イチローがイチローを演じてきた理由とは? 大リーグ関係者の言葉で明らかに!

スポーツ

公開日:2016/10/30

『イチローがいた幸せ』(杉浦大介/悟空出版)

 2016年8月7日、イチローがメジャー通算3000安打を達成した。大リーグでの殿堂入りも確実視される43歳の現役メジャーリーガーについて、これまでどれほど多くのストーリーが伝えられたかわからない。

 にもかかわらず、イチローはどこかミステリアスだ。イチローイチローを演じているように思えるし、自らヴェールの中にいるように見えるからかもしれない。ともあれ私たちファンは、そんなイチロー自身と彼のプレーに魅了されてきた。

 イチローはどんな人でどういう選手なのか。『イチローがいた幸せ』(杉浦大介/悟空出版)には、今まで語られなかったイチローの逸話が詰まっている。アメリカで長年スポーツライターとして活躍する杉浦大介氏が大リーグ関係者50人に取材したという同書。ミステリアスなイチローを、「イチローを巡る人々」の証言から浮き彫りにしていくと…。

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狙った驚異のホームラン! 監督、コーチ、チームメイトが語るイチローの凄さ

 大リーグへ移籍した年、イチローが「リクエストに応じて」ホームランを放ち、周囲を驚かせたエピソードは、その場を目撃した監督やコーチ、チームメイトの声とともに生き生きと蘇る。

JM 初めての春季キャンプのときの打撃練習、ゲームでの彼はファウルばかりで、私たちも懸念せずにはいられなかった。ルー(・ピネラ監督)がその話を私にしてきて、スタジアムで私たちは通訳を通じてイチローの話をしたんだ。ルーが「引っ張ることはできないのか?」と訊くと、イチローは「たまに」と答えた。彼は何を質問されているか、懸念されているか、通訳なしでも理解していた。そして、その後のゲームで彼はライト方向に大ホームラン。ダッグアウトに戻ってきたイチローは、ヘルメットを脱ぐと、立ち止まって、「引っ張りましたよ」と言った。面白かったな。私たちはみんな大爆笑したんだ。

 JMとは、当時のマリナーズのベンチコーチを務めていたジョン・マクラーレン元監督。この逸話は、ピネラ監督からも証言をとっていて、イチローがメジャーで当初からいかに特別で、周囲の度肝を抜いたかがまざまざとわかる。

 走攻守に優れた稀代のヒットメーカーだが、ホームランを打つ技術も備わっているというのは有名な話。そのイチローの長打力についての考察も、監督やコーチ、対戦した投手、現地メディアに至るまで、さまざまな立場の見解が述べられていて非常に読み応えのあるものとなっている。

分刻みのルーティン、現地記者にはよく思わない人も

 ベテラン選手やスター選手のなかには、時に横柄でぞんざいな態度をとるタイプもいる。実は、イチローもそうみなされ、あまり快く思っていないメディア関係者も少なくないという。

 日本の取材陣には、いわゆる決まった記者が尋ねる「代表質問」が基本でそれ以外の対応はまずしないといい、現地メディアにも、時に背中を向けるなど冷淡な対応をしていて、決して寛容ではないことが知られているのだ。

 だが同書では、その理由が推察されるだけの見解や証言も多方面から取っている。例えば、ESPNデポルテスのマーリー・リベラ記者は、なかでもイチローと良好な関係を築いていたといい、その話も詳しく訊いている。

 リベラ記者はイチローから信頼を得た理由について、イチローの通訳であるアラン・ターナー氏から「イチローの時間を無駄にしていないから」と言われたという。

 同書でも多くが異口同音に語ったのは、その細かなルーティン。イチローは試合でパフォーマンスを出すために、試合前も分刻みにルーティンを行っている。そんな彼にとって、「無意味な質問」に時間を取られることは、許しがたいことだったのだろう。

 自由闊達に多種多様な記事が出回るアメリカでは、クールな態度を貫けば悪評が広まることは避けられない。それでも、自らのルーティンを貫いたことは、一方で多くの記者にも理解されているという。だからこそ今まで現役として活躍を続けてこられたのだろうことも。

 イチローの張り詰めた取材風景と一部の心許したメディアとの関係も、イチローという人柄が見えてくるようで興味深い。

 思い返せば、いつもイチローは“クール”だった。ガッツポーズはしないし、三振に倒れようとも悔しさをあらわにはしない。背景には、そうした姿を「格好いい」とする日本人的美徳もあったかもしれない。

 だが、大記録が達成された後の会見で「これからは無にしてきた感情を、もう少しみせられるようになれば」と明かしたように、もしそれが彼にとって良いことなのであれば、これからは素の感情を少し解放してほしいとも思う。

 あの日、3000本安打を達成した直後、ベンチに座るイチローが一人静かに頬を涙でぬらしていた。彼の歩んだ道のりの長さ、抱えてきたものの重さ…。あの横顔は、画面を通じても伝わる衝撃だった。

 同書は、3000本安打達成までの軌跡も連日の写真とともに鮮やかに伝えている。あの日をひとつの区切りとして、イチローがこれまでもこれからも人々を魅了してやまない存在である理由とは。多くのイチローを取り巻く人々の言葉をひもといてみてはいかがだろうか。

文=松山ようこ