伊坂幸太郎ワールド全開!ちょっと間抜けな裏稼業コンビの友情ストーリーが魅力の『残り全部バケーション』

文芸・カルチャー

更新日:2021/10/7

『残り全部バケーション』(伊坂幸太郎/集英社)

 掛け違えられたボタンのように、ひとつ現実をずらすだけで、目の前の景色がたちまち間抜けに見えてしまうことがある。普段ならそのボタンをそっと元に戻しておしまいだが、そのまま過ごした先には何があるのだろうか。日常から一歩ズレた世界を面白おかしく温かく描き出す作家といえば、伊坂幸太郎氏をおいて他にいないだろう。

 伊坂幸太郎氏著『残り全部バケーション』(集英社)は、裏社会の下請け稼業に携わる2人の男の友情を中心とした小説。昨年12月に文庫版が発売されたこの本は、単行本発売当初から縦横無尽に張られた伏線が話題を呼んでいる。離婚する中年夫婦と娘、父親から虐待を受けている小学生男子、車に閉じ込められている女性、小学校時代の友人について語る映画監督…。連作短編の形式をとりながらも、伊坂ワールドが全開! 元々のファンの人も伊坂作品初心者の人も気軽に楽しむことができるライトミステリーだ。

「適番でメールしてみました。友達になろうよ、ドライブとか食事とか」。そんな明らかな迷惑メールが届いた時、あなたならどうするだろうか。普通なら無視して終わるところだが、表題の作品「残り全部バケーション」では、なんとそのメールに「ドライブの車って何人乗りか」と返信することで物語が展開していく。父親の浮気が原因で崩壊してしまった早坂家は、長年住み慣れたマンションを引き払い、それぞれ別々の道を歩み始めようとした最後の日に、こともあろうか、迷惑メールからの誘いに家族全員で乗るのだ。メールを送ってきたのは岡田という若い男。彼は、実は、当たり屋や脅迫、誘拐など、裏社会の下請け稼業に携わっている怪しげな男である。一体、彼の目的とは何なのだろうか。「迷惑メール」にあえて返信してみる、というのは一例にすぎない。児童虐待が疑われる子どもを突拍子もない芝居と嘘で救いだしたり、父親がスパイだという小学生が登場したり…。そんな「ありえそうであり得ない世界」がこの本にはこめられている。意外な展開が繰り広げられていき、読めば読むほど惹きこまれてしまう。こういう日常にはありえないところ、普通の場面設定からズレた場面設定に思わず、クスッと笑えてしまうこと間違いない。

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「相手がつらそうにしているの見るの、あんまり楽しくないんですよ」
「問題児がいるなら答え児もいる」
「俺の人生、残りは夏休みだ。宿題なしでな」。

 伊坂幸太郎氏ならではのウィットに富んだ台詞も見物。そして、そんな台詞を吐くこの本の登場人物たちは、皆、どこか憎めないのだ。犯罪者もいるのにもかかわらず、すべての人が魅力的。どこか寂しげで、間抜けで、放っておけないような存在ばかりだ。

 この作品は、どこかホカホカと温かい。人の痛みや寂しさ、つらさに寄り添った繊細な描写に、自然と胸があつくなること間違いない。登場人物たちのさまざまな奮闘に笑って泣けて感動できるこの作品は、この季節、ぜひとも読んでほしい1冊だ。

文=アサトーミナミ