【今週の大人センテンス】我が子の逮捕を受けて会見に臨んだ高畑淳子の憔悴

エンタメ

公開日:2016/8/30

写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

 巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。

 第22回 親として女優としての責任の果たし方

「家族だけになりますと、違う気持ちがまた、息子への気持ちが出てくるんですけれど、それはいけないんだよと、またお互いに……」by高畑淳子

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【センテンスの生い立ち】
2016年8月23日、俳優の高畑裕太容疑者が、ホテル従業員の女性に対する強姦致傷容疑で群馬県警に逮捕された。それを受けて26日朝、母親で女優の高畑淳子さんが記者会見を開く。大勢の記者の前にひとりで立ち、一時間以上にわたって厳しい質問や不躾な質問にも丁寧に答え続けた。一貫して、被害者をはじめ迷惑をかけた人たちへのお詫びの気持ちを強調したが、時おり言葉を慎重に選びながら、親としての複雑な思いをにじませる場面も。

【3つの大人ポイント】
・報道陣の“攻撃”を1時間以上もひとりで受け止めた
・無意味とも思える質問にもせいいっぱい真摯に答えた
・言葉を慎重に選びながら親としての辛さをにじませた

 言うまでもありませんが、もっとも大切にされるべきは被害者の心情です。残念ながらネット上では、被害者の顔写真と称して別人の女性の写真がアップされるという愚劣な事態も起きました。状況などを勝手に推測して被害者を侮辱する言説も見られます。被害者の容姿に関心を向ける報道もありました。面白おかしく軽口のネタにするのも含めて、それらはすべて「セカンドレイプ」以外の何ものでもありません。

 そして、報じられている通りだとしたら、容疑者の行為は激しく非難されてしかるべきです。そこは揺るぎない大前提として、26日に行なわれた母親である高畑淳子さんの記者会見は、親としての覚悟と責任感がにじみ出ている迫力のあるものでした。いろんな受け止め方があるでしょうが、ここでは「女優であるが故に、子どもが起こした事件で記者会見を開くことになった母親」が発した言葉について考えてみたいと思います。

 いろんな記事で伝えられているとおり、1時間以上にわたる会見で、いろんなメディアの記者から向けられた質問は、時に厳しく、時に驚くほど不躾でした。まあそれが、聞く側の仕事だということはわかるんですけど。たとえば、あるテレビ局の記者は「容疑者の性癖」や「性欲の強さ」について、しつこく尋ねていました。母親の口から、どんな言葉を言ってほしかったのでしょう。高畑淳子さんは、じっくり考えた末に落ち着いた口調で「性的な嗜好がおかしいと思ったことはなかったですね」と答えています。

 会見の模様がノーカットで見られる動画は、こちら。

 やりとりの全文を文字で読みたい方は、こちら。(1)から(7)まであります。
【高畑淳子会見詳報(1)】『大変なことを、してしまいました』」(2016年8月26日付、産経ニュース)

 彼女が最初から最後まで強調していたのは、被害者をはじめ、仕事上の迷惑をかけた人たちへのお詫びの気持ちでした。これまでの事例や日本人の行動パターンを考えると、この状況での中途半端な弁解や隠し事は、むしろ火に油を注ぐことになるのは明らか。「成人男性が犯した罪に対して、親の責任はどこまであるのか」という議論はあります。ただ、だからと言って知らん顔をするわけにはいかないし、それが許される雰囲気でもありません。

 もちろん、非難が巻き起こっている状況を早く沈静化させたいという意図はあったでしょう。だとしても、「とにかく攻撃する対象が欲しい」「池に落ちた犬を叩きたい」というマスコミ側のニーズ、ひいてはその報道を無責任に楽しみたい人たちの欲求に応えるべく、大勢の報道陣の前に弁護士も事務所の関係者も付けずにひとりで立つことは、相当の勇気がないとできません。時おり声を詰まらせながら、どうでもいい質問にも真摯に答え、ひたすら頭を下げ続ける彼女の姿は、見る側に痛々しさを感じさせるものでした。

 記者会見の中で印象に残ったのが、「こんなことは本当は不謹慎で言ってはいけないんでしょうけど……」といった前置きをした上で、親としての本音をのぞかせた場面が何度かあったこと。このフレーズのあとには「『私はどんなことがあってもあなたのお母さんだから。お姉ちゃんはどんなことがあってもあなたのお姉ちゃんだから』と言ったことを記憶してます。申し訳ありません、そんなことを言って」という言葉が続きました。遠慮がちな前置きがあることによって、複雑な思いや切実な心情がさらに強く伝わってきます。

 見出しの言葉も、報道のあと容疑者の姉とどんな話をしたかという質問への答の中で出てきたもの。姉も自分も、泣いている場合ではない、冷静になってやるべきことをやらなければならないと思っているという話のあとで「家族だけになりますと、違う気持ちがまた、息子への気持ちが出てくるんですけれど、それはいけないんだよと、またお互いに……。それはもうだめなんだよ、ということを言い合っているという感じです」と語りました。

「女優だから演技はお手のもの」と冷ややかな目で見る人もいます。「遠慮がちな前置きをした上で本音を漏らすなんて、さすがの巧妙な話術」という見方もあるかもしれません。当然、女優としての経験やスキルがなければ、あの受け答えはできないでしょう。たしかに彼女は、極めて話術にたけた方でもあります。しかし、そんな皮肉な見方をして彼女を貶めることに何か意味があるのでしょうか。相手が辛い立場にあるのをいいことに、訳知り顔をして優位に立った気になるのは、けっこうみっともない態度です。

 そもそも彼女は、事件を起こした当事者ではありません。仮に、彼女の会見を見て痛々しさを感じることが「まんまと狙い通りの反応」だとしても、べつにいいんじゃないでしょうか。親としての責任についてはいろんな考え方があるものの、あの場に立つことによって、無責任なヤジ馬の好奇心を受け止めるという女優としての責任は果たしたと言っていいでしょう。繰り返しになりますが、容疑者をかばう気持ちは毛頭ないし、容疑者の行為は激しく非難されるべきですが、それとこれとは別問題です。

 有名人が起こした犯罪の報道に対して、私たちはどういうスタンスを取ればいいのか。というか、他人はともかく自分はどういうスタンスを取るのか。もっともらしい口実を見つけて、犯罪を起こした本人や、まして親にまで石を投げつけるのか、嬉しそうに石を投げつける人に眉をひそめる自分であり続けるのか。そんなことも考えさせてくれる事件であり、記者会見でした。それもまた、しょせんはヤジ馬的な消費の仕方ですけど。

【今週の大人の教訓】
「正義の味方」になって石を投げつける甘い誘惑には注意したい

文=citrus石原壮一郎