「在日の人が抱える疎外感を代弁したかった」 ―田村優之の小説『月の虹』が泣ける!

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2014/7/5

2年前に文庫化された小説『青い約束』が、いまビジネスマンの間で話題になっている。過去と現在、青春時代のロマンと日本経済の現実が交錯する本作品と、同じく文庫化され6月に発売された『月の虹』で共通して描かれるのは、ある年齢に達した人間が誰しも抱く喪失感だ。しかし田村さんは物語の力でその向こうに再生と希望の光を照らし出している。男が読んで泣ける物語の秘密がここにある。
 

田村優之
たむら・まさゆき●1961年香川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。98年、バブル末期から崩壊直後の東京を舞台に日本経済の危うさを独自の視点で描いた『ゆらゆらと浮かんで消えていく王国に』で第7回開高健賞受賞。経済分野の新聞記者として20年以上のキャリアを持つ。現在は編集委員。

あのとき開けなかったドアの向こうに何があったのか

 自分はなぜここにいるのだろう?
 今までの選択はほんとうにこれでよかったのか?
 やり直しのきかない人生の過程でふと胸に浮かぶこんな思い──。

「あのとき開けなかったドアの向こうや曲がらなかった道の先に何があったんだろう? そんな思いをずっと引きずったまま40代を過ぎた頃、この物語を書きました」

 そう語る田村優之さんの小説『青い約束』が、いま30〜40代のビジネスマンを中心に売れている。田村さん自身も現役の新聞記者で、この作品の親本である単行本『夏の光』を出版したのは7年前。それに加筆修正し文庫で発売したところ、男が泣ける隠れた名作として口コミがどんどん広がっているのだ。

 物語の冒頭に出てくる一枚の絵の描写がまず脳裏に焼き付く。森の中から見上げた上空に見えるのは「美しい青の中に、光がまばゆく交錯している」空の色。すべてを忘れて飛び立って行きたくなる青空と光が、青春のきらめきや若き日の可能性を意味していることに気づかされるのは、しばらく読み進めた後だ。

「40を過ぎてから、自分はもう若くないことを痛感するようになりました。それと同時に、どれだけ一生懸命働いても個人の豊かさや幸せには結びつかない日本社会と経済に対する疑問や苛立ちも感じはじめた。でも自分自身は長いものに巻かれるだけ巻かれて、理想を求めて闘うようなきらきらした人間じゃないしそこまでタフでもない。でも小説だったら、純粋に誠実に闘い続ける心が折れない強さを持った男の話が書けると思いました」

 主人公の宮本修一は、「人間を幸せにする経済の仕組み」を研究することが夢だったが、今は証券会社の敏腕チーフアナリストとして働いている。その修一が、二十数年前の”ある事件”を機に音信を断っていた親友で新聞社の経済記者として働いている有賀新太郎と偶然再会する。40代になり、理想とはほど遠い社会のなかで孤高に信念を貫こうとしている修一と有賀。”あの事件”で失ったひとりの死者への思いを胸に、それぞれの道を走り続けてきた二人。その再会から修一の胸に蘇ってくるのは、当時の彼女だった純子と有賀の彼女だったサチを含む男女4人の高3の夏。有賀と共に汗を流したボクシング。純子に勧められて読んだ高野悦子の『二十歳の原点』……。そういったきらめくような青春時代の回想と、金融業界という名のいびつなリングの上で権力と闘う二人の話が交互に進んでいく。

「ここに書いたことは、一見バラバラに見えるかもしれませんが、どれもつながっています。自分もボクシングをやっていましたけどだんだん体が動かなくなりますし、『二十歳の原点』を読んだ10代の頃のような心の敏感さももうなくなった。経済のことも、社会人になって何十年も経つとおかしいと思ったことも口に出して言えなくなっていく。そういうあきらめとか焦りとか悔しさとか、自分がリアルに感じた人生の喪失感を描きたかった」

 修一は妻から、「お互いずっと探し合っていたような」人と出会ってしまったと告げられ離婚している。息子と会えるのは月1回。社会にも家庭にも心安まる居場所はない。

「男女関係って、僕の感覚だと15%ぐらいのカップルは一生お互いを好きでいて、もっと少ない割合で本当にずっと探し求めていたような人と一緒になっていると思うんです。でもその他大勢の人はそういう人と出会えないか、出会えたとしても何らかの事情で一緒になれないケースがほとんどでしょう。そういう男女間のさまざまなあり方も描きたかった」

 物語の最後で、修一はまたかけがえのない存在を失うことになる。しかしその後知ることになる”あの事件”の真相によって、一生、失うことのない友情の美しさに涙するのだ。

『青い約束』

『青い約束』
ポプラ文庫 640円(税別)

金融機関の顧客に金利や経済動向の見通しをアドバイスする敏腕アナリストとして過酷な日々を送っている40歳の修一は高校時代の親友・有賀と偶然出くわす。愚直で不器用でも誠実に生きようとする二人は何も変わっていなかったが、大切な人を失った“あの事件”の話題は決して口にしなかった。
しかし修一はやがて有賀が大きな秘密を隠していたことを知り、二十数年前の事件の驚くべき真相を知ることに。親本の刊行から7年経ってブレイクした大人のための青春小説。


現役新聞記者が描く経済のリアリティーや驚きの結末に心打たれました。ラスト10ページの衝撃で熱いものが胸にこみあげ涙してしまいました。心温まる感動作です。
(三省堂書店東京駅一番街店 文庫・文芸書担当 吉田秀夫さん)


取り戻せない時間と進まなければいけない時間のはざまで苦しむ主人公に共感し、一気に読んだ。涙と一緒にさまざまな感情の結晶が溢れ出て、止めることができなかった。究極の恋愛小説であり、最高のビジネス小説です。
(文教堂書店 浜松町店 店長代理 前田直希さん)

社会や人間関係の中で感じるどうしようもない違和感

 この6月に発売された田村さんの『月の虹』は京都が舞台のまったく異なるストーリーながら、『青い約束』と共通する点もある。ひとつは、主人公の瀬尾圭一が有賀と同じ経済部の新聞記者で、企業買収劇のスクープ合戦に巻き込まれながら日本経済の激流のなかで闘っているところ。もうひとつは、繊細で壊れやすい在日韓国人の女子大生・静音と、すでに婚約者がいる債券アナリストの佳苗の二人とつきあいながら女性に対する喪失感を抱えているところだ。

「この小説を書いたのは7〜8年前で、最初は好きな京都を舞台にした静かで美しい恋愛を描きたいと思ったんです。でも友人の精神科医からうつの人の話を聞いたり、社会全体でも心を病んでいる人が増えている実感があったので共依存をひとつのテーマとして考えました。圭一も過去に対人恐怖症だったことがあって静音のことを助けられない。一方、佳苗とは体の関係だけでなく心の奥底でもつながっているのに一緒になれない運命にある。やはり圭一も何かを失いながら生きているという意味では同じです」

 この作品にも経済のことは出てくるが、印象的なのはむしろ韓国や北朝鮮と日本の関係についての記述や歴史問題、そして静音が吐露する在日韓国人の心情だ。

「自分は在日の友人と普通に仲良くしているのに、韓国と日本はお互いの思いがこじれちゃっておかしくなっている。それがいやで、在日の人が抱える異物感とか疎外感を小説のなかで代弁したかったところはあります。そういう風に、喪失感だけでなく常日頃感じている人間関係の違和感とか、世の中でおかしいと感じることはいっぱいあるので、小説を書くことで埋め合わせしようとしているのかもしれません。結局は何も埋められないんですけどね。僕はお酒もすごく飲むんですが、どんなに酔ってごまかそうとしてもやっぱり埋められない」

 それは日本社会を生きる企業戦士だけでなく女性たちも、少なからず共感するだろう。田村さんの小説がそんなビジネスマンの心の琴線に触れて涙を誘うのは、どれほど大きな喪失感におそわれても決して見失ってはいけない”大切な何か”が描かれているからだ。

取材・文=樺山美夏 写真=川口宗道

『月の虹』

『月の虹』
ポプラ文庫 620円(税別)

京都の新聞記者の圭一は、接待の席で出会った女子大生の静音と恋に落ちる。美しくて繊細ながらユーモラスな一面もあり在日韓国人としての葛藤も抱えている静音にどんどん惹かれていく圭一。静音も圭一なしではいられなくなるが、同時にうつの症状が悪化してだんだん心が壊れていく。
一方で圭一は、体と心が深いところで通じ合っているのに結婚は許されない佳苗との関係も断ち切ることができない。男の弱さやずるさや不器用さを描きながら、ラストのどんでん返しで救いと希望を見せた恋愛小説。