻枝:はい。

──でも、実際の構造としては、ゲームでもそうだと思うんですけど、最初に楽しい日常があって、登場人物たちの会話や、彼らの日常をずっと見ていたいという気持ちが芽生えて、そこから日常が損なわれて別の世界に行ってしまう、みたいなところが物語のキーになっていくのは、Key作品のファンも、アニメのファンも、おそらくある程度は知っていると思うんですけど。

麻枝:はい。だといいんですけどね。

──で、お祭り騒ぎのテンション感が高ければ高いほど、にぎやかであればあるほど、それは効いてくるわけですから。逆に言うと期待感が高まる3、4話だと、自分は思いました。

麻枝:そうですか? 今、自分は不安ですけどね(笑)。特に4話は……知らなくても面白いのかな?

──(笑)僕は詳しくないですけど、4話は面白かったですよ。

麻枝:ああ、それならよかったですけど。

──作品全体についてお伺いしますが、この作品のゴールはシンプルに泣けるものを作ることだと先ほど話していただいたわけですけど、全体としてシナリオは難産だったのか、あるいはスタートからゴールまでわりとクリアに見えていて、スムーズに進むことができたのか、どちらだったんでしょう。

麻枝:初稿に関しては、けっこうスムーズに書き上げたんですよ。そこからが長い戦いでした。もう、ほんとにいろいろあったんですけど。今回は自分のファンの声を聞こうと思って、知り合いづてにファンを集めて読んでもらって、感想を聞いたら、もう酷評だらけで。さっき話したように、「脚本はプロに任せましょうよ」とか、そんなのばっかりでしたね。それでもなんとか細かいところを挙げてもらって、修正して、ホン読みに入ったんですけど、監督は『Charlotte』と同じく浅井監督で――『Charlotte』は、先に鳥羽さんから「今回は麻枝さんの好きにやらせてあげてください」って言われてたらしくて、脚本に関しては監督からほとんど何も言われなかったんですよ。でも今回のホン読みは、ほとんど浅井監督との戦いみたいな感じで、監督から忌憚のない意見がビシバシ飛んできました。それに応えるのに必死な1年半で、けっこうボロボロになって。自分はメンタル弱いんで、何度も心折れそうになりながらも、なんとか監督の期待に応えようと、修正に修正を重ねた1年半のホン読みでしたね。

──鳥羽さんから出てきたテーマが原点回帰だったわけですけど、浅井監督と一緒に目指そうとしていたのは、どういうものだったんですか?

麻枝:とにかく自分はゲーム畑の人間なんで、自分のシナリオをアニメにするための意見が、ビシバシ飛んできたんですよね。アニメだったらこうしたほうが映える、とか。よく言われたのが、「ドラマCDを作ってるんじゃないんですよ」っていう。

──手厳しいですね(笑)。

麻枝:「我々はドラマCDを作ってるんじゃないんですよ、アニメを作ってるんですよ!」って言われて、「あっ、すみません」という感じで。だから自分の上げた脚本は、すごくドラマCD的だったんでしょうね。アニメはキャラクターが動くので、と何度も説明されて。『Charlotte』を作ったので、自分もわかってはいたつもりなんですけど、改めてそういう初歩的なところから、でしたね。とにかく「ドラマCDじゃないんですよ!」って言われました。

──(笑)。

麻枝:だから、アニメとしてよくなるように、というアドバイスや指導が多かったですね。

──なるほど。逆に言うと『Charlotte』はそういうディスカッションはなく、麻枝さんの赴くままに映像化していきましょう、というコンセプトだったわけですね。本来だったら監督とのシビアなホン読みが行われているところを、あえてそれをやらなかったのが『Charlotte』で、それをしっかり作り込んでいるのが『神様になった日』である、という。

麻枝:はい。まあ、感覚としては、アニメとして動いてるとき、ダビングで1話を観たときですけど、そこで「なるほど、そういうことだったんか!」って、自分の中で答え合わせができましたね。「こうやってキャラクターがかわいく動くからなんだ」っていう。その青写真が監督にはあって、自分にはまったくなかったので、言われるままに応えた形になりました。もちろん、話の完成度も絶対に上がってるんですけど、特にキャラクターの動きの部分を観て納得しました。

──でもそれは、もし次にオリジナルアニメーションを作ることがあるとしたら、とても未来につながる経験ですよね。

麻枝:そうかもしれないですね。現時点では、2話以降のダビングもまだ絵が動いてなかったので、答え合わせは1話しかできていないんですけど(笑)。

──(笑)自分は、麻枝さんの作品のひとつの特徴が贅沢感であると思っていて、たくさんの要素を詰め込む、受け取る人が楽しめるような仕掛けが随所にある、と。『AB!』『Charlotte』もそういう作品だったけど、今回「原点回帰」を謳っているから、逆のものを想像してたんです。削ぎ落とされたもの、ですね。だけど結果、やっぱり盛りだくさんだと思いました。見え方が違う部分はあるけど、いろんな要素が詰め込まれていて楽しいものであることは、変わらないな、と。この贅沢感は、麻枝さんの中である程度入るだろうと事前に予測していたものなのか、できあがってみたら結果入っていたものだったのか、で言うと、どちらなんでしょう。

麻枝:感じられてる贅沢感が一体何なのかが、いまいち自分にはピンときていなくて。それは、起きてるイベントに対してなのか、見た目に対してなのか、ということですけど、『Angel Beats!』だったら銃撃戦にバンド要素、『Charlotte』なら異能力バトルが贅沢感かと思っていて……ということですよね?

──そうです。

麻枝:それでもなお、贅沢感が具体的にどのようなものなのか、というと……まあ確かに、巻き起こるイベントは派手ではありますね。ラーメン屋を再建したり、イベントとしては盛りだくさんな感じはありますけど。たとえば、確かに昔作っていたもの、『Kanon』だったら、静かな日常の中で進む会話劇になっていて、それって逆に言うと序盤から大きなイベントを起こせるほどCG枚数に余裕のないせいで、立ち絵と背景だけで話を進ませるしかなく、どっちかというと素材が限られてるからできなかったことなんです。そういう意味では、ゲームではできない贅沢感は、あるかもしれないです。そう考えると、『神様になった日』は確かに贅沢感が……まあ、普通のアニメを作るよりは、きっと間違いなく大変ですね。

──(笑)そうですね。普通のアニメよりは、確実に要素が詰まってるんですよ。それは悪いことではまったくなくて、楽しいものを作って届けようとした結果がそうなっているわけですから、我々にとっては、受け取って嬉しいものなんです。バンドとか異能力バトルという、ある種フィクショナルなものではなくて、あくまで夏休みの中で巻き起こる盛りだくさん感があって、それがすごく楽しい。そういう、結果として贅沢感が入っちゃうのは、やっぱり麻枝さんのもの作りならではなのかなって思うんです。

麻枝:そうですね、結果そうなりました。シナリオから逆算して、とにかく楽しい夏休み、毎日がお祭りのような楽しい毎日を作ろうと考えたときに、いろいろなイベントが生まれてきたので、意図してじゃなくて、結果的にそうなりました。

──麻枝さんの作品をことごとく観てきた身としては、野球に1話使わないで、わりとそのエピソードが短い尺で収まって次のエピソードに行くのを観たときに、相当な贅沢感を感じましたけど。

麻枝:いや、『Charlotte』の野球回とか、「尺が足らないのに、なんであんな回やったの?」って延々と言われたので、「今度は短くしよう」と思ったんです。

──(笑)それでも野球は入るんだな、と。間抜けな質問で恐縮なんですが、なぜ麻枝さんの作品には野球が入らないといけないんですかね。

麻枝:もはや、入れとかなきゃいけない縛りができてるんですよ(笑)。『リトバス』みたいな、野球メインのノベルゲームを作ったからなんですけど。『球詠』っていう野球アニメのオープニング、エンディングの作曲のオファーがあったくらい、「野球なら麻枝」みたいなところがあるんで。逆に野球がないと「あれ?」って思われるかもしれないと思って、入れておきました。

──なるほど。で、楽しいお祭り騒ぎを巻き起こすためにはキャラクターが非常に重要なわけですが、今回で言うと、とにかくひなが素晴らしいな、と思っていて。彼女を好きになることが、この作品への没入を深めるスイッチになる存在だと思うんですけど、ひなを造型する上でポイントにしたことは何ですか。

麻枝:やっぱり、ひなを好きになってもらわないとダメなので、それもラストから逆算して、どういう子であるべきか、を考えてキャラを作ってますね。キャラから考えて、話を書く人もいるんですよ。その場合は、キャラ萌えもあってキャラ人気がある話が書ける。でも自分は、いかに最後泣けるか、から逆算してキャラクターを作るので、なかなかキャラ人気が出づらいんですよね。それでもひなをかわいくするにはどうしたらいいか、ということで、修道服を着てたり、幼いのに「〇〇じゃ」みたいにお年寄りのようなしゃべり方をさせたり、キャラを立てることについては頑張ったつもりです。

──ちなみに、ゲームでもキャラの造型は同じように作ってきたんですか。

麻枝:自分はそうですね。お話を考えて、その話に合うキャラをあとから考えてます。

──なるほど。そのひなを演じているのが、『Charlotte』でもヒロインの友利を演じていた佐倉綾音さんですね。佐倉さんからしても、またメインヒロインをやることになるのは意外だった、という話を聞かせてもらったんですけど、決め手は友利をやってたからではなくて、ひなに必要な声だったから、と麻枝さんがおっしゃったそうですね。佐倉さんの演技のどの部分が、ひなを託すにふさわしいと感じたんでしょうか。

麻枝:泣きの演技ですね。クライマックスの演技が、素晴らしかったからです。陽太役の花江さんと、ひな役の佐倉さんが嚙み合う泣きの演技が、「このふたりがひなと陽太だったら、一番感動するだろうな」って、自分の中で完成したんですよね。そこに重きを置いて決めました。

──収録であったり、ダビングが終わっている1話をご覧になって、麻枝さんは佐倉さんの演技については、どんな印象を持ちましたか?

麻枝:1話の佐倉さんは、花江さんとの掛け合いがすごく面白かったですね。だからこそ、ちょっと、3話が今から怖いです。3話、4話は怖いな……。3話は、「陽太……なのか?」って感じですし(笑)。

──(笑)そうですね。ほぼ陽太じゃない人としての芝居ですからね、あれは。

麻枝:そうなんですよ。俺もずっと現場で、「これ、やりすぎじゃないですか?」って言ってて。でも監督と鳥羽プロデューサーが「もう、やりきったほうがいいですよ」って言うので、お任せしました。

──麻枝さんの中で、陽太はどういう人物であるべきだと考えていたんですか?

麻枝:陽太は、自分が初稿を上げたときは、もっと純朴な少年だったんですね。それが本当に、あんなことになって(笑)。むしろ万能すぎる感じになっちゃって、どうしようかなあ、と思いました。

──そうですね。あらゆる事態を受け入れて、いろんな行動に移せるキャラクターだな、とは思います。

麻枝:うん、受け入れるのはいいんですけど、ちょっと……スキルが高すぎる(笑)。

──(笑)陽太とひな以外で、書いていて楽しいと感じるキャラ、思わず動かしたくなってしまうキャラクターは誰でしたか。

麻枝:書いてたときは、陽太とひなの掛け合いが一番楽しかったんですけど、実際に動いてるのを見たら、自分の中では空がよかったですね。あんなにテンションが高かったり、興奮したりするキャラクターだとは、自分は思っていなかったので、「空がすごくかわいいキャラになったな」って、動いてる絵を見て思いました。

神様になった日

神様になった日

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笑いは、オーバーにすればするほどどんどんサムくなっていく。テンポと切れ味が大事

──ちょっと概念的な話になっちゃうんですけど、テンション感や贅沢感が序盤にはあって、とにかく笑える内容である、と。それは逆算して、クライマックスのためにやっていることである、という話ですけど、ギャグ要素が振り切ってるというのも、まさに序盤から感じた部分なんです。とにかく楽しい。今までの作品に比べても、序盤が楽しいと思いました。麻枝さんの作品に泣きを呼ぶ装置として、「笑い」は欠かせない要素であり、感動を呼ぶ引き金にもなっているわけですけども、『神様になった日』における笑いという要素の重要性、濃度をどう設定するか、という考え方について、お聞きしたいです。

麻枝:うーん、笑いに関しては難しくて。自分がノベルゲームのライターをやってた頃は自信があって、それはなんでかというと、演出もスクリプトも全部自分で組むので、どんな立ち絵で表示されるか、そういうのも全部コントロールできるんですよね。でもアニメになると、やっぱり間にたくさん人が入って。まず絵コンテを描く人によってリズムも間も変わるし、演出さんや監督も含めて、いろんな人の手を経てアウトプットされるので、最初に書いた自分のギャグとはどんどん伝わり方が変わってくるんですよ。だから、自分がアニメ業界に足を踏み入れてからよく言われるのは、「麻枝のギャグはサムい」「麻枝のギャグはアニメに向いていない」ということで。

 たとえば有名なのは『CLANNAD』の「それと便座カバー」なんですけど、あれはテキストだったら面白いけど、確かに動きをつけてしまうとサムくなるよね、っていうのは、自分もわかっています。だから今回も、自分はテキストレベルでは面白いものを書いたつもりではいるんですけど、結果的にアウトプットされるものが、いろんな人の手を経て、それがさらに面白くなっているのか、あるいは相変わらず麻枝のギャグはサムい、ということになっているのかは、お客さんの手に届いてみないことにはわからないです。

──だとすると、第三者の手を経ても意味が変わらないくらい笑いの要素を濃いものにする、さらに振り切る、みたいな意識になったりはしないんですか。

麻枝:いや、笑いって濃くすると面白くなくなるんです。どっちかっていうと、テンポと切れ味なんですよね。だから、オーバーにすればするほどどんどんサムくなっていくんで、テンポと切れ味が大事なんですけど、アニメの場合はそこをオーバーにすることが多いんですよ。そこは、自分のさじ加減だけではどうにもならないところなんですけど。

──なるほど。「それと便座カバー」の話が出ましたけど、ご自身の作品で、アニメ、ゲームを含めて、麻枝さんが特に自分の笑いを象徴的すると考えている、あるいはずっと好きでいる笑いのシーンについて教えていただきたいです。

麻枝:一番好きなのは『CLANNAD』の風子の回で、藤林椋に「たまに取れるんです」って言わせ続けるギャグがあるんですけど……風子がほわーってなってるときに、朋也が自分と藤林椋を入れ替えて、藤林椋に、「私が岡崎です。女になりました」みたいなことを言うところがあって。テキストよりも面白くなってたというギャグとしては、自分の中ではあれが一番ですね。

──なるほど。

麻枝:あれは、声優さんもよく笑わずにやれたなあ、と感心するくらい、面白いカットでしたね。あと、有名なのは『Angel Beats!』のテスト回で、天井に叩きつけられるスローモーション。あれは岸(誠二)監督のアイディアなので、自分じゃないんですけど。そう考えると、自分で書いて、アニメでも面白くなったのは、風子のシーンくらいかもしれないですね。だから、自分のコアなファンの人ほど、麻枝のテキスト、麻枝のギャグはアニメに向いていないと言っているのは、確かにその通りだ、と納得せざるをえないです。

──ははは。逆に、ゲームにおいて自身でスクリプトも組めるところで作った笑い、ギャグというのは、しっかりテンポと鋭さを出せているものがあった、と感じているんですよね。

麻枝:はい。で、実際その当時は、そんなにサムいとは言われてなかったんで(笑)。

『神様になった日』麻枝 准インタビュー③は、10月31日配信予定です


『神様になった日』公式サイト

取材・文=清水大輔