江戸時代の大ブーム「お伊勢参り」―全国に伝えたツアープランナー「御師(おんし)」とは?

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2017/1/16

『別冊歴史REAL江戸の旅とお伊勢参り』(洋泉社)

 全国各地に観光名所として賑わう神社仏閣がある。都内の明治神宮や千葉の成田山新勝寺などは、初詣のテレビ中継でもお馴染みだし、世界文化遺産である奈良の法隆寺や、広島の厳島神社も有名だ。それらの中でも三重県生まれの身としては、やはり伊勢神宮が別格に思う。神社の中の神社でありその歴史も深いが、幼い頃より母に連れられ何度も通った思い出の地だ。とはいえ、現在横浜に住んでいる身に伊勢は遠く、年に一度の墓参りとともに立ち寄るのが関の山。さて、今年はどうしようかと思っているときに見つけた1冊がこの『別冊歴史REAL江戸の旅とお伊勢参り』(洋泉社)である。

 本書は江戸時代に全国津々浦々の人々を魅了した、伊勢神宮参拝の旅「お伊勢参り」を豊富な図版や写真で解説、当時の風俗を描き出した浮世絵の数々も見どころだ。江戸の庶民が如何にして旅をしたかの解説も詳しく、旅装束やその持ち物、有名な箱根の関所越えの項目も実に興味を惹かれる。そして、さらに注目したいのが「御師(おんし)」だ。

「御師」とは特定の寺社に所属し、参拝客の世話と旅の案内をする存在で、今でいうツアープランナーである。有力御師ともなると大きな屋敷を持ち、そこへ参拝客を宿泊させていたという。さらに伊勢の御師は現地でもてなすだけでなく、自ら全国津々浦々を巡り神宮への信仰と伊勢参りの魅力を伝えることも仕事だった。そのおかげで、マスコミもネットもない時代に多くの庶民までもが伊勢を知り、かの地を目指したのだ。

 しかし、明治期には御師制度が廃止となる。明治政府が正規の神職以外の神事を禁じたため、それに類する御師職も禁止されたからだ。最盛期には800軒ほどあった御師の屋敷も、ほとんどが失われてしまったという。本書ではその中で唯一現存している旧御師丸岡宗大夫邸を取り上げている。慶応2年(1866年)に建てられたとのことで御師邸の中では比較的新しいそうだが、その建築様式は当時の風情を今に伝えている。確かに伊勢は古い町だが、それでも多くの家々は建て直されており、こういった趣のある屋敷はそうそうお目にかかれない。今度行ったときには、ぜひ寄りたい場所だ。

 歴史を重ねた屋敷だけに、丸岡家には当時の品々も数多く残されている。参拝客を出迎えるために丸岡家であることを示す「招牌」やお札の版木もある。面白いことに、当時の伊勢神宮は一般参拝者にお札を発行しておらず、代理として御師が刷っていたのだ。ちなみに、そこには「天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)」または「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」と書かれている。勿論、現在は境内の授与所でお守りやお札が買えるのでご安心を。中でも開運鈴守は勾玉のような形をしたお守りで、個人的なお気に入りだ。

 参拝の旅といえば「お伊勢参り」だけでなく、長野の「善光寺参り」や香川の「金毘羅参り」なども有名だろう。寺社を目指すのは信仰心の表れだろうか。とはいえ、旅先には遊女が付きものだし、他にも宿場で他の宿泊客と一夜限りの逢瀬というのも少なくなかったと本書にもある。案外とこれを楽しみにしていた人も多かったのではなかろうか。旅の恥はかき捨てという訳でもないだろうが、この辺りは今も昔も変わらないように思う。

 今では交通網も発達し、当時のように何日もかけて旅をすることも少なくなった。だが、少しでも往年の旅情を味わいたいなら、外宮と内宮に分かれている伊勢神宮の間を結び、かつては花街としてもにぎわった古市参宮街道を歩いてみてはどうだろうか。外宮から内宮まで50分ほどの気軽な旅ではあるが、内宮へと徐々に近づく風情が味わえるだろう。途中にバス停もあるので、もし疲れたらバスに乗ってもよい。内宮に着いたら、近くにある伊勢名物「赤福」本店でひと休みするのがお勧めだ。

文=犬山しんのすけ