「パフェは時間芸術」 教典というべき究極のパフェ書『東京パフェ学』が深すぎる

食・料理

2015/5/2

 おそらく書店でこの本を見かけたら、その表紙、タイトルだけではその本質が分からないだろう。パラパラとページを繰ってみても、『Hanako』のような女性向け情報誌のような印象を受けるのではなかろうか。断言する。違う。全然違う。『東京パフェ学』(斧屋/文化出版局)は、素晴らしき哲学書であり、教典である。著者・斧屋氏が、パフェに対して言葉を尽くした、究極のパフェ論考。日がな一日パフェのことばかり考えて過ごした結果、常人にはたどり着けない域に達したのだろう……、そう思わざるを得ない言い回しや考察が、所狭しと散りばめられている。

 先に述べたように、ざっとページをめくるだけでは、目に入ってくるのは色とりどりのパフェの写真にお店の紹介、パフェの名店の場所を示した地図。だが、パフェの横に書かれている説明文や、パフェ紹介の間に挿入されているコラムには、その変態的なまでの著者のパフェ観が現れている。

 まず著者は、最初のページで「パフェ三原則」(空きっ腹に食うべからず、創り手の意図を考えよ、時間と金をかけよ)を提示。そしてその次に、トップ、表層、中層、深層、器、と区分けしてパフェにおけるそれぞれの役割を主張。深層は「食後の余韻に寄与する。ある意味、最もパフェの実力が試される層」、器は「パフェの構成・バランスにも影響を及ぼす大事な要素」なのだそうだ。この時点で、すでにまあまあよく分からない。これまで、せいぜい「パフェ、甘くておいしいな」くらいしか考えてこなかった己を恥じる思いである。

 パフェ一つ一つを紹介する際も、例えばロイヤルホストの「苺のブリュレパフェ」に対して、「開発上のどれだけの試行錯誤や創意工夫のもとでこのパフェが出来上がったかは、バナナの使い方ひとつを見てもよく分かる」。……分からないよ。普通、人はそんなにバナナの使い方について詳しくないよ。

 そんな著者が最も盛り上がりを見せるのが、本書後半に掲載されている姉・能町みね子(漫画家・コラムニスト)との対談だ。以下に一部を抜粋する。

能町氏「パフェの何がいいの?」
著者・斧屋氏「構成要素が起承転結を持っていて、流れがある。音楽みたいなもので、ぼくは時間芸術って言っている」
能町氏「パフェという現象に興味がある?」

斧屋氏「『食べ物』だと味が主体に思われてしまうからね。パフェは総合芸術。見た目、味や構成、果てはパフェを取り巻く環境、シチュエーション全体が大事」

斧屋氏「パフェにミントが乗っている時には、自分ルールとしては、『失礼します』と言ってそれを取るところから始める」

能町氏「はあ(笑)。何に対して『失礼』なんですか?」
斧屋氏「それは、このいわゆる超越的な存在であるパフェに対して、有限な存在である自分ごときが食べさせていただくことが『失礼』」

 巻末コラムも捨て置けない。最初のページからブレることなく大真面目にパフェと向き合う著者は、ここでも大真面目な顔でこんなことを言っている。

「『パフェとサンデーって、どう違うの?』 人生の中で、誰もが一度は向き合わなければならない難問である」。

……そうだったのか……。

 最後に、本書に記載されている著者の「パフェ哲学」の中から、特に示唆に富む秀逸なものを紹介して締めくくりたい。

「シンプル(なパフェ)は自信の証。自信のない者ほど余計なことをよくしゃべる」
「パフェはライブ。その場の体験がどれだけ楽しかったかが大切」
「時間に屈服することなく、パフェが時間を支配すればいい」

 繰り返すが、『東京パフェ学』(斧屋/文化出版局)は、哲学書であり、教典であった。

取材・文=朝井麻由美