ヤマンバ、イベサー、ガングロ…ギャル・ギャル男はどこに消えたのか? 【まとめ】

社会

更新日:2019/10/20

『men’s egg』最終号

『小悪魔agehaメモリアル』

メジャーになった「ギャル文化」

「前の世代を否定する」ということは、これまでずっと行われてきたことだ。

 戦争と戦後の混乱期を体験した60年代の若者は、二度と戦争を起こさない国にしようと徹底的に闘った。70年代は共闘した60年代へのアンチテーゼとして、シュールでデタッチメントな個人的世界を創り出した。80年代は70年代をダサいと切り捨て、享楽的な大量消費時代を謳歌した。90年代は、軽薄短小と言われた80年代に背を向けるかのように自分の中へ埋没した。00年代はひたすら内へ向かっていた90年代から一転、ネットによる外への繋がりを求めた。

 しかし前の時代は淘汰されるばかりではなく、次の時代を作る礎となる。

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 最先端であった文化が大衆化すると、新しい世代はメジャーになった前の世代の文化を否定する。「自分たちはギャルではない」という発言は、今の世代を生きる若者にとって至極真っ当なものなのだ。しかし彼女たちがイイと思って取り入れているメイクやファッションには「元サブカルチャー」であったギャル文化の影響が色濃くある。ギャル文化が広まって濃度が薄くなったこと、さらに新しい世代がギャルを否定することが「ギャルがいなくなってしまったのではないか」という疑問になっていたのだろう。

 荒井、浅見両氏のインタビューでも発言があった通り、ファッションやメイクなどのギャル文化はすでにメジャーなものとなった。また『東京ガールズコレクションの経済学』(山田桂子/中央公論新社)では、現代はエイジフリー感覚の女性が増え、30代以上が若い世代向けの商品の派生ターゲットとなり、常に変化するガールズトレンドは旬の感覚をリーズナブルに楽しめるものとして捉えられていると指摘している。ファストファッションなどはまさにこれに当てはまるものであり、男性にも同じことが言えるだろう。また海外進出する企業も多く、2005年から始まり、「日本のリアルクローズを世界へ」と提言する「東京ガールズコレクション」は北京で開催されたこともあり、「SHIBUYA 109」は2015年秋に香港での初の海外出店を予定している(すでに「109」のホームページは英語、北京語、広東語、韓国語にも対応している)。

したたかで柔軟な「ハイブリッド化」

 そして2010年代の若者論で見逃せないのが「各カテゴリーの曖昧化」だ。ファスト風土に生きる現代の若者たちについて書かれた『融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論』(熊代亨/花伝社)によると、「ロードサイドに生まれ、ズッ友な人間関係を大切にする新世代にとっては、フレキシブルにスタイルを選択できること、場面や相手に合わせて記号的コンテンツをなんでもコミュニケーションに動員できることこそが重要なのであって、「にわか」や「ミーハー」であることはさほど悪いことではありません。むしろ、通人にしか理解できない独り善がりな趣味の道なんて、お呼びではないでしょう。いつでもなんでもつまみ食い消費できるよう構えておくのがイマドキの世渡り上手、楽しみ上手」という特徴があると指摘している。

 趣味人としてはカジュアルな消費者である新世代の多くは、コミュニケーションには積極的で、趣味領域や東京にアイデンティティを預け過ぎておらず、「上の世代を反面教師としつつ、オタクとヤンキーとサブカルの一番おいしいところをいいとこ取りしながら、身の丈を逸脱しない趣味生活を選ぶしたたかさ」があり、「オタク/サブカル/ヤンキーの記号を自由に着脱可能だからこそ、彼らはどの領域のコンテンツも、利用したいものを利用したい時に選べます。趣味に全てを擲ってしまった人達が欠いていた融通の利きやすさ、バランスの良さ、今そこにあるものを愛でて愉しむための素直さも揃っているように思えます」と熊代氏は語る。このように、ギャルも含めて今や各カテゴリーの枠組みは曖昧化しており、その時々によって、相手によってフレキシブルに対応する若者たちが、ジャンルを自由に行き来している姿が見える。これがハロウィンになると仮装して集まり、サッカー日本代表の試合があると集まり、コア層向けの雑誌であったギャル雑誌が相次いで休刊した原因(もちろん雑誌が売れないという出版不況やネット化も原因のひとつである)なのではないだろうか。

 また『融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論』では、現代の若い世代を「やれ尖っていない、やれ本物がわかっていない」と上から目線で批判する意味は乏しいものであり、そうすることで「オタク/サブカル/ヤンキー」のハイブリッドのような彼らの持つしたたかさや柔軟性、そして新しい時代の脈拍を察知する兆候を見逃してしまうことになると語っている。さらに「後先も考えずに人生のリソースの大半を若者趣味に打ち込んでしまうこと自体が途方も無い贅沢であり、そのような生き方、そのような自分探しを若い世代になんとなく許容し続けていたバブル期~00年代前半あたりまでの社会が、どこか特別だったとも言えます」「時は流れ、社会は元のせせこましさ、余裕の無さを取り戻しつつあります。“終わりなき日常”“終わりなき夏休み”といったフレーズは時代の徒花でした」と指摘されていることも付記しておきたい。

閉塞感を打破するのは「ギャルマインド」か?

 『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』(宮沢章夫/NHK出版)で講師を務めた宮沢章夫氏は「サブカルチャーとは“逸脱”なのだ」と発言している。しかし「『逸脱』を誰にでも勧められるかといえばそれも難しい」とも語っている。誰もがそうなるわけではないが、必ずごく少数逸脱する人やものが出てくる…これは荒井氏の「“傾奇者”や“モダンガール”と呼ばれていたような、最先端を追い求める人たちというのはどの時代にもいる」という発言につながるものだ。

 小山田圭吾と小沢健二によるフリッパーズ・ギターやORIGINAL LOVEなどのいわゆる「渋谷系」について論じた『渋谷系』(若杉実/シンコーミュージック)によると、「渋谷系」が生まれた90年代初頭はまだバブルの残り香があってメインカルチャーが強かった時代であり、だからこそアンチであるサブカルチャーが生まれたが、メインのパワーが落ちると立ち位置が定まらなくなり、サブカルチャーのパワーも落ちていくという話があった。またインターネットが普及する以前には、ネガティブな意見をシャットアウトすることができて、そのおかげで好きなことをみんながどんどんやれた、という発言もあった。

 2010年代にはメインとなるような強い影響力のあるカルチャーがなく、カウンターとして何か新しいことをしようとすることが難しくなっている上に、社会が保守的になっているので、友人やネットから「それって変だ」「おかしいと思う」という指摘(または相互監視)があり、行動を起こす前に諦めてしまうことが多々あるのではないだろうか。こうした閉塞感を打破するのは、浅見氏が指摘した「カワイイと思えばなんだってイイ、自分がイイと思ったら突っ走る」という「ギャルマインド」なのかもしれない。

「ギャル」は死なず!

 最先端の文化を発信し、コアでマニアックな店が集まったカオス的魅力のあった渋谷の街は、2003年頃からの徹底的な浄化作戦と監視体制によって、そこへ集まっていた逸脱したものや人たちのパワーから生まれようとしていた「新しい文化の芽」を摘み取ってしまったのではないかと思う。もちろん安全で安心できる社会であるのは大切なことだ。しかし起こる危険性が極めて少ないリスクまで潰してしまう必要はないのではないだろうか。陰影のない漂白された街に、人を惹きつける魅力的な文化は生まれないものだ。

 渋谷の街は今、大きく変わりつつある。2012年に完成した「渋谷ヒカリエ」(元東急文化会館)を皮切りに、2013年には地上駅だった東急東横線渋谷駅が地下化し、東京メトロ副都心線と直通運転を開始した。これが影響したのか、19年連続で3位を維持してきた渋谷駅の乗車人員数は、2013年度に東京駅や横浜駅に抜かれ、5位に後退している(JR東日本の駅別乗車人員ランキングより)。

 さらに2015年3月22日には「東急プラザ渋谷」が閉館、隣接する地域とともに「道玄坂一丁目駅前地区開発計画」として空港リムジンバスの発着所を含むバスターミナルや商業施設として生まれ変わるそうだ。また現在工事中のJR渋谷駅は、東棟が2019年7月末に完成予定のほか、中央棟、西棟の完成は2027年度の予定だ。旧東急東横線の高架線路の跡は「渋谷駅南街区」として遊歩道やテラス、複合ビルとして整備され、2017年に開業の予定という。ほかにも渋谷宮下町アパート跡地がオフィス、賃貸住宅、商業施設となり、渋谷駅の南側に位置する桜丘口地区も再開発されるという。こうした動きからすると、渋谷の中心的役割を担う渋谷センター街のエリアは、周りが変化するスピードから取り残されてしまっている感は否めないだろう。

 人の流れが変わると新しい場所に人が集まり、新しい文化が生まれる。もともとキャバレーや倉庫街だった大阪の南海難波駅近くの「ウラなんば」と呼ばれるエリアには、最近飲み屋が多くなって若者が集まっているそうだ。また東京・神田周辺の古い街では民家を改築したオシャレな飲食店が出来て、若い人たちでとても賑わっている。「新しい時代を作るのは老人ではない」というのは、アニメ『機動戦士Zガンダム』でのシャア・アズナブルのセリフだが、いつの時代も新しい文化は若い世代から生まれるものだ。

 「コギャル」の登場から約20年。様々なブームを生み出して多方面へ影響を及ぼし、日本だけではなく世界へと広がった「ギャル文化」。2010年代の折り返し地点である2015年は、そろそろ次のステップへと移り変わる時期なのかもしれない。

文=成田全(ナリタタモツ)