「苦しいしかない」失恋・薬物依存・解雇…華原朋美が語るデビュー20周年の軌跡

芸能

2015/8/23

 「苦しいしかない」。デビューから20年間を振り返り、こんな言葉をふともらしたのは、歌手の華原朋美さん。

 彼女は1995年、人気絶頂のプロデューサー小室哲哉の恋人としてデビュー。アルバムは200万枚を販売し、たちまち時代の寵児となった。一気に芸能界を駆け上った彼女だが、転落するスピードもすさまじいものがあった。失恋から薬物依存、事務所を解雇された。

 この壮絶な人生を振り返り、心境を赤裸々につづられた『華原朋美を生きる。』(集英社)がこの度出版された。発売を記念して記者発表に現れた彼女が発したのが、冒頭の発言だ。

 

▲8月19日に福家書店にて行われた握手会の模様

失恋から薬物依存

  大病を患った子ども時代。また負けず嫌いな思春期など、裕福な家庭に育った彼女の転機はやはり、小室氏だった。

「シンデレラみたいに21歳でデビューさせてもらって。でも自分の力なんてこれっぽっち。全部、周りの大人が私を育ててくださって。だから、それがなくなったとき、人生がすべてなくなったような気分を味わいました」(華原さん、以下同)

 別に歌手になりたかったわけではなかったという。たまたま、小室氏が自分のために曲をつくってくれたから。恋人の思いを大切にしたいがためにデビューをしたという。

 だからこそ別れたあと、彼の曲を歌うのがつらかった。そして大きな喪失感に苛まれ、睡眠薬・精神安定剤に依存したという。

「生きていることがつらかったので、何度も死にたいとおもいました。悲しみ・苦しみは簡単には消えないから、当時は励まされても、それを受け止めることができませんでした。こんなふうに語れるようになるまで16年もかかったんですよ」

 薬物だけではなくタバコ、また暴力を振るう恋人の存在。自身のネガティヴな面も隠すことなく記されている。
 ただ暗中模索の日々、唯一光が射した出来事があったという。

「『進ぬ!電波少年』という番組で全米デビューを目指しときは、新しい光が見えました。環境の変化が私を変えてくれたと思います」

 復帰に至るまで父親と過ごしたフィリピンでの生活も、また大きく貢献したという。その経験こそ、この本で伝えたいことだという。

「私の場合、環境を変えて、すべてを捨てることが良く働きました。やさしく現実を受け止めることができたのです。だからこの経験を、私と同じように苦しんでいる人、ちがう悲しみを抱えている人の力になりたいと思い、出版させていただきました。環境を変えるのは苦しいかもしれません。携帯電話のメモリに入っている人、すべてを切るくらいの覚悟が必要です。でも私の場合、悪い人しか登録されていなかった…」

 今でも100%の回復をしたとはいえない。けれども、涙を流さずに過去を振り返る地点にまでたどり着くことができたという。周囲への感謝を口にする。

華原さんお気に入りのカット。ほどよい丸みのある胸!

日課は鏡の前ですべてをさらすこと