貝塚はゴミ捨て場じゃなかった!?  縄文時代の暮らしをノゾキ見! 知られざる縄文ライフとは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『知られざる縄文ライフ: え?貝塚ってゴミ捨て場じゃなかったんですか!?』(譽田 亜紀子/誠文堂新光社)

小学生の頃、家族旅行で訪れた海岸の砂浜にあった貝殻を拾い集め、通っていた書道教室の女性の師範にプレゼントしたことがある。師範には、さぞ迷惑であったことだろうと思うが、子供の目には太陽の光に照らされてキラキラと反射する貝殻が宝物のように見えたのだ。それでいて、やはり小学生の頃に社会科見学で行った貝塚を「古代の人のゴミ捨て場」と教わったら、それで納得していたのだから、どうにも私は単純だ。

この、『知られざる縄文ライフ: え?貝塚ってゴミ捨て場じゃなかったんですか!?』(譽田 亜紀子/誠文堂新光社)にも書かれているとおり、古代の人々は貝を食料にするのと同時に、耳飾りや腕輪などの装身具としていた可能性は高い。

本書ではまず「縄文時代の基本のキ」となる知識を学ぶことができ、私は漠然と縄文時代は1万年前くらいと思っていたのだが、約1万5000年から2400年前までなのだそう。そして、縄目の文様がついた土器を「縄文土器」といい、「縄文時代」の由来でもあるこの「縄文」という名称は、大森貝塚を発見した動物学者のエドワード・S・モースが1877年(明治10年)に報告したさいに発掘した土器を「Cord Marked Pottery」と呼んで、それを日本語に訳した「縄文土器」が世間に認められ定着したそうだ。

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子供の目に宝物に見えた貝が大量に発見された貝塚は、研究者にとっても宝の山であるようだ。なにしろ文字の記録など残っていない時代のこと、物証だけが頼りだからである。通常、人間にしろ動植物にしろ有機物は長い年月の間に、微生物によって分解されたり水分に溶けてしまったりして痕跡が残らなくなる。しかし貝塚では、貝のカルシウム分が土壌をアルカリ性に傾かせるので、比較的残りやすくなるという。それにより、例えば「糞石(ふんせき)」と呼ばれる排泄物の化石からは、縄文人たちの食生活や健康状態が分かるそうだ。

また、貝塚には東京都北区の中里貝塚のように、人が生活していた痕跡がない例もあるという。代わりに「底に粘土を貼った窪地」が数ヶ所発見され、それは焼いた石を水と貝を溜めた窪地に投入して沸騰させることで貝の口を開けて身を剥ぎ、干し貝を大量に作って交易品にしていたのではと考えられるそう。実際、各地の遺跡で発掘されている当時の人々がナイフとして使っていた黒曜石の成分を分析すると、産地を中心に半径300km圏にもおよんでいたとか。そのうえ、当時の特別な人がブレスレットとして身につけていたとされるオオツタノハという貝は、伊豆諸島南部以南の限られた島にしか生息していないのにもかかわらず、北海道でも発掘されたというから、その交易範囲の広さがうかがえる。

ところで、本書では貝が低カロリーな食材であることが指摘されている。もちろん縄文人がダイエットなどしているはずもなく、現代人に必要とされる1日のカロリーは約1800~2200kcalなのに対して、貝塚で発掘されたアサリで換算すると1kgのうち食べられる部分は400gで120kcalに過ぎないため、一日中貝を食べ続けても到底足りない。だから本書によると、高カロリーなドングリやクルミで必要なエネルギーを確保していたようだ。ではどうして、貝塚となるほどの貝を食べていたのかというと、ほのかな塩味こそが大事だったのだろうと著者は述べており、それとともに亜鉛やタウリンが疲労回復に役立ったのではと推測している。

なるほど、貝はダイエットと疲労回復を兼ねられるということか。ちょうど、お腹のポッコリが気になってきていたところだと考えてしまうあたり、やはり私は単純だ。

文=清水銀嶺