蕎麦も鰻丼もにぎり寿司も江戸料理にルーツあり! 江戸庶民の“美味しすぎる”知恵

暮らし

公開日:2015/7/13

 今夏の土用の丑の日は、7月24日と8月5日。どうやら暑い夏になるようだから、ちょっと贅沢して鰻を二度食べてもバチは当たるまい。

 もともと「丑の日」にうどんや梅干し、瓜など「う」の付く食べ物を食べると夏負けしないと言われていたが、「土用の鰻」が広まったのは江戸時代のことだそうな。

 脂っこくてタレまみれの鰻の蒲焼きを食べるために「割り箸」が発明されたのも、歌舞伎を見ながら温かい鰻を食べるためにご飯の中に埋め込んで運んだことで「鰻丼」が生まれたのも、1日3食の習慣が生まれたのも、ぜんぶ江戸時代。そう、伝統的な和食の形態が確立されたのは江戸時代といえるのだ。

 時代小説家で江戸料理研究科の車 浮代氏の『江戸の食卓 江戸庶民の“美味しすぎる”知恵』(ワニブックス)には、読んで楽しい・食べて美味しい江戸料理の魅力が満載だ。

 そんな本書から、今日のランチの話題になりそうなエピソードを紹介しよう。

江戸料理はヘルシーなエコ料理?

 戦乱の時代が終わり、市民が食を楽しめるようになり、急速に食文化が発展した江戸。濃口醤油の発明によって、様々な料理が生まれた。そんな江戸料理の特徴は…
・冷蔵庫がない=旬の食材を使う
・燃料費が高い=調理に時間をかけない
・調理法は切る、焼く、煮る=油をほとんど使わない
・四つ足食の禁止=肉をあまり食べない
 上記からわかるように、とてもヘルシーで経済的だ。それでいて、遊び心のある名前が付いていたり、彩りや触感にこだわったりと、食を楽しむ知恵に富んでいる。

1日3食になったワケ

 現代の食事は1日3回が基本だが、これが定着したのは江戸時代・元禄期(1688~1704年)以降だという。一説によれば、それまでの1日2食が変わるきっかけは、1657年の「明暦の大火」。江戸復興のために大工や左官屋などの肉体労働者が各地から集まったが、2食では足りない。しかし、帰宅してメシを食う時間もない。そこで、屋台や飯屋ができ、外食産業が栄えたという。

屋台は江戸のファストフード

 江戸の屋台文化を象徴するのが「江戸の四天王」だ。蕎麦、鰻、天ぷら、寿司の順に発展するこの4つは、ほぼ江戸で確立された。これらはみな、味付けのベースに濃口醤油がある。

 もともと「蕎麦」とは「蕎麦がき」のことを指していた。そば粉100%で作ると、麺にするのが難しかったのが、小麦粉を「つなぎ」に使うことで「二八蕎麦」が生まれ、「蕎麦切り」として庶民に広まった。かけ蕎麦として売られていた「蕎麦切り」は、「すぐに茹でられ、すぐに食べられる」と、気の短い江戸っ子にウケた。やがて、「蕎麦」といえば蕎麦切りを指すようになった。

 寿司も、ちょいと小腹を満たすためのファストフードだった。もちろん、今のように冷やしておけないため、発酵させた「熟れ寿司」や、「早寿司」という「押し寿司」が当たり前だった。しかし、尾張のミツカンが「粕酢」の開発に成功し、酢が安価になったことで、庶民の台所にも酢が広まった。「発酵させて酸っぱくするなら、酢飯にすればすぐに食べられるじゃないか」と、これまた気の短い江戸っ子らしい発想で「握り寿司」が誕生したそうだ。

ウサギはなぜ“羽”と数える?

 縄文時代から獣肉(四足動物)を当たり前のように食べてきた日本人だが、仏教の伝来以降、タブーとされるようになった。江戸時代も肉食禁止の風習が残っていたため、人々は「薬食い」を建前に、こっそり肉を食べた。その後ろめたさは「猪肉=牡丹」「鹿肉=紅葉」などの符牒を生んだ。また、「鵜+鷺=ウサギ」は「鳥」だから食べてもいいというこじつけから、ウサギを「1羽、2羽」と数えるようになったそうな(諸説あり)。

 本書には、他にも江戸と現代を結ぶ知恵と知識が紹介されている。また、文化だけではなく、お手軽な「江戸料理のレシピ」も掲載されている。筆者は「昆布油揚げ」「煎納豆」を作って何度も食べている。昆布油揚げは食事の「もう一品」に、煎納豆は酒によく合う。納豆をゴマ油で煎ることで粘りと臭みが消え、香ばしくて濃厚な味になる。ご飯にも合うし、かなり気に入った。

 土用の丑の日の鰻もいいが、日々の献立に江戸料理を取り入れて、エコでヘルシーな食事を楽しむのもおつだ。1日に5合もお米を食べたという江戸っ子の料理は味が濃いので、食べ過ぎと塩分の摂り過ぎにはご注意あれ。

文=水陶マコト