「幽」文学賞大賞『やみ窓』篠たまきインタビュー 窓の向こうの異形は化け物? それとも……。

文芸・カルチャー

2017/2/17

 第十回「幽」文学賞の受賞作「やみ窓」が、続篇を加えた連作短篇集として上梓された。窓で繋がる異界と、どこまでも厳しい現実。ふたつの世界に生きる普通の女の物語の背景を、著者・篠たまきさんに聞いた。

篠たまきさん

――『やみ窓』は、普通のアパートの窓がどことも知れない異世界に繋がる不思議なシチュエーションの物語ですが、発想の源は。

 かなり昔のWindowsのコマーシャルです。窓の向こう側にいろんな世界が広がっているという内容のキャッチ・コピーが、頭にずっと残っていました。何か別の世界に向かって開いた窓があるのだけど、その先に何がいるかはわからない。そんなインターネットの世界を現実の窓に置き換えた、という感じでしょうか。

――言われてみれば納得ですが、作品の雰囲気からは想像もできませんでした。では、空のペットボトルが通貨代わりになっているのは?

 ある日、ゴミを捨てるために分別をしていて、ふと「私はゴミとして簡単に捨てているけれども、見る人が見たらすごい貴重品なのかもしれない」と思ったのですね。ペットボトルひとつにしても、これがない世界では大変便利な貴重品になるでしょうから。そういう、ちょっとせこい考えが、だんだん膨らんでストーリーの形になっていきました。

――そうしたある種SF的発想で始まりながらも、繋がる先は昔話的世界です。

 昔話的な、民俗社会の要素が出てきたのは、私が田舎育ちで、子供の頃に家族から昔話を聞かされ続けたからだと思います。うちの親はちょっとおもしろくて、昔話の本を読ませた後、必ず解説を付け加えるんです。「ここにはこう書かれているけど、実際はもっと残酷だったんだよ」などと言って(笑)。たとえば、「カチカチ山」は、絵本などでは随分とマイルドな話になっていますが、元は狸がおばあさんを煮ておじいさんに食わせるシーンがあるような残酷な話であることも隠さず話してくれました。そうした生い立ちが、私の書くものには大きく影響していると思います。

――窓辺に来る人たちは「文明ズレしていない純朴な人」ではなく、シビアな取引を辞さず、ときには悪辣な顔さえ見せます。だからでしょうか。ダーク・ファンタジー的なお話なのに、人間性にどこまでも深く踏み込む内容になりました。

 そこは意図していました。綺麗事だけではすまない、ナマの人間の怖さは描きたいところです。

――主人公の柚子は不幸な結婚の末に夫と死別し、今はコールセンターでフリーターとして働く不安定な立場の女性として設定されています。ある意味夢のない厳しい現実に生きる人を主人公に据えた理由は?

 柚子は「異世界に繋がる窓」を自然に受け容れ、馴染んでいきますが、それができるのは、現実に満足していないせいだと思うのです。普通の人なら、窓に変なものが出たらピシャっと閉めて終わり、ですよね。でも、柚子は拒絶どころか来訪を待ち望むようにすらなる。よっぽど現実に傷がなければ、そうはならないのではないでしょうか。

――内省的な方なら、柚子に自分を重ねて読んでしまうかもしれません。

 そうだとうれしいですね。柚子は本当に「普通の人」として書きたかったので。普通に就職して、仕事をして、気がついたら30歳を過ぎていた。そんな時に会社が傾いてしまったのがきっかけで、人生が落ちていく。平凡に生きてきただけなのに、どこかで躓いてしまう、そういう人を書きたかったのです。

――なるほど。ただ、この作品をユニークなものにしているのは、「異世界との交流で自己回復をしていく」というファンタジーにありがちな展開を取らなかった点です。柚子は、異世界との交流によってしたたかになり、同時に内面の闇をより濃く深くしているように見えます。

 私が書くとなぜかそうなってしまうみたいで(笑)。どうやってもハッピーな話が出てこないタチなんですね。逆に、普通の人がだんだん暗闇に落ちていく様なら、自然に出てきます。それに、暗い話って、案外ロマンチックだと思うのです。怪談雑誌の賞をもらった作品だから、きっとドロドロで血まみれで、と思われる方もいるかもしれませんが、私はその手の不幸にはあまり興味ありません。むしろ、きれいな花が咲いている場所の中の不幸とか、美しい景色に潜むドロドロが好きです。暗い話のロマンスも、これはこれで美しいですから、騙されたと思って(笑)読んでみていただきたいと思います。

取材・文=門賀美央子 写真=中田朝子