後藤健二さんが迫った元・少年兵の心 ―彼は顔に麻薬を埋め込まれ戦闘マシーンと化していた

海外

公開日:2015/2/24

「学校に行きたい!」もしも少女の夢が叶ったら…

 後藤さんの本を読むと、紛争地帯でただビデオカメラを回し、一方的にシャッターを切ったのでなく、現地にとどまり滞在し、丁寧に関係構築を行いながら人々に寄り添い、取材を行っていた様子がうかがえる。ひとりひとりの心のうちを掘り下げ、身の上に起こった不条理な悲劇を彼らの言葉で丹念に描写することで、戦争が人々から何をどのように奪い、破壊していくものかを、詳細に伝えてくれている。

 『もしも学校に行けたら―アフガニスタンの少女・マリアムの物語』(後藤健二/汐文社)は、30年に渡る紛争状態が終了したアフガニスタンにおける一般市民の暮らしや援助活動の様子を取材するため、パキスタンの警察署の一室で入域申請書類の手続きの交渉を行うシーンから描かれる。

もしも学校に行けたら―アフガニスタンの少女・マリアムの物語』(後藤健二/汐文社)

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 無政府状態になったアフガニスタンまでの道のりで勃発する、何者かによる外国人ジャーナリスト一行への襲撃事件のくだりは、緊迫感に満ちている。最悪の事態にジャーナリストたちが次々に街へ戻る中、後藤さんはひと晩悩んだ末、「危険なのはわかっているけど、これから出発する」と、取材決行の意志を通訳兼ドライバーに告げる。事件直後の今なら、犯人たちも大胆な行動には出ないだろうから、取材のチャンスは今だ、と。果たしてその直感は当たり、後藤さんは目的地に到達する。

 危険をおかしてたどりついた首都カブールは、まるで廃墟も同然だった。爆撃でむき出しになったボロボロの道路を歩き、弾丸の穴だらけの痛々しい建物を見てまわり、道の端っこに力なく座りこむ、手足を失った人たちに遭遇する。絶望と復興への希望が入り交じった不思議な空気が市民と街を包む中、後藤さんは今回の取材の本当の目的であるひと組の家族に話を聞くため、彼らを探す。アメリカの爆撃機の誤爆被害にあった家族たちだ。

 つつましくも平和な生活が、轟音や爆風とともに奪われた衝撃。最愛の長男が、目の前で崩れたレンガの下敷きになって亡くなり、悲嘆にくれている母親と、時間をかけてじっくりと向き合いながら話を聞く。そして最後に、爆撃を受けた直後から彼女が自分自身に問いかけてきた問いに対する、彼女なりの答えをひきだすのだ。事故として扱われていた誤爆のニュースが、ひとりのかけがえのない存在を失った個人の悲しみにフォーカスすることで、その背景にある本当に見つめなければならないものは何なのか、読むものの心に視点を変えて問いかけてくる。

 この本の後半は、母親の娘・10歳のマリアムに焦点が当てられる。アフガニスタンの人々が復興に向けて奮闘する中、唯一の希望は、生き残った子どもたち。しかし、大地も人の心も荒れ果て、学校や教育制度も整わない状況では「学校に行きたい!」という少女たちのちいさな夢ですら、かなうことが難しい。

 後藤さんは、これまで一度も学校に行ったことのないマリアムに話を聞く。「ダリ語を勉強して、本をたくさん読みたい。先生になりたい! わたしは勉強したいの。だから、絶対あきらめない」

 彼女が学校に行き、ノートや鉛筆をもらって教室で自分の机につくまでの道のりは、女の子が学校に通うことを認めないこれまでの慣習や、さまざまな行き違いなどに阻害されて、思いのほか困難を極めてしまう。しかし、学ぶことをあきらめない彼女の頑張りと後藤さんによるサポートがやがて突破口を開き、マリアムは後藤さんに笑顔を見せるのだ。

 後藤さんの本は、“紛争地域で困難に直面する子どもたちの現状を、日本の子どもたちに伝えたい”という真摯な思いに貫かれている。そこにあるまなざしはあたたかく、命をかけた願いがつまっている。

文=タニハタマユミ